移民とLGBTを「敵」とするロジック 「裏切られた」という感情の淵源を探る旅[後篇]
記事:白水社
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現代のナショナリズムの勃興を考えるとき、欧州で最もそれが鮮明な国の1つが中欧のハンガリーだ。
強権的な政治手法が欧州内でも批判を集めてきたビクトル・オルバン首相率いる右派政権はこのころ、「反LGBT」の傾向を鮮明にしていた。2021年11月末、オルバン氏率いる右派政党フィデス・ハンガリー市民連盟など与党連合が約3分の2の議席を占めるハンガリー議会は、性的少数者をめぐる国民投票の実施に関する案を採択した。投票では、公教育の場で親の同意なしに未成年が性的指向について学ぶ機会を持つことや、性的指向に影響を与えるメディア情報を未成年に対して制限なしに与えることなどについて、国民に是非を問うという。
国民投票は22年春に予定されている総選挙と同日に実施するとの観測が強まり、反LGBT的な保守層を刺激し、そうした層の票の積み上げによって選挙戦も有利に運びたいという政権の思惑を指摘する声もあった。
オルバン政権はなぜ今、性的少数者をねらい撃ちにするのか。毎日新聞はこのころ、世界各国の少子化の状況をつぶさに報じるキャンペーン報道を行っており、この取材のために私はハンガリーに行くことになった。少子化問題に加え、反LGBTの背景を現場で探り、学者の論考を参照すると、ハンガリーだけでなく、中・東欧各国に広がる「反グローバリゼーション」とナショナリズムの意識が見えてきた。
欧州メディアによると、バラージュ・オルバン首相府副大臣は議会で「ハンガリー政府は、ジェンダー・プロパガンダの問題に対して意思を表明するための機会を市民に提案する。われわれは、親の同意なく、NGOやメディアの支援によって行われる学校でのLGBTプロパガンダに『ノー』を言わねばならない」と述べた。国民投票を通じてLGBTなどの権利擁護や性的少数者に対する理解を広げようとする市民グループやメディアに打撃を与えたい意向は明らかだ。
なぜこのような投票が行われることになったのか。
「ハンガリーは西側の左派の攻撃から自衛する。彼らは家族という概念を相対化しようとすることで伝統的家族を攻撃しており、その際のツールがLGBTやジェンダーのロビー団体だ。彼ら(LGBTなどの団体)はとくに子供たちを標的にしている」。21年9月、首都ブダペストで開かれた国際会議「ブダペスト人口問題サミット」の席上、オルバン氏は自身の考えをこう披歴した。西欧型の自由民主主義(リベラリズム)に対抗し、「非自由民主主義(イリベラリズム)」を標榜し、シンガポールやロシアをモデルにした国家建設をめざすとも語るオルバン氏は、性的少数者をリベラリズムの価値観が具現化した「敵」と認識しているようだ。
オルバン政権は近年、矢継ぎ早に性的少数者への圧力を強めている。20年5月には、心と体の性が一致しないトランスジェンダーの人びとについて、誕生時に公的書類に明記した性別からの変更を許さない法を成立させ、同年12月には、同性カップルが養子を持つことを事実上禁じる法を通した。さらに21年6月、未成年向けの教材や広告、映画などで同性愛の描写などを禁じる法案が議会で可決された。
この法に対して、EU加盟国からは批判が相次いだ。欧州メディアによると、フォンデアライエン欧州委員長は新法を「恥ずべきもの」と呼び、「新法は明らかに性的指向をもとに人びとを差別しており、EUの根本的な価値観に反している」と非難。オランダのルッテ首相はEU首脳会議の席上、オルバン氏に対し、「(欧州の価値観が)嫌いならEUを去るべきだ」と発言した。同性愛者であることを公言しているルクセンブルクのベッテル首相は「EUにはヘイト(憎悪)、非寛容、差別の余地はない」とツイートした。
一方、ハンガリー政府はこういった批判に対し「法は子供の権利を守り、親の権利を保障するもので、18歳以上の性的指向の権利には適用しない。いかなる差別的要素も含んでいない」と反論した。だが、「性的指向で差別するために子供の保護を口実に用いている」(フォンデアライエン氏)との批判的な見方は西欧で根強い。[中略]
「反移民」「反LGBT」の動きはハンガリーだけにとどまらない。近隣のポーランドでも、右派与党「法と正義」が同様に、移民や性的少数者を敵視する姿勢を打ち出している。移民や性的少数者への敵視へと導く何か共通のロジックが中・東欧に存在するのだろうか。
読み解くためのヒントを与えてくれたのは、ここまでたびたび触れてきたブルガリアの政治学者、イワン・クラステフ氏の著書『アフター・ヨーロッパ』である。
