なぜ一つの国であり続けられるのか――ベルギーの歴史を紐解く
記事:明石書店
記事:明石書店
ベルギー王国とはどのような国なのだろうか。近頃は、わが国でもベルギービールを出す店やベルギー料理店をしばしば見かけるようになった。また、バレンタインデーの頃には、大型デパートに老舗のゴディバや、最近ではピエール・マルコリーニやヴィタメールなど気鋭のベルギーチョコレート店が並んでいる。少し前にはベルギーワッフルのお店に行列ができたこともあった。案外に身近な国である。ベルギーの首都ブリュッセルにある世界遺産で、フランスの作家ヴィクトル・ユゴーが「世界で一番豪華な広場」と称したグラン・プラス(「大きな広場」の意味)の片隅のカフェで、早春の空を眺めながらビールを味わうときほど、静かに自分と向き合える至福のときはない。また、欧州連合の本部機能がブリュッセルに集中しており、「ヨーロッパの首都」と呼ばれることも多い。
こうした食文化や世界遺産のイメージとは逆に、この国は近年「テロの温床」という、あまりよろしくない呼び名まで戴くようになった。2015年から2016年にかけてヨーロッパで多発した、イスラーム国(IS)がかかわるテロの多くが、ベルギー、ブリュッセルを拠点にするイスラーム過激派と、その信奉者によるものであったと言われている。2016年3月22日には、まさにそのブリュッセルで連続自爆テロが生じて、200名以上が死傷した。中世以来の古い町並みを残す美しい国ベルギーは、テロリストの拠点という恐怖の国になった。相反するイメージが、この国を覆うようになったのだ。
地理的にみると、この国は周りをイギリス、ドイツ、フランスといった大国に囲まれている。面積はおよそ3万平方キロメートルで、日本の四国と同じくらい。人口は1100万人で、東京都の人口を少し上回る程度の小国である。小国であるが、経済的には医薬品や自動車関連産業を中心に豊かで、国民1人当たりのGDPはドイツやイギリスと並び、この数年は日本よりも上位にランクされている(2016年)。新型コロナウイルスのワクチンがベルギーで製造されているというニュースを聞かれた方も多いのではないか。わが国の企業では、トヨタの欧州本部やダイキンの工場がベルギーに進出した。
「ベルギー」という名前は、ローマ時代にこの地を征服したカエサルが最も手こずった、「勇敢な民族」の名ベルガエに由来すると考えられているから、歴史的な起源はとても古い。しかし、ローマ帝国の支配後も、この地は長くブルゴーニュやネーデルラントの一部でしかなかった。イギリス、ドイツ、フランスに囲まれているので、軍事、交易の拠点として、時の大国たちはどうしてもこの地を手に入れようとした。争いも多く、数々の歴史的な戦場にもなり、多くの血が流れた。
様々な国の支配が続き、この地を様々な人びと、国の利益や思惑が往来した。ナポレオン戦争後の1830年になってようやくこの国は独立を果たしたが、長きにわたる、また様々な国の支配の結果、多言語、多文化を抱える国となった。当時のエリートは、自分たちが用いるフランス語1言語のみを公用語にした近代国民国家の形成を目指したが、人口で勝るオランダ語を話す人びとが抵抗し、1言語化は失敗した。
結局、この国は地域によって公用語が異なる多言語国家となっている。北部はオランダ語を話すフランデレン地域。南部はフランス語を話すワロニー地域。加えて人口は国の0.5 %にすぎないが、第1次世界大戦後、敗戦国のドイツから「ドイツ語圏」を割譲され、これが国の南東部に位置している。さらに地理的には北方のフランデレン地方に位置するが、8割以上の住民がフランス語を話す首都ブリュッセルは、特別に両語圏とされている。ただし、ベルギー全体で見ると、人口比はオランダ語話者の方が6対4で多い。複雑な言語状況を抱えている。
