「人生百年時代」という未知の旅へ――五木寛之『新・地図のない旅Ⅰ』
記事:平凡社
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最近の若い人は、などという言い方をしばしば聞くことがある。
世代のちがいというものは、たしかにあるものだ。しかし昔の人、とか、今どきの人、というふうにひとくくりにするのは間違いだろう。
本の出版の仕事を担当してくれた若い編集者がいた。大学を出て数年しかたっていない新人である。仕事のほうは少し頼りないが、感心したことが一つあった。
原稿が一段落ついて、街の食堂で一緒に夕食をとったことがある。ちょうど秋刀魚の季節で、焼魚定食にしたのだが、びっくりする位に箸さばきが綺麗なのだ。食べ終えたあと、魚の骨が標本のように見事に皿に残っている。
「若いのに、魚を上手に食べるなあ」
と感心したら、照れくさそうに笑って、
「母親が魚の食べ方にうるさかったものですから。なんでも祖母から厳しくしつけられたんだそうです」
「なるほど。おばあちゃんゆずりの箸さばきか」
そのときふと思ったのは、最近なにかと話題の多い、相続という問題だった。
このところ雑誌や新聞、またいろんなセミナーなどで相続をテーマにしたものが、やたらと目立つようになってきた。もちろん親から子への遺産相続の問題である。
団塊の世代数百万人が、一斉に後期高齢者の仲間入りをする日が近づいているのだから当然だろう。
しかし、相続というのは、はたして土地や金銭だけのものだろうか。
私は両親から何も相続しなかった。借金を相続しなかっただけでも幸運だったと、ひそかに思っている。
しかし、よく考えてみると、不動産や動産以外の、つまりモノ以外のいろんなものを受けついでいることに最近気がついた。たとえば喋り方。
私の両親は福岡県の筑後地方の出身だった。そんな家庭に育ったせいで、私の言葉づかいにはその地方のアクセントやイントネーションが、はっきりと残っている。
父親からは詩吟と剣道を教わった。いまでもふと漢詩の一節を口ずさんだりするのは、父から相続したものである。
本を大切にした父親は、子どもの私が本をまたいで通ったりすると、ぴしゃりと足を叩いたりした。読みさしの本のページを折るのを〈ドッグ・イヤー〉といって不作法なことだと教えてくれたのも父である。
母親から受けついだのは歌や音楽を楽しむことだった。オルガンが上手な女教師だった母は、西條八十や、北原白秋や、野口雨情などの歌をたくさん教えてくれた。軍歌全盛の時代にである。残念ながら魚の食べ方は教わらなかった。
あげていけばきりがない。私たちは目に見えない財産を、山ほど両親から相続して生きているのだ。不動産や貯金だけを相続するわけではない。喋り方から箸の持ち方までを受けついでいると言っていい。考えてみれば、歴史というのも、そうなのではあるまいか。
第Ⅰ部 日常への旅
扁平足と「わらじ足」/二歩近づけば二歩さがる/健康は命より大事か/「マサカ」と呟きながら/これもサギ、あれもサギ/川柳と日本人のこころ/人はカラダと二人連れ/人生、適当も悪くない/お世辞とハサミは使いよう/趣味としての養生とは/右往左往しつつ生きる/縮む体と縮まぬこころ/医師と患者のあいだには/いま験されていること/人はなぜ忘れるのか/メダカよ、元気に泳げ/現代の臨終行儀とは/最終ランナーの呟き/読めても書けない字/百歳人生と百億人口/手垢、目垢のありがたさ/琴線に触れる言葉/……
第Ⅱ部 記憶への旅
私たちが相続するもの/語ることと聞くことと/井上ひさしさんと靴下/「不語似無憂」という言葉/美空ひばりと羽仁五郎/私は古い物を捨てない/お国訛りはなおらない/どんな時代にも人は/歌いながら歩いてきた/おれはしみじみ馬鹿だった/酒はこれ忘憂の名あり/ズボンの幅と消費税/蓮如の伝承の残したもの/『青春の門』の五十年/外国語の瞬間上達法/ふるさとに歌ありて/インドに呼ばれる人たち/喫茶店とカフェの時代/明治も今も変わらない/面授の師、その他の師/昭和歌謡の裏おもて/馬に失礼な言いかた/……
あとがき