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極右のディスコースの恥知らずな常態化――批判的談話分析からのミクロ・ポピュリズム研究

記事:明石書店

『右翼ポピュリズムのディスコース【第2版】――恐怖をあおる政治を暴く』(明石書店)
『右翼ポピュリズムのディスコース【第2版】――恐怖をあおる政治を暴く』(明石書店)

ヨーロッパにおける極右ポピュリズムの伸張

 ヨーロッパにおいて極右ポピュリズムの躍進が続いている。

 2022年9月、高福祉国家として知られるスウェーデンの総選挙で、多文化主義反対を唱えるスウェーデン民主党が第二党へと躍進を果たした。初の国政進出からわずか12年で、閣外協力とはいえ政権を担うまでの存在となった。その2週間後に実施されたイタリア総選挙でも、ネオ・ファシズム政党として知られたイタリア社会運動の流れをくむ政党であるイタリアの同胞が勝利した。党首のジョルジャ・メローニがイタリア初の女性首相に就任し、主要7カ国で初の極右政権の誕生と話題をさらった。

 また、これらの選挙に先立つ4月にも、フランス大統領選挙で、国民連合(旧国民戦線)のマリーヌ・ル・ペンが決選投票でエマニュエル・マクロンに再度敗れはしたものの、5年前の選挙からは得票率の差を15ポイント以上縮める接戦を演じていた。この選挙には「人種主義者」とも称されたエリック・ゼムールが立候補していたこともあり、フランス政治の右傾化をことさら鮮明に印象づけることになった。

 こうした一連の流れは、極右ポピュリズム政党の「脱悪魔化」――政党イメージの穏健化――戦略が奏功した結果であると同時に、主流の既成政党――特に国家保守政党――も極右ポピュリズム政党の主張の一部を自らのアジェンダとして取り入れたことの結果でもある。極右ポピュリズム政党はもはや周辺的な存在ではなく、各国においてその存在や政策は急進的でも周辺的でもない「新しい常態」となっている。

批判的談話研究とコード化された言葉

 ポピュリズムは、近年、現実政治の動向に呼応する形で政治学の分野で精力的に研究がなされ、日本語で読める文献も数多く刊行されている。そうしたポピュリズムという政治現象の構造的な説明や解明を志向するポピュリズム研究に対して、同じくポピュリズムを題材としながらも、極右ポピュリズムのミクロ政治やそれに関連するレトリックの分析に焦点を当てた批判的談話研究(critical discourse studies)――批判的談話分析(critical discourse analysis)とも呼ばれた(る)――をおこなうのが本翻訳書である。

 批判的談話研究は、分析を通してディスコースの背後に潜む、あるいはそのディスコースが前提とするイデオロギーや権力関係(排除、差別)などを白日のもとにさらすことにひとつの特徴がある。この点において、批判的談話研究は極右ポピュリズム政治家が間接的かつ巧妙に用いる「コード化された言葉」で構成されるディスコースの解体に真骨頂を発揮する。

 たとえば、利害を異にする多様な聴衆に同時に語りかける目的で、あるいは責任の所在を曖昧にする目的で、「計算された両義性」のストラテジーが駆使される――そうした政治スタイルはかつてのオーストリア自由党の党首、イェルク・ハイダーの名にちなんで「政治のハイダー化」と呼ばれる。また、否定、被害者と加害者の反転、スケープゴート化、陰謀論の構築などのディスコース・ストラテジー、さまざまな語用論的装置(ほのめかし、推意、推論、前提など)や論証スキームが、各国の異なる歴史や集合的記憶、経験に即して組み合わせられることで、「私たち」と「彼ら」という単純な二分法が作りあげられ、「他者」の排除や差別が正統化されている。