独立以来、特にワロニー地域とフランデレン地域の関係は必ずしも良好とは言えない。これがベルギーを悩ませている「言語問題」だ。「多文化」と言えば聞こえは良いが、悪く言えば「まとまりに欠ける」。長く分裂したまま、それでも存続する国。もしくは、存続しながら、分裂の契機を常にはらむ国。では、なぜ、そしてどのようにして、この国は出来上がったのか。そしてなぜ存続できているのか。本書はこれらの問いを、歴史を読み解きながら、できるだけ簡潔に明らかにしようとしている。
少しヒントを書いておくと、「多文化」で「まとまりを欠いた」が、それでも一つの国であり続けようとするために、この国では国王が特別な役割を担ったり、統治制度を工夫したりしてきた。この国の歴史の焦点は、こうした工夫を見ることにある。しかし、これらの工夫が必ずしもうまくいっていないようにも映るのも、この国の歴史の妙味である。いとも簡単に多民族、多文化、多言語の国をまとめる方法などないのだ。こうした国の苦悩の歩みから、私たちは、従来の「国境」や「国民」などの前提が崩れ去っている、グローバル化時代の国家のあり方、その可能性を考えることもできるはずだ。
実際に、特に最近になって、この国は「なぜ一つの国であり続けられるのか」と問われることが多くなった。今やヨーロッパは、イギリスのEU離脱、スコットランドやカタルーニャの独立運動など「分離」の様相を呈している。ベルギーもその一つとして動向が注目されている。こういう意味で、地理的に西欧の中心に位置し、古くから多くの人びとが往来し、多言語で構成され、時にその対立に苛まれ、それでも一つであり続けようとするベルギーは、現在のヨーロッパが抱える問題を代弁する「縮図」と言われることもある。
先に「できるだけ簡潔に」と記したが、あまりに簡潔に書き上げようとすると、視点を絞り込まなくてはならない。本書は、50の章といくつかのコラムに分けて――ゆえに一気に書き上げるのではなく――通史を記述することで、視点を絞り込みすぎず、多様で奥深いベルギーの姿を読者に提示してみたい。そして「多文化」の魅力と可能性も論じていきたい。「ベルギーとはこんな国だ」と言い切りすぎず、この国の複雑な背景を示して、この国が背負った運命(と言うと大げさだが)と魅力を伝えようと思う。以下、構成上、特に配慮した点を記しておきたい。
第1に、本書はベルギーの歴史を解説するけれども、類書よりも独立前の歴史にページを割く。今を知るためには、過去に学ばなければならない。その古(いにしえ)の時代、ベルギーは時の覇権国の統治下にあり続けたが、現在のベルギーの人たちは、その時代でさえ自国の歴史として誇ることが多い。こうした古の時代が現在のベルギーに遺したものを考えたい。
第2に、1830年に独立を宣言した後も、第2次世界大戦以降、欧州統合の歩みのなかで、ベルギーはルクセンブルク、オランダとともに「ベネルクス」として一括りにされてきた。これは今でも変わらないし、これもベルギーの人たちが誇る点だ。また、前述の通り、「ヨーロッパの首都」など「欧州連合」の枠組みのなかで把握されることが多い。常に「何かの一角」を占めて「何か」の歴史と同一視されることが多いのが、この国の歴史の特徴だ。この本は全体として、ローマ帝国のなかのベルギーや、先のブルゴーニュ、ネーデルラント、ハプスブルクやベネルクスのなかのベルギー、ヨーロッパにおけるベルギー、などベルギーを取り囲む状況や国際関係のなかで、ベルギーという国を考えるという視点を常にもち続ける。
第3に、冒頭に記した通り、現在のベルギーが、特に首都ブリュッセルの移民集住地区が「テロの巣窟」、「テロの温床」などと国際的に非難されている点を無視はできない。本書の後半では、ベルギーが「テロの温床」と化すことになった点に注目したい。
多くの場合、旅行に行こうと準備される方や、学問上の必要性からこの本を手に取る方がおられると想定している。また筆者のように、もともとビジネスの必要があってベルギーにかかわりをもつ方が本書を手に取るだろうと思う。かつての自分のような、その方々を思い浮かべながら、本書を執筆した。本書を手にした方とベルギーのかかわりが一層実り豊かなものになりますように、と祈りつつ。