子どもに世界の半分以上を与えたい。――ピンクとブルーに分けない、「ジェンダー・クリエイティブな育児」とは?
記事:明石書店
記事:明石書店
私の親戚の子の通う幼稚園では、女の子はピンク、男の子はブルーのスモックを着ることに決まっている。クラスの子どもたちを二手に分けて移動させるときに先生は、男の子はこっち、女の子はこっち、と声をかける。コロナ禍で分散登園となった際には、男女別で登園日が分けられていた。
性別で分けない50音順名簿やカラフルなランドセルが小学校で一般的になる一方で、幼児教育の段階でのジェンダーに関する取り組みが話題になることは少ない。しかし、性別に基づく偏見や制限を社会からなくすには、固定的なジェンダー観や様々なステレオタイプを刷り込まれる前の幼児たちを取り巻く環境を変えていくことも重要なのではないだろうか。
アメリカの社会学者カイル・マイヤーズの著書『ピンクとブルーに分けない育児』は、男女のステレオタイプにとらわれずに子どもを育てたいという人や、性別二元論に縛られた社会を根本的に変えるにはどうすればいいのだろうと考えている人にとって、とても刺激的な一冊である。
本書はカイルと、その夫でグラフィックデザイナーのブレントによる育児の記録だ。「ズーマー」と名付けた子どもを育てるにあたって二人が実践したのは、「ジェンダー・クリエイティブな子育て」。男の子か女の子かというバイナリー(二元論)に惑わされずに子どもが自分で自分のジェンダー・アイデンティティを発見できるように、生殖器に基づく性別を公表せず、ジェンダーを割り当てずに育てることにしたのだ。生まれたばかりの子どもがどんなジェンダー・アイデンティティをもっているかは、まだ誰にもわからない。ズーマーが自分でどんな代名詞で呼んでほしいかを伝えてくるまでは、ジェンダー・ニュートラルな「they/them」を用いる。ズーマーが生まれた翌日、カイルとブレントは、家族や友人たちに次のようなメールを送った。
私たち夫婦は、ズーマーに性別(ジェンダー)をあてがう代わりに、ジェンダー・クリエイティブな方法をとることに決めました。ズーマーには何でも体験してほしいし、ジェンダーを自由に探求してほしいのです。数年後にはズーマーはなんらかのジェンダー・アイデンティティへと自然に引き寄せられることでしょう。…ズーマーの生殖器を知った方には、どうぞそれをあなただけの心に閉まっておいてくださるようお願いします。そしてニュートラルな代名詞を使い続け、それまでと同じようにジェンダー・クリエイティブに接していただきたいのです。でもつい口が滑っても、ご自分を責めないでください。(pp.112-113)
当初はカイルたちの選んだ子育ての方法に対して、戸惑う人も少なくなかった。しかしカイルは、ジェンダー・クリエイティブな育児の目的を、ユーモアと情熱をもって根気強く伝え続けた。何よりズーマーは、男の子向けか女の子向けかなど関係なく自分の好きな服や玩具を選ぶ、のびやかな子どもに育っていった。子どもたちが次々に自分のことを「男の子!」「女の子!」と叫んでいたときに、ズーマーが「ズーマー!」と叫んでも、反論する子は誰もいなかった。
ズーマーに接するなかで、周囲の人たちは、みずからの偏見に気づき、子どもを身体の違いで分類しない環境を作るために自分たちの行動を変えようとするようになる。ズーマーの通う保育園のある保育士は、カイルにこう伝えた。
今日赤ちゃんのアートプロジェクトをしました。私は自動的に、女の子にはピンクの絵の具、男の子には青い絵の具を用意しようとして、ふと立ち止まって考えました。そして「自分はいったい何をしてるんだ! 赤ちゃんみんなに同じ色を使うべきだ!」と考え直したのです。(p.153)
温かな友人や協力者たちに恵まれる一方で、カイルとブレントは、SNSで反対派からの激しい攻撃にさらされた。生殖器に基づいて決められた性別に沿って育てられるのが自然なことであり、将来の幸福につながっていると考える人からすると、ジェンダー・クリエイティブな子育ては、子どもに悪影響を与えるもののようにも思えるのかもしれない。しかし、カイルは次のように力強く述べている。
私がジェンダー・クリエイティブな子育てを実践しているのは、それが世界をより良い方向に導くと信じているからです。ジェンダーをなくそうというのではありません。ジェンダーに基づく差別、格差、暴力をなくすことが目的です。ジェンダーレスな世界を作りたいのではありません。ジェンダーフル〔ジェンダーに基づく社会規範にとらわれない人やものごと〕な世界を作ることに貢献したいのです。(p.11)
ジェンダー・クリエイティブな子育てを徹底的に行うのは難しいかもしれないが、性別にとらわれないというそのエッセンスを取り入れることはできる。生物学的な特徴に基づく性別によって子どもを管理するのは楽かもしれないが、それでは未来は何も変わらず、ジェンダー規範を再生産することになってしまう。
私は子どもに世界の半分以上を与えたいのです。男女どちらかの売り場ではなく、すべての洋服やおもちゃから選びたいのです。すべての色、すべての遊び、すべての絵本を与え、ズーマーのために、すべての形容詞を使い、すべてのポジティブな経験と機会を与えたいのです。(p.15)
私たちがジェンダー・クリエイティブに育てられていたなら、どんな選択肢があっただろうか、どんな世界が見えていただろうか。今からでも遅くない。ズーマーと関わった人たちのように、性別をはじめとする属性に基づいて人を決めつけるような言動を見直し、少しずつ変えていけば、より豊かな世界が見えてくるに違いない。
文:辛島 悠(明石書店)