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「アナキズム」について考える――権威に抗って生きるために ジュンク堂書店員さんおすすめの本

記事:じんぶん堂企画室

「無政府主義」と訳されるアナキズム。松村圭一郎氏は「国家に囲まれた自分たちの生について立ち止まって考えてみる、ひとつの態度のようなものだ」と述べている(『ちゃぶ台 Vol.5』)。
「無政府主義」と訳されるアナキズム。松村圭一郎氏は「国家に囲まれた自分たちの生について立ち止まって考えてみる、ひとつの態度のようなものだ」と述べている(『ちゃぶ台 Vol.5』)。

アナキズムの思想を通して日常を捉え直す

 「アナキズム」という、言葉だけ知っていた思想を初めて明確に意識したのは、『ちゃぶ台 Vol.5』(ミシマ社)に掲載された松村圭一郎氏による論考「はじめてのアナキズム」を読んだときだった。

 この論考において、国家が「後からやってきた」ことにより搾取を強いられ、自ら国家の支配の及びにくい山奥に逃げ込んだとされる人びとのことや、あるいは現代を生きる我々がすぐに行政や警察に頼り身の回りの問題を解決することを他人任せにしているという松村氏の指摘を読むにつれ、そもそも存在する必要がないかもしれない権威に自分が気づかぬうちに支配されていること、自分でできるはずの判断や行動を放棄していることを強く意識するようになった。

 そしてそのことは、労働や婚姻、居住や相続など様々な制度に疑問を抱きながらも、気づけば既存のシステムの在り方に納得しようとしていた自分の中にある違和感や、街中で困っている人に声を掛けられずに罪悪感とともに通り過ぎてしまう自分の情けなさを、アナキズムの文脈で捉えることができることを示してくれた。

 アナキズムは「無政府主義」と訳される。その言葉だけ聞くと、国家転覆を謀る野蛮な思想に思えるかもしれない。しかし松村氏はアナキズムとは「国家に囲まれた自分たちの生について立ち止まって考えてみる、ひとつの態度のようなものだ」と述べている。アナキズムの思想を通して日常を捉え直してみれば、今ある当たり前が違ったものに見えてくるかもしれない。アナキズムを知るために最近読んだ3冊を紹介したい。

「国家がやることはいつでも意味が分からない」

 『アナキズム入門』(森元斎、ちくま新書)はその名の通り、アナキズムの入門書である。アナキズムの生みの親プルードンに始まり、バクーニン、クロポトキン、ルクリュ、マフノの順に、十九世紀から二十世紀にかけて活躍した5名のアナキストたちの軌跡と活動が論じられる。それぞれが置かれていた境遇や立場、当時その地域で起こっていたことなどの時代背景が詳細に語られることによって、どのようにして革命が起こったのか、またどのようにしてアナキズムの思想が興隆していったのかが非常に分かりやすく示されている。

 著者は、我々は皆もともとアナキストであり、コミュニストであると述べる。国家がなかった時代でも人は生きてきたし、見返りがなくとも互いに助け合う日常を既に生きているからだ。「アナキズムは、権力による強制なしに人間がたがいに助けあって生きてゆくことを理想とする思想」であると、鶴見俊輔の言葉を引いて著者は述べている。

 本書の中に繰り返し登場する「国家がやることはいつでも意味が分からない」という台詞には何度も納得させられた。国民に対して何か良いものを与えてくれるのが国家なのではなく、「意味が分からないことばかりをするのが国家である」ことを前提にしてみると、急に世界の見え方が変わってくる。コロナ渦中でよりはっきりと露呈した、現政権の国民をないがしろにし、利権ばかりを追い求める姿勢を見れば、国家の存在意義に対する疑問はより実感をもって我々に迫ってくるだろう。

「規則ありき」の思考からの脱却

 次に、『実践日々のアナキズム――世界に抗う土着の秩序の作り方』(ジェームズ・C.スコット、岩波書店)を紹介したい。本書の訳者である清水展氏によれば、スコットにとってアナキズムとは「上からの管理と支配、近代化プロジェクトの強要に対抗したり、これを上手く回避したりする、市井の人々の日常的な行動や不服従、面従腹背、そして相互性と協調・協力などのさりげない実践の総称」である。

