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空間から戦後を問う ――『戦後空間史』(筑摩選書)

記事:筑摩書房

戦後空間研究会編『戦後空間史』(筑摩選書)書影
戦後空間研究会編『戦後空間史』(筑摩選書)書影

個人の生活の変化が大きい戦後以降

 たとえば家庭にガスコンロが普及するのは戦後、1950年代のことであった。それ以前はもっぱら炭・練炭・薪などが炊事の熱源であり、この変化によりキッチンの風景は大きく変わった。なにもかも黒ずませる煤はもうない。カマドもない。キッチンセットがキッチンの主役になった。それ以前の生活を実際に経験した世代にとって、そんなことはほかにもたくさんある日常風景の変遷の一例に過ぎず、とりたてて言うまでもないことだった。しかし以後の世代にとって、それ以前の生活がそんなにも違っていたことを意識する機会は稀だった。そのあいだには意外に大きなギャップがあり、あらためてそのことを意識する時、文字通り隔世の感を覚える。

 1945年の終戦はもちろん大きな国家的・政治的な変化であった。しかし個人の生活の変化においては、戦前・戦後の変化よりも、戦後以降の変化のほうがむしろ大きかったのではないか。高度経済成長期、オイルショックの時代、バブル期、そして現在にいたる、この70年あまりの変化は甚だしく、きわめて起伏に富むものだ。

 近年「物質文化」に着目することで歴史を捉えなおす試みが広く行われるようになった。生活にともなう衣食住の品々の変化を具体的に追いかけてみることは、とりわけ近代の実相を検証するうえで強力な説得力を持つ。ジョルダン・サンド『帝国日本の生活空間』に代表されるそうした仕事は、しかし身の丈スケールを捉えるのは得意だが、もう少しスケールを大きくしようとすると切り口が難しい。本書はそうした意味で、建築・都市のスケールを捉えるために、まず「空間」を手がかりとすることで、戦後という時代の実相を具体的に捉えようとするものだ。建築の専門家である著者たちにおいては、いくつかのテーマを設定することで戦後の社会を支えていた空間を再構築する、そんな試みとも意識されていた。

〈民衆・伝統・運動体〉、〈技術・政策・産業化〉、〈革新・市民・広場〉、〈バブル・震災・オウム真理教〉、〈賠償・援助・振興〉、そして〈都心・農地・経済〉。建築の領域だけでは見えてこない戦後の空間の実像を具体化するため、多様な切り口が選ばれた。われわれの経てきた過去を総合的に捉えたいと意気込んで、やや欲張りすぎた気配もないではない。しかしその多面性の向こうに戦後の隔世が浮かび上がってくる感触はある。

 その視界はさほどクリアではない。むしろ解きほぐしてみてもなお残る、こんがらがった網の目のようなものと対峙することとなった。時代の制約のなかでなんとか折り合いをつける試行錯誤が見えてきて、その折々の止むに止まれぬ事情も理解できるような気がする。だがその一方で、積み残された問題が浮かび上がる。それが結局、現在の我々に突きつけられている。戦後の急速な社会変動の無理が生んだ歪みは大きく、この社会にあまねく浸透しており、そう簡単に解決できるものではない。

戦後空間研究会編『戦後空間史』(筑摩選書)書影
戦後空間研究会編『戦後空間史』(筑摩選書)書影

戦後史を改めて考え直す

 戦後史を綴る試みは各分野で現在進行中だ。そんななかでこれまで建築・都市分野は出遅れていただろう。巨大な変化が起きた分野であり、その検証が必要なのは明らかだ。そしてその変化はまた戦後史の趨勢を即物的に条件づけるものですらあった。本書はそんなパズルの欠落したピースを遅ればせながら埋め、戦後史を改めて考え直す手がかりとなるはずだ。

 多くの人々の顔がそこに浮かび上がる。ストーリーとしての歴史よりも、具体的な空間がそこに描かれるから、そこで生きた人々の姿も見えてくるのだろう。過去を確かめ、今をあらため、見失われてきた問題を見定める。我々がいかなる場所に立ち、どのような空間に生きているのか、それが問われている。

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