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障害福祉にまつわるモヤモヤが止まらない…。障害当事者・支援者、両方の立場で著者が問う

記事:明石書店

『ADHDの僕がグループホームを作ったら、モヤモヤに包まれた――障害者×支援=福祉??』著者の山口政佳さん
『ADHDの僕がグループホームを作ったら、モヤモヤに包まれた――障害者×支援=福祉??』著者の山口政佳さん

「障害のある当事者も家族も支援者も……
なんだかみんな苦しくなってない??」

 「つい、“障害に甘えてしまう”僕ら」「水と空気と福祉と権利はタダ?!……じゃないよね」見出しの文言にドキッとする。

 著者である山口政佳さん(48歳)は、24歳の時にADHDの診断を受けた。それまで、うまくいかないことの連続に鬱屈とした日々を送ってきた。そして、障害のある自分を受け止めて生きると前を向いてからも、壁にぶつかりぶつかり歩んできた。そんな彼は「障害のある自分が何かの役に立てば」とピアカウンセリングを学び、障害福祉に支援者として足を踏み入れる。そして「自分が住みたくなる楽しい場所を作りたい」と、仲間とグループホームまで立ち上げてしまった。

 福祉現場に身を置いた彼は、“言いようのない気持ちの悪さ”=“モヤモヤ”に包まれ、それは増すばかりだった。そのモヤモヤとは、例えばこんな疑問や違和感から来ている。

「やってもらって当然」「やってあげて当然」ってなんかおかしくない? 周囲の人たちが、当事者の思いを「代弁」と言いながら「変換」しちゃってないかなあ…。みんなが痛い思いをしているんじゃない?
(本文より)

 障害を理由に理不尽な要求までも通そうとする当事者やその家族の姿。悪いことをしても「障害があるからしょうがない」と、本人不在で解決されてしまう支援会議の場面。当事者の経済の自由は本来保障されているはずなのに、勝手に周囲の人が管理していいの?という疑問。難題を抱え込んで疲弊していく支援者のしんどさ。

 障害当事者・家族・支援者それぞれのありように対して湧き上がる疑問や気持ち悪さが募り、「ここは障害のある僕が生き続けられる場所なんだろうか?」という不安や怒りが山口さんを突き動かした。「このモヤモヤを形にしたい。本を作って『どう思う?』『これって当たり前なの?』と多くの人に聞いてみたい」と。

 元主治医で児童精神科医・北海道大学名誉教授の田中康雄さんに相談したら、出版社と編集者を紹介され、そこから約5年がかりでこの本が作られた。田中さんは、本の中でゲストとして登場し、山口さんとの対話を繰り広げていく。

山口さんの「脳内メモ」
山口さんの「脳内メモ」

答えもノウハウも載っていない。
「鴨抜き方式」の本

 プロローグで、山口さんは清々しくこう宣言している。「これはノウハウが得られる本ではありません。読んでくださった方の中に何かしら“モヤモヤ”と“ザワザワ”が残ればうれしいです」

 ゲストの田中さんも、この本は当事者の告白本でも指南書でもなく、支援現場にいる(発達障害の)当事者であり支援者でもある山口さん個人が抱えている、関係性のありようへの戸惑いや揺れをテーマにしており、それに読者は共感したり違和感をかんじたりするだろう、と冒頭で述べている。

 本書は「障害者のありようとは?」「周囲にいる人たち(家族や支援者など)のありようとは?」「当事者も支援者もハッピーでいられるためには?」という3テーマで章立てされ、各章の構成は、山口さんの言葉を借りれば「鴨抜き方式」になっている。

 鴨抜きとは、鴨南蛮蕎麦の蕎麦以外をつまみとして先に食べ、〆にそのつゆで蕎麦を食べるというアレだ。章ごとに、これまた山口さんによれば、まず近視眼的な山口さんの脂っこい想いが綴られ(鴨肉)、その想いや章のテーマにつながるいくつかのエピソードに対する山口さんと田中さんの感想が続き(ネギ)、最後にそのすべてのエキスが溶け込んだキャッチトーク(蕎麦)が展開されるという構成になっている。キャッチトークでの山口さんと田中さんのやりとりは、元主治医と患者という関係性も垣間見えつつ、それぞれの場所で奮闘する同志としての意見交換もあり、ジョークも交えながら濃厚な対話が展開されており大変興味深かった。

著者のモヤモヤとの対話は、
読者の日常にも繋がっていく

 障害当事者・支援者、両方の実感をもつ山口さんだからこそ発せられる言葉にはパワーがある。きっととても感覚が鋭く、素直な人なのだろう。例えば、福祉の現場で、支援する相手や同僚に対して口にするには勇気がいるような疑問や、障害当事者だと周囲に対してどう表現していいか分からずにこんがらがってしまうような想いを、ストレートに説得力をもって投げかけてくる。

 読み進めるうちに、山口さんのモヤモヤは読者に伝染し、自分だったらどう考え、行動するだろう?と立ち止まり思い巡らす。そして、そのモヤモヤは福祉現場に限らない私たち読者の日常にも通じるものだと気づく。

 例えば、今私は育児奮闘真っ最中であるが、「失敗やつまずきだって、その人のもの」という山口さんのメッセージにハッとさせられた。まだ子どもが小さいからと先回りして痛い思いを取り除いてばかりで、子ども自身の自主性や体験から学ぶ機会を奪っていないかと。また、紹介されているエピソードは、自分と誰かの関係性にも投影できる部分があるということも感じた。この本に書かれているモヤモヤは、実は生きる上で誰もが感じる普遍的なモヤモヤなのかもしれない。

山口さん(左)とライブ会場で知り合った少年・大祈くん。撮影者:遥祈
山口さん(左)とライブ会場で知り合った少年・大祈くん。撮影者:遥祈

 これまで無意識に、もしくは「だって、それ当たり前じゃん」と疑うことすらしてこなかったことって、本当に当たり前なの?と疑う。「それ、モヤモヤしないの?」「どんどんモヤモヤして考えてみようよ。誰かと話してみようよ」という山口さんの声が聞こえてくるようだ。

 この本を読んで、福祉関係者や障害当事者・その家族の方たちは、このモヤモヤは自分だけが感じているわけではなかったんだと感じるかもしれないし、反発や違和感をかんじてまた違うモヤモヤに包まれるかもしれない。また、先ほど述べたように、福祉関係者ではなくても、自分の生活や仕事の中で感じるモヤモヤとシンクロするものを感じる方もいるだろう。大事なのは、そのモヤモヤはどこから来ているのかを一度立ち止まって見つめ直してみることじゃないだろうか。そこからまた見えてくるものがあるはずだ。そんなふうにモヤモヤが波及していくことを、山口さんはきっと願っている。

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