クラステフ氏はこの中で、移民問題を21世紀における「革命」と位置づけ、自分たちの生活様式が外国人によって脅かされ、国が乗っ取られると恐れを感じる欧州の多数派市民が、一大政治勢力になったと指摘した。
【After Europe | Interview with Ivan Krastev】
クラステフ氏は、中・東欧で移民に対するネガティブな感情が広がることは、以下の3点を考慮すれば本来「奇妙」な現象だと指摘した。その3点とは①20世紀、中・東欧の人びとは自分たちが海外に移り住むことにも、流入してくる移民の世話をすることにも相当な経験を有していた、②実際には中・東欧に定住する難民は少ない、③冷戦崩壊後、中・東欧諸国から海外に渡る人が多く、人口減が進んでいるため、中・東欧諸国は経済的に外からの移民を必要としている──というものである。
ではなぜ、中・東欧の人びとに移民を忌避する傾向が生まれるのか。
クラステフ氏は、中・東欧の現在の国々には、ドイツ、オーストリア=ハンガリー、ロシアといった欧州大陸の帝国の崩壊に伴って生まれたという共通の「出自」があると指摘。もともと西欧では多民族が調和的だったが、中・東欧では多民族の帝国の崩壊に続いて、民族性が均質な国家が形成されたと説明した。このため、中・東欧の人びとにとって民族多様性の回復は、過去の混沌とした時代に戻ることと解されるのだという。
また「難民危機によって東欧の人びとはEUが基本に据えるコスモポリタン的価値観を脅威として見るようになった」とし、中・東欧に広がる難民敵視は「中欧版のグローバリゼーションへの大衆の反抗」の表れだと分析した。
さらにクラステフ氏は帝国の崩壊などの歴史的要因だけでなく、冷戦崩壊と自由化・民主化の過程を経て中・東欧の人びとが抱え込むことになった不信感なども要因に挙げる。移民流入や不安定な経済状況の中で、多くの東欧人が豊かさや社会の安定といった「EU加盟がもたらすと思った願いが、裏切られたと感じたのだ」と言う。そして、東欧人のグローバリゼーションへの反応はトランプ前米大統領を支持した米国の労働者らのそれと同じで「両者とも自分たちが忘れられた敗者だと思っている」と断じた。
クラステフ氏の論考は、以前に私がハンガリー出身の英ジャーナリスト・歴史家、ヴィクター・セベスチェン氏から聞いた話と重なる。セベスチェン氏はこう語った。
「東欧では冷戦終結後の最初の20年、人びとは望んだものを手に入れた。欧州に再び合流し、自由市場を手に入れ、資本主義世界に加わった。だが、(世界に金融危機が広がった)08年以降、大きく変わった。(それまでも)自由主義経済を至上とする米国やロンドンの銀行家などへの憤りはあったが、それが膨れ上がった」
クラステフ氏はまた、「人口減へのパニック」が、東欧の難民への反応を形成するファクターとして重要との認識を示す。民族的に消滅してしまうのではないかという潜在的な恐れを抱く中・東欧の人にとって、大量にやってくる難民や移民は「彼ら(中・東欧の人びと)の歴史からの退場を示唆する」ものと受け取られるのだという。
そしてクラステフ氏は、ここから議論を移民から性的少数者へと敷衍する。「人口問題への想像力は、外国人に対する社会の敵意だけでなく、同性婚のような社会の変化に対する否定的な反応を形成しても驚くことではない」「保守派の多くにとって、同性婚は少ない子供やさらなる人口減を示すもので、低い出生率と移民に悩まされている東欧諸国にとって、ゲイ文化を承認することは自分たちの『消滅』を認めるようなものとなる」と中・東欧のロジックを説明する。
クラステフ氏はまた、多様性と移民をめぐって見られる西洋と中・東欧の分断は、実は西欧の都市部と地方での分断と類似しているとも指摘する。この点は、英国の都市部の中間層と地方の労働者階級とのブレグジットをめぐる断絶にまさに表れていることだと言ってもいいだろう。トランプ現象やブレグジットの根底にある反グローバル主義やナショナリズムが、中・東欧では反LGBTにつながっているのかもしれない。
22年4月のハンガリー総選挙では与党側が圧勝し、オルバン氏の政権が継続することになった。一方、総選挙と同時に行われたLGBTをめぐる国民投票では、LGBTをめぐる教育や情報提供などに制限を加えようとする政府の方針を是とする票が有効な投票の中では圧倒的に多かったものの、有効投票数は有権者の50パーセントを超えなかったため、投票結果自体が無効となった。投票を無効に追い込もうとしたリベラル市民グループのキャンペーンが奏功したかたちだ。
【『裏切りの王国 ルポ・英国のナショナリズム』所収「移民とLGBTを「敵」とするロジック」より】