功利主義・差別の内実・日本的プラグマティズム――哲学の書棚から ジュンク堂書店員さんおすすめの本
記事:じんぶん堂企画室
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倫理学と聞くと何か肩肘張ったとっつきにくい印象があります。しかし、わたしたちがなんとなく過ごしている人生の一局面における行為の選択にも「よい」「わるい」の評価が伴い、それは、アリストテレスの古代においても、恐らくは何千年の後にも変わらないでしょう。人間が生きている限り問われなくなることはない。そこが倫理学の面白さであり、難しさでもあります。
今回紹介するのは、ベンジャミン・クリッツァー『21世紀の道徳 学問、功利主義、ジェンダー、幸福を考える』(晶文社)。普遍的である道徳の問いに対して、タイトルに「21世紀」とついているように、現代の科学的知見、特に心理学と進化論の知見を活用して、倫理学的に考えるとはいかなることなのかを実践していきます。
近年ですと、『ファクトフルネス』や『ファスト&スロー』などが、少し大きな書店に行けば手に取りやすい環境にありますが、こうした書籍に触れやすい現代においては、本書における共感や想像力の「あたたかさ」と理性や抽象的思考の「つめたさ」の使い分けについても理解が得られやすいと言えるでしょう。
本書では「学問の意義」「功利主義」「ジェンダー論」「幸福論」などの大きなトピックが論じられていますが、ベースは第2部「功利主義」にあるでしょう。ベンサムを嚆矢とし、20世紀に理論的発展を見た功利主義。その解説のなかで、サンデル先生の白熱教室でもおなじみのトロッコ問題にも触れつつ、この思考実験が専門家のみならず、わたしたち市井の人々にとってもなぜ必要かを提示する箇所など読みどころがあります。
哲学とは答えのない問いに悩み続けることではなく、わたしたちを悩ませる問題に「正解」を出す考え方だと著者は言います。厄介な問題に正解を出す功利主義。その魅力と、しかしその考え方に欠点は本当にないのか、今度は読者が考える番です。
二冊目は、池田喬・堀田義太郎『差別の哲学入門』(アルパカ)を紹介します。差別が悪であることは自明であるように思えますが、少し考えてみても、そもそも差別とは何か、区別とはどう違うのか、「差別の悪は誰にとっての悪か、差別者にとってか被差別者にとってか、あるいは両方にか、など、より考えなければならない問いが次々と出てきます。
熱いトピックなだけに一層冷静に考えなければならないのですが、そんな時こそ哲学の出番というわけです。日本語で読める類書がないなか、入門書の刊行の意義は大きいと言えます。
本書は、「差別とはどういうものか」「差別はなぜ悪いのか」「差別はなぜなくならないのか」の三つの論点で構成されています。「差別とはどういうものか」を考えるにあたって、区別と差別の峻別の難しさを認めつつも、アファーマティブアクションや、ヘイトスピーチ、ハラスメントなど具体例を挙げながら、差別の内実に輪郭を与えていきます。また、「差別はなぜ悪いのか」では、悪が生じる場所と悪の根拠により、害説、自由侵害説、心理状態説、社会的意味説が検討されます。
この分析においては、近年進展の著しい幸福の哲学や人生の哲学との類似性も目を引きます。概念分析のみならず、差別における歴史の問題や社会学や心理学の知見とのすり合わせなど、考えるべき点はまだまだ多そうですが、それゆえ、取り組みがいのある領域であるように思えます。
最後に取り上げるのは、荒木優太『転んでもいい主義のあゆみ』(フィルムアート社)です。『在野研究ビギナーズ』で有名な著者ですが、日本におけるプラグマティズムを「転んでもいい主義」と大胆に意訳し、その系譜を軽妙な語り口で紡いでいきます。『21世紀の道徳』のベンジャミン・クリッツァーもいわゆるアカデミズムに籍を置かない著者ですが、アカデミズムで基礎的な修練を受けつつ、発表の場をブログ等に求める在野研究のスタイルは、特に人文系では増えていくかもしれません。
官学・ドイツ系を中心にアカデミズムが形成された戦前日本の哲学において私学を中心に発展してきたプラグマティズムは、それだけでも異例ですが、戦後の鶴見俊輔と『思想の科学』周辺によって担われたプラグマティズムの日本的受容は、現在の在野研究の動きと重なる面もあり興味深い。現在では分析哲学による、プラグマティズム再解釈の動きもあり、学問的にも精緻になっていくのでしょうが、そこからはみ出る思考も(若干)強引に包摂しうる「転んでもいい主義」の、七転びのその先の八起きの未来を引き続き注視したいと思いました。