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いま、ギリシア哲学から始める――「人類の知の源泉」に何を学ぶか

記事:筑摩書房

ラファエロ・サンティ《アテナイの学堂》
ラファエロ・サンティ《アテナイの学堂》

ギリシア哲学の広大な世界へ

 ソクラテス、プラトン、アリストテレス。日本で知られている古代ギリシアの哲学者といえばおそらくこの三人であろう。あるいは、井戸に落ちたタレスや、甕に住んだディオゲネスの話を聞いた人もいるかもしれない。だが、ギリシア哲学はそれよりはるかに広大で多様で、かつ魅力にあふれた世界である。

 たとえば有名なソクラテスを取り上げてみよう。ソクラテスは何一つ著作を書き残さなかった。したがって、私たちが聞いている彼の哲学は、ほとんどがプラトンの対話篇で描かれた姿であるが、別の弟子クセノフォンはそれとは異なるソクラテスの言動を書き記している。また、プラトンのライバル・アンティステネスをつうじて影響を受けたとされるディオゲネスは「狂ったソクラテス」と呼ばれ、質素で過激な生き方を実践した。

 ソクラテスの哲学も無から突然生まれたものではない。彼の挑発的な態度は、ヘラクレイトスの言葉(ロゴス)を思い起こさせる。相手を矛盾に追い込む論駁や常識はずれの主張、たとえば「誰も自ら進んで悪を行う者はいない」といった逆説は、「アキレウスは亀を追い越せない」と論じたエレアのゼノンを先駆とする。また、プラトンがソクラテスに語らせた魂の不死と輪廻転生は、ピュタゴラスに由来する学派、とりわけその哲学を詩で著したエンペドクレスに見られる。

 こうして視野を広げると、私たちが思い描いていた古代ギリシアの風景は一変する。ギリシア哲学は紀元前6世紀初めに始まり、キリスト教が支配的となる後6世紀前半まで続いた。拙著『ギリシア哲学史』(筑摩書房、2021年)は前4世紀までの前半期を扱うが、それでも32章で33名の哲学者がテーマとなり、同時代から古代後期までの300名以上が登場する。その一人ひとりがより善い生き方を求め、著作を著して議論し、学説や影響を後世の人々に残してきた。それを俯瞰するのがこの哲学史の試みである。

ギリシア哲学を学ぶために

 「誰某がこう言った」といった紋切り型の情報は、実はギリシア哲学について何一つ真実を伝えてくれない。お手軽に編集された言葉は、標本のように死んだ姿しか見せてくれないからである。私たちが手にする資料は断片的で錯綜しているが、それらを丁寧にかつ正確に読み解きながら、彼らの生の声を聞き取っていく態度が必要となる。そこで、古代ギリシアで哲学がどのように誕生し、哲学者たちがどんな考えを論じ合っていたかに思いを馳せることになる。

 二千年を超えて現代まで伝わった言葉や証言について、私たちはまず、時代背景や伝承過程を知らなければならない。ギリシア哲学の研究は日々質量ともに飛躍的に進展しているが、それらに通じながら古代ギリシア哲学者たちの思索の核心を見てとるには、俯瞰的な視野と詳細な分析の両方が大切になる。その手続きをへて直に彼らの声に接すると、「始まり(アルケー)、無限(アペイロン)、言葉(ロゴス)、ある(エイナイ)、魂(プシューケー)、形(イデア)」といった言葉が、世界を新たな相貌で開示してくれる。こうして、ギリシアの哲学者たちと私たちとの対話が可能になる。

『ギリシア哲学史』(筑摩書房)書影
『ギリシア哲学史』(筑摩書房)書影

全てはここから始まる

 21世紀の日本に生きる私たちが、はるか遠く異質な古代ギリシアの世界をいま顧みる意義とは何か。それは何よりも、彼らが「問い」を問い、それに応答しながら批判的にかつ建設的に言論を展開した様を見て、私たち自身もその議論に参加することにある。

 古くからの哲学の問題など、すでに近現代の哲学で解決済みであり乗り越えられていると考える人がいるかもしれない。それはまったくの誤解である。哲学の営みとは根本的な事柄をその都度新たに問い直し共に考えること、つまり、いま始めることなのである。そうした「哲学(フィロソフィアー)」の始まりにして見本となったのが、古代ギリシアである。

 したがって、古代ギリシア哲学を学ぶことはけっして好事家の歴史探索ではなく、この迷走する現代社会で私たちがどこからどのような哲学を始めるかを見定めるための出発点である。私たちが最先端だと思い込んでいる現代哲学の議論は、あるものは偏っていて一面的であり、あるものはすでに十分に論じられたものである。人類の遺産を踏まえ、新たに直面する課題を見据えつつ、再び哲学を始める。そのために、古代ギリシアであらゆる言論をくり広げ戦わせた数多くの哲学者に出会い、彼らと対話することが、私たちを刺激して真の哲学へと導いてくれるはずである。

 ギリシア哲学は、哲学の生き方への「プロトレプティコス(勧め)」なのである。

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