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細川貂々×青山ゆみこ「発達障害と生きてきたわたし」(後編)

記事:平凡社

細川貂々さんが描いた発達障害を説明するイラスト
細川貂々さんが描いた発達障害を説明するイラスト

《前編はこちらから》

いつもストレスフルで困っていた

青山ゆみこ:改めてお聞きしたいんですが、「発達障害」には「障害」というわりと強い言葉が付いているんですが、発達障害は病気ではないんですよね?

細川貂々:病気ではなくてもともとの脳のつくりです。なので、治るというものではないですね。

 精神科医の水島広子先生には「あなたが発達障害と言ったら発達障害の人に失礼だから、非定型発達だと言いなさい」と言われたんですが、「非定型発達」という言葉もわかりづらくて。

青山:確かに「障害」とつくと、病気や怪我が原因で、治療したり、対処しないといけない困り事のように思いますよね。

 貂々さんは年齢とともにADHDよりASDの特性が出てきたと話されていましたが、ご自身のなかでも子どもの頃や中学・高校生、大人という年代ごとに困りごとも変わってきたのでしょうか。

細川:そうですね。年代別にどういう困りごとがあったかというと……幼稚園も小学校も地獄でしたね。みんなと同じことをするのが無理で。おまけに感覚過敏で、給食が臭くて食べられない、乗り物に酔いやすいから乗りたくない。「わがまま」と怒られてばかりでした。花火の音がうるさいと言っても「花火は楽しいものだ」と言われてしまうし。周りと違うことに悩んでつらい思いをしていましたね。

青山:うわあ。それだと学校ってかなりストレスフルな場所ですよね。臭いとか気持ち悪いと思っても逃げたりできないから。

細川:中・高校生のころはほんとうに黒歴史で……その頃を思い出すと言葉が出てこないんです。当時は死にたいと思ってたんですよ。何か嫌なことがあったら死んでしまえばいいやといつも思ってて、それが希望だったみたいな感じですね。割腹自殺、お腹を切って死にたかったんです。痛みに対しての感覚はにぶいんで大丈夫なんじゃないかと思ってて(笑)。

青山:本にも中・高校生時代のエピソードは、細かいところまで描き込まれていないのがかえってリアルだなって思いました。ひとつずつ、大変な思いがあったでしょうから。描ききれないほどなんだろうって。

細川:20代から30代は会社員をやってたんですが、学校と一緒で、みんなと同じにしなくちゃダメだから、しょっちゅう怒られてて。

さまざまな仕事を経験するもうまくいかず……(『凸凹あるかな? わたし、発達障害と生きてきました』より)
さまざまな仕事を経験するもうまくいかず……(『凸凹あるかな? わたし、発達障害と生きてきました』より)

細川:世の中つらいな、こんなにつらいんだったらやっぱり好きなことをやろうと思って、子どもの頃から絵を描くのが好きだったから、セツ・モードセミナーに入りました。そこでいまの夫、ツレに出会って「きみは漫画家になれる」と言われて。ツレが言ってくれなかったら、たぶん漫画家になってなかったと思いますね。

 30代後半に出産したんですが、ちょうど『ツレうつ。』がベストセラーになった後で、仕事がうまくいったときだったので、「どうしよう」と悩んでたら、ツレが「ぼくが育児するから仕事をしなよ」って言ってくれて。

青山:家事は?

細川:家事もツレです。私はマルチタスクができないんで、料理が無理なんですよ。片づけも無理で。仕事に専念していたので、ツレに「家庭を顧みない妻」と言われました(笑)。

青山:漫画家になるまで、貂々さんは発達障害の特性によって人間関係やお仕事で困ったりしてましたよね。「描くこと」をお仕事にされて、やりたいことをやっていると、困りごとはなくなっていったのですか。

細川:仕事でもコミュニケーションをとることがうまくできなかったですね。料理の時短レシピを私が実際につくって漫画に描くっていう仕事がきたんです。でも、ちっとも美味しくなかったんですよ。嘘をつくのがすごくイヤで編集者さんに「不味いからちょっと無理です」と言ったら悲しい顔をされて。仕事がこなくなりました(笑)。

 6年前に自分が発達障害だとわかってからは、こちらの事情を説明したり、相手の事情も聞いたりして、うまくやろうとしています。

発達障害とわかって幸せになった

青山:貂々さんはいま54歳ですよね。自分が発達障害とわかってからの6年と、それ以前の48年を比べて、大きく変わったことってありますか?

細川:48歳で発達障害とわかってから、やっと幸せを感じられるようになりました。以前、ある人に「女の幸せをぜんぶ勝ち取りましたね」と言われたことがあるんです。夢だった漫画家になって、結婚してベストセラーも出して、もう無理だと思っていた子どもも授かって。だけど、私にはそれが幸せの対象ではなくて、自分のこの生きづらさを何とかしてくれよっていうことをずっと思ってたんで。

青山:キャリアや社会的立場ではないところで、貂々さんは幸福を感じられているんですね。

細川:ずっと「私っていったい何なの!?」と思って生きてたんで、発達障害でこういう特性があるから生きづらいしうまくいかなかったというのがわかって、ようやく「私は生きていいんだ」って思えたんですよね。子どもの頃から怒られたり否定されたりしてきたんで、自分で自分を否定するクセもついていたし、肯定する人が誰もいなかったんです。いや、肯定してくれる人はいたんだけど、その言葉は耳に入らなかったんです。

青山:少し突っ込んでお聞きしますが、自分が発達障害だとわかったからといって、自分の行動や考え方が変わるわけではないんですよね?

細川:はい。だけど世の中を見る目が変わったんです。みんな自分を否定してくる敵だと思っていたんですけど、そうじゃないことが理解できた。

青山:それまでは、なぜ自分が否定されるかがわからないポイントで否定されてきた。でも、特性を知ることで、理由がわかり、自分を理解することができたという感じでしょうか。

細川:はい、理解が変わったんだと思います。そりゃこれまで生きづらかったわけだよなと理解できた。私は納得できると、気持ちも収まるんですよ。いままでのことは帳消しにはできないけど、これからは楽に生きられる手段はあるんじゃないかと思いました。

青山:ご本人が楽になるというのは、大きいですよね。世界の見え方も、もしかしたら周りからの見え方も変わるのかもしれない。

細川:無理をしなくなりましたね。だから、こういう人前に出てくるのは、もうこれで最後にしようかなと思ってるんです(笑)。

(2023年9月24日、兵庫・宝塚市立中央図書館にて)

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