お好み焼き、ワサビ…知的冒険に満ちた「食」の人文書 紀伊國屋書店員さんおすすめの本
記事:じんぶん堂企画室
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「じんぶん」、人の営みの研究・記録というなら「食」は避けられない。その中でも一風変わった三冊を紹介する。
『お好み焼きの物語』(新紀元社)はこれまで研究の対象として手薄だった「お好み焼き」を著者が膨大な資料にあたって書き上げた労作だ。
広島出身の私でさえ「嘘じゃろ、知らんかったわ」と思ったほどだが、お好み焼きの発祥は広島でも大阪でもなく、なんと江戸(東京)。お好み焼きの起源となる料理は文化文政期に現れた江戸ローカルの屋台料理「文字焼」だという。砂糖と小麦粉を水に溶いて文字や動物、様々な形態で焼いたクッキーのようなものだったらしい。
子どもに人気だったこの屋台料理にも明治半ばになると器具があれば簡単に作れる鯛焼きや亀の子焼きといった商売敵が現れる。それによって屋台の職人たちは転業を迫られ、当時東京の庶民に流行っていた「一品料理」(日本人向け西洋料理)を真似て屋台で提供することに活路を見いだし、そのパロディ料理の試行錯誤の中から人気メニュー「天もの」が誕生。これは天ぷらのパロディ料理で、日本料理のパロディのはずがなぜか洋食用だったウスターソースを使用した奇妙なものだったが、異常な人気で人々に受け入れられた。
これが明治末から大正初期に全国各地に伝播し、何度かのブームを経て屋台から店舗型へ移行し、定着していった。そして各地で独自の変化を遂げ現在に至るのである。
上記がお好み焼きの概略である。馴染みの料理にこれほどの歴史があったことに驚きだが、それ以上の驚きはそれらの歴史が、人々が(お好み焼きご当地の人間さえ)記憶喪失となって忘れられていることだ。
そもそもお好み焼きなど近代に出現した料理は本・雑誌・新聞など掲載資料が膨大なため調査に大変な労力を要する。一方お好み焼きは外食発祥で家庭向け料理本に載らないため、調理方法が記録に残りづらい。そんな困難な条件のうえで著者は膨大な手間をかけて本書を書き上げた。著者の労力に頭が下がると同時に「日常」の風化の早さとその復元の困難さを思い知らされる。
ワサビは現在日本人の食生活に身近であり、刺身、寿司、蕎麦などをはじめ多くの料理に利用される。このワサビの我が国における記録を総覧したのが『わさびの日本史』(文一総合出版)だ。膨大な資料から野生植物が栽培植物に、そして「食材」として日本全国に浸透・定着していった過程を考察、記録する。
ワサビは日本列島で独自の進化をとげた、日本の固有種で最古の記録は飛鳥時代の遺構から出土した木簡。呼び名は今と変わらない「委佐俾(わさび)」。各地から租税として貢納され、薬草として使用されていたようだ。山奥に自生していたものを採集し朝廷に納められていたと考えられこの時点では「身近な存在」ではなかったのだろう。
平安時代には香辛料・調味料のように使用されていた様子が記録からわずかにうかがえる。続く室町時代は日常食の種類が一気に増大した時期で、ワサビも御伽草子をはじめ多くの文献に名が挙がっており食材として認知されていた。
現在では不動の組み合わせである醤油とワサビの最古の記録は安土桃山時代。
家康がワサビの栽培を奨励したという伝説があり、このころにはワサビの栽培が確立されていたと考えられる。家康死後にはワサビは将軍の献立にのぼり、様々な記録に頻繁に登場するようになる。
17世紀には各地で栽培がおこなわれ大名から庶民にまで浸透した。鮨に使用され、醤油との組合せが一般化。関東大震災によって東京の鮨職人が地方に職を求めてちらばったために全国へ拡大。さらに昭和になると粉ワサビ、練りワサビの発明によりいっそう身近な存在となり、広く日本の食文化に定着した。
身近なワサビの意外な歴史。しかもその歴史は試行錯誤の意思に満ち溢れている。そしてそれを明らかにしようとする著者のワサビへの愛着も、その努力同様の熱量を持つ。特に巻末の「わさび歴史年表」は圧巻の出来。
日本の科学の分野で基礎研究は軽視されると聞いたことがあるが、このような本が出版される限り人文科学の分野では心配無用だ。
かつて「食」は、それぞれの土地特有のものだった。慣習や料理方法、なにより手に入る食材がまったく違う。だから未知の地に行けば未知の「食」があり、多くの場合手探りで食材と立ち向い、克服しなければならなかった。
『ダンピアのおいしい冒険』(イースト・プレス)はそんな未知の世界がまだあった17世紀の話。世界周航を3度成し遂げ各地の詳細な記録を欧州に持ち帰った航海者・ウィリアム・ダンピアの実際の冒険を交えてコミック化したものだ。
17世紀、植民地支配で圧倒的優勢を誇るスペインに対して巻き返しをはかった英国は民間武装船を利用し、スペインの国力を削った。要は海賊船の起用で、多くの人間が富や名声を求めて乗船した。その船に「知識」を求めて乗船したのが本作の主人公・ウィリアム・ダンピアだった。
ダンピアは博識で知識欲が強くあらゆるものを興味の対象とする。彼にとっては「食べること」も「重要な自然観察」だ。未知のものも、よく観察して、食べて、害がないとわかれば怯える必要はない。
現在のわれわれの生きる世界では「未知」は希少で、恐れるよりむしろ求めるもの。「食」に関してはほとんどのものが試され記録されていて、同時代のどこかの誰かが体験、記録済みだろう。私自身旅先で知らない食材、メニューがあればとりあえず食べる。鮫、海豚、カンガルー…金額とか味とかは全て後だ。作中で登場する食材はコバンザメ、トド、イグアナ、そして極めつけのガラパゴスゾウガメ。美味いか不味いか以上に「未知」に知的好奇心が刺激される。
本作の食と冒険を交えた未知への挑戦は読書に知的興奮と人文科学的ワクワク感を与えてくれる。