恥知らずな常態化

 しかしながら、近年のポピュリズムの動向を理解するうえでより重要なのは、そうした間接的な「コード化された言葉」と同時に、より露骨で攻撃的な言葉――だれがどうみても人種主義的/イスラム嫌悪的/女性蔑視的/排外主義的な言葉――が政治空間でみられるようになったということである。具体的には、マナー違反や意図的なインポライトネス、破壊的論法、欺瞞や嘘、デマの拡散などである。分かりやすいところでは、トランプ前大統領の発言やツィートを思い起こしてみればよい。

 このことが示しているのは、かつては公の場で「言ってはいけない」とされていた――であるからこそ「コード化」された――ことが、現在では「言っていいこと」の範疇にあると(あくまで一部の人々には)感じられるようになっている。つまり「常態化」したということである。いかなる規範やタブーからの逸脱ももはや包み隠すことが必要とされない。

 こうしたむきだしの排除や差別のディスコースでなくても、かつては極右の専売特許と考えられていたディスコースや政策を、主流の既成政党が自らのものとして取り入れた例は広くみられる。そうした既成政党がある種のお墨付きを与えることで成立する「常態化」を示す興味深い例をひとつ、本書のなかから紹介したい。以下にあげた3枚の画像(本書の画像6.2-6.4)はいずれも選挙ポスターであり、「私たちの言葉を話す男(Einer, der unsere Sprache spricht.)」とのスローガンがみられる。それぞれ上から1999年のオーストリア自由党のイェルク・ハイダー、2019年の同党のヘルベルト・キクル、そして同じく2019年の国民党のセバスティアン・クルツの選挙ポスターである。すなわち、彼我を分かつ極右に特有のディスコースが20年を経て極右ポピュリズム政党内で受け継がれているとともに、中道の既成政党へと再コンテクスト化されるという「常態化」の過程が跡づけられるのである。

恐怖をあおる政治の今後

 極右ポピュリズム政治家はディスコースを通して「他者」の排除を正統化するが、多くの場合、そこでは人々の「恐怖」が利用される。

 2022年2月24日にはじまるロシアによるウクライナへの侵攻――原著の刊行後であり本書では扱われていない――は、そうした「恐怖をあおる政治」の格好の糧となりうる。その傾向はすでにみられる。核攻撃や侵略への「恐怖」が、移民の存在とは異なる観点から、安全保障化のディスコースを補強している。また、エネルギー危機――具体的には凍えることや飢えること――への「恐怖」が、原発を「グリーン」なエネルギー源と位置づけるディスコースを補強している(ただし原子力を持続可能な活動に含めること自体はロシアの侵攻直前に欧州委員会がEUタクソノミー委任規則案で示していた)。それは、国家/人類の持続には防衛産業/原発が不可欠であるとする、いわば「持続可能性/サスティナビリティのトポス」を用いたディスコースであるとも言えるだろう。過去において人類が着実に積みあげてきた「非核化」や「脱原発」の歩みをひとまとめに反転させかねない破壊力を秘めている。

 日本もこうした流れとけっして無縁ではない。原書の刊行と前後して、日本では「強弁する」から「何も語らない」へ、そして「聞くだけ」へと、政治(コミュニケーションのスタイル)は目まぐるしく「変化」した。そして現在、防衛力の強化(敵基地攻撃能力の保有など)や防衛費の大幅増額(とその財源確保のための増税)、原発の再活用(再稼働、運転期間の延長、停止年数の運転期間からの除外)をめぐる議論がかまびすしい。そこではロシアの侵攻、あるいは近隣諸国に由来する「恐怖」が巧みに利用され、「現実への対処」の必要性として人々の「常識」への訴えかけがごく日常的にみられるのである。


 原書はWodak, Ruth (2021) The Politics of Fear: The shameless normalization of far-right discourse. 2nd ed., Sage.である。また、原書初版は2015年に刊行され、その邦訳書は『右翼ポピュリズムのディスコース―恐怖をあおる政治はどのようにつくられるのか』(明石書店、2019年)として刊行されている。

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