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個人が個人として、誰もがリスペクトされる社会に――安藤優子『自民党の女性認識』

記事:明石書店

『自民党の女性認識――「イエ中心主義」の政治指向』(明石書店)
『自民党の女性認識――「イエ中心主義」の政治指向』(明石書店)

 安藤優子です。この度、明石書店さんより、2019年に博士号をいただいた論文に加筆・修正をしたものを、『自民党の女性認識――「イエ中心主義」の政治指向』とのタイトルで書籍化、6月末に出版していただくことになりました。

 折しも参議院選挙真っただ中(この原稿の執筆時)、新聞等の見出しには「女性候補過去最多」とか「女性候補初めて30%超」などの見出しが躍っており、ともあれようやく女性候補を増やす努力を各政党が取り組み始めたことに、希望の光をうっすらと感じています。もちろん、2018年に施行された「政治分野における男女共同参画法」が提案する「男女の候補者を均等に」という理念には届きませんが、同法の施行後の過去2回(2019年の参議院選、2021年の衆議院選)に比べると、与党の取り組みに明らかな変化があるように思えます。これが単なる数合わせとしての、「変化のポーズ」に終わらないことを願うばかりです。

 さて、『自民党の女性認識』は、そんな国政議会になぜ女性議員が増えないのか?という疑問を出発点に据えた研究です。そしてたどり着いたのは、ズバリ社会の女性に対する「認識」にあるとの結論です。女性に対する認識、もっと具体的に表現すれば、「女性にそそがれる視線」です。でも、それってすごく曖昧です。なので、本書では、どのような「女性認識」がどのように形成されてきたかを、戦後ほぼ政権政党として日本の政治文化を形づくってきた自民党に焦点をあてて、分析を試みました。浮かび上がってきたのは、自民党が政党の戦略としての「女性認識」を現在まで形成、再生産をしてきたという点です。

「家庭長」という名のもとに

 果たしてその「女性認識」とはどのようなものなのか。それは「家庭長」という呼び名に象徴される「イエ」に従属する、もしくは常に「イエ」の構成員としての女性に対する認識です。

 女性に与えられた「家庭長」という奇妙な役割は、1970年代に国の福祉関連負担を軽減させるために台頭してきた「日本型福祉社会論」で顕著になります。女性は「家庭長」として、家族の面倒を見て、家事・育児・介護の一切を切り盛りすることによって「家庭内安全保障」を担保する存在とされたのです。いわば、家族内で福祉を完結させる「自助」の担い手とされたのです。それぞれの家庭において「自助」型の安全保障が成立していれば、当然国の福祉予算は軽減されます。ここに、「お父さんは外でお仕事」「お母さんはお家で家庭長」の性別役割分業が固定化され、同時に女性は、妻、母、娘と常に「イエ」の構成員であるとの「女性認識」が定着していったのです。

 ここで強調しておきたいのは、「お父さんは外でお仕事」のブレッドウイナー論的性別役割分業の認識は、「日本型福祉社会論」によって初めて形成されたものではなく、戦前の伝統的役割分業論の再生産であるということと、右肩上がりの高度経済成長期の終焉による時代の要請として「経済政策」として採用されたことです。そして以来、女性は個人としての認識を放置され、「イエ」に従属する存在として認識され続けてきたのです。本書では、こうした政治指向を「イエ中心主義」と定義しています。

「イエ中心主義」がもたらすもの

 「イエ中心主義」は本書における造語です。くわしくはぜひ本書をお読みいただきたいのですが、自民党の政治指向の中核には常に「イエ」が存在します。「政党は大きなイエ」と発言したのは、大平正芳でした。大平は、その後の政権発足にあたって「日本型福祉社会」の実現を呼びかけ、家庭内自助の充実を唱えます。また「イエ」的なつながりとしての派閥組織も擁護します。「イエ」や「ムラ」といった伝統的な自助組織やそこにある価値観の再評価は、自民党の戦後保守の再生の道のりと驚くほどに重なります。そして、その流れに埋没するかのように、「イエ中心主義」に基づく「イエ」に従属する「女性認識」も、時の政党戦略の一端として再生産され続けてきたのです。

 では、この「イエ中心主義」の政治指向が実際の政治シーンにもたらすものはなんなのでしょうか。ひとつには、女性の政界進出への障壁です。さらに、「イエ中心主義」に基づく候補者選定の傾向は男性にも同様の影響を与えます。

 本書では、3回の衆議院議員選挙(2009年、2012年、2014年)で当選した議員全員のキャリアパスを調査し、主に自民党においてどのような経歴の人物が当選を果たしているかを分析しました。分析の目的は、自民党の候補者選定の傾向を明らかにすることにありました。結果、「イエ中心主義」の候補者選定の傾向がはっきりと表出したのです。

 「イエ中心主義」の候補者選定の特徴は、1)血縁継承候補の多さ、2)地元の名士などの「イエ」に連なるなどです。血縁継承とは、本書での定義で、父から子への議席継承の直系世襲に加えて、身内に政治家が存在するなどの「環境的世襲」も一緒にした分類です。こうした候補者選定の偏向は、とりわけ女性に顕著であることも判明しました。つまり、自民党においてはそれだけ女性候補者が限定的になっているということなのです。さらに踏み込んで言えば、政党とのコネクションや知名度、選挙資金などを有していない「普通」の女性が、志のみで候補者になるのは至難の業であるという事実です。そこにまずは、女性議員が増えない第一の障壁があるのです。

「ボーイズクラブ」はなぜできたのか?

 「オンナは札にならない」(票が集まらない)「女性がダンナの世話をしながら政治にコミットするのは無理」など、本書のためにインタビュー取材を行った過程で、様々な「女性認識」が、政治家のみならず一般の有権者からも語られました。「ダンナの世話をしながら」という認識は、女性を「イエ」の構成員として認識するあの「家庭長」そのものです。「オンナは24時間政治活動に専念できない」という意見もありました。では、男性が24時間なんの憂いもなく政治活動に専念できたのはなぜでしょうか。それは、「家庭長」たる女性が居たからではないでしょうか。だからこれまで鉄壁の「ボーイズクラブ」の政治を作り上げてくることができたのです。そろそろ、そのことに気づいて欲しいとの痛烈な願いを本書にこめています。

 終わりに、私がこのようなテーマと研究を続けたことの理由をつけ加えておきたいと思います。40年以上テレビ報道の世界で仕事をしてきた自分の働き方への猛省が引き金でした。完璧な「オトコ社会」であったテレビ報道の現場で、時には自分をオジサンたちに「同化」してみせたり、無害な「ペット」のように振る舞ってみたり、そうやって「同化」や「従属」の仕事様態を繰り返しながら自分の居場所をこじ開けて来たことが、今のニッポンの社会での「女性認識」のいびつさに重なる気がしたのです。

 誰もが、成りたい自分に成れる社会。誰もが、個人としてリスペクトされる社会。そしてそういう社会の在り方を牽引すべき国政の現場で女性の過少代表が続いている現実。多様性の実現という観点からも、まずは国会に女性が半分普通に存在する日本であって欲しいと心から願ってやみません。

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