 例えば、車の制限速度が規定されている道路において、運転手のほぼ全員が規定よりわずかに速度をオーバーして運転していた場合、その速度は暗黙の了解として取り締まる対象から除外される。「「許容された不服従の空間」は、まるで奪取し、占拠した領土のようなもの」である。

 また、スコットは過去300年間の重要な解放運動に触れ、「少数の勇敢な者たちが、座り込み抗議、デモ、可決された法案に対する大規模な違反などによって法律や慣習を率先して破らなければ、解放運動の拡大はありえなかっただろう」と指摘する。「現在の法治主義が、かつてよりも寛容で、解放的であるというのであれば、私たちはその恩恵を過去の法律違反者たちに負っている」のである。

 法的秩序からの逸脱無しには成し得なかった自由の獲得を提示されたことで、規則を破ることは正義に反することであり、規則を守った上で反対意見を述べることが正しいやり方であるという思考が知らず知らずのうちに自分の中に根を下ろしていたことに気が付いた。権威による承諾し難い行いに対して、表立って抗議の声を上げることは重要であると思う。しかし同時に、抜け道を探ること、サボること、無言のうちに抵抗すること、そうした選択肢を認識し理解できたことは、規則ありきで物事を考えてしまう思考からの脱却を可能にし、一方向からの正義感を再考する機会を与えてくれた。

助け合って生きる社会を構築するための実践

 最後に『働くことの人類学【活字版】 仕事と自由をめぐる8つの対話』(松村圭一郎+コクヨ野外学習センター編、黒鳥社)を紹介したい。本書は、ポッドキャスト番組「働くことの人類学」で公開された6つの対話を元に書籍化された。

 2020年に急逝したアメリカの人類学者デヴィッド・グレーバーに代表されるように、近年アナキズムは人類学と結びつけて語られることも多い。本書はアナキズムを論じた本ではないが、それぞれ研究領域の異なる人類学者たちによって語られる、世界各地に根付く働き方や暮らし方はアナーキーな思考が非常に大きく関わっているように感じられた。

 現代日本において、働くことは「生きがい」や「自己実現」などと結びつけて語られ、好きな仕事に就くことが良いことだという風潮が色濃いように感じる。好きなことを仕事にすること、仕事に人生のやりがいを見出すことはもちろん良いと思うし、否定はしない。

 しかし、本書に掲載されている論考「戦後日本の「働く」をつくった25のバズワード」で触れられている通り、「やりがい搾取」はブラック企業と密接に結びついており、その背景としてバブル崩壊以降企業の経営方針がコストカット一辺倒に傾いたことが挙げられている。お金がないと食べることもままならないこの社会において、労働が賃金を稼ぐための行いである限り、そこに人生の意味を見出すことは難しいのではないだろうか。その点で、現代の日本社会は働くことに重きを置きすぎなのではないかと感じる。

 本書に登場する人々の働き方から感じられるのは、労働はあくまで手段であり、生きるための術であるということである。たとえば、フランスや南米ギアナなどで暮らすモンの人々は、難民として住む場所を度々変えてきたその民族的背景から、「自分たちの望まない形に物事が移り変わっていったら、自分たちはいまの生活を捨てる」と度々口にして親族を頼って国境を越えて移住する。また、タンザニア商人たちはひとつの仕事に固執せず、様々な仕事を通して仲間を増やしていくことによって互いの能力や資質を活用できるネットワークを構築している。アフリカのカラハリ砂漠に暮らす狩猟採集民は、政府の開発プロジェクトが推奨する賃金労働に従事することを受け入れつつも狩猟採集する生活を捨てず、状況に合わせて何でもできる状態に身を置いている。

 彼らに共通しているのは、自由と自立を求め、たとえ一時的に働けなくなったとしても互いに助け合える仕組みを構築していることであると思う。こうした姿勢はまさに、アナキズムが目指すものと合致する。

 アナキズムは、自由を希求し、支配から逃れ、互いに助け合って生きられる社会を構築するための、個々人の不断の実践なのだと今のところ理解している。国家に一方的に搾取されないように、分断を生み出そうとする権威に負けないように、そして自分の生を他の誰かに委ねないために、アナキズムの思想を常に心に留めておきたい。

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