中国を揺るがしたネットワーク社会運動 李立峯編『時代の行動者たち 香港デモ2019』
記事:白水社
記事:白水社
2019年に「逃亡犯条例」改定への反対から起きたデモについて語るには、やはり「指揮組織がない」という点から始めたい。
伝統的な社会運動ではその中心となる指導者や組織がいて、運動におけるほとんどの、そして最も重要な集団抗議活動計画の準備や実施、運動の焦点であるテーマに沿った活動の構築、資源の統合と配分、戦略の決定、必要時には代表として政権あるいはその他の訴求対象と話し合いを持つとともに、情勢の変化に応じて運動の方向性を決める役割を果たす。
だが、改定反対運動はたびたび「指揮組織のない」と形容されてきた。簡単にいえば、この運動には前述したような中心指導者あるいは指導組織が存在しないという意味である。
2019年3月31日、4月28日、そして6月9日と3月から6月初めに行われた大型デモにおいて、最も重要な集団抗議活動はすべて「民間人権陣線」(民陣)が呼びかけて行われ、その一方で民陣と緊密な関係をもつ民主派政党と議員たちが議会内での抵抗を担当した。但し、民陣はそれまでずっと組織としてしっかりとした枠組みや豊かな資源を持っていたわけではなく、民主派政党と議員に対する社会的信頼感もまたそれほど高いものではなかった。加えて香港には社会的な集団抗議活動は、民間の自発性から勃発するという伝統があった。
6月9日の100万人参加デモが終了してから、改定反対運動は急速に「指揮組織のない」状態に突入した。民陣は6月16日の200万人大型デモ、同26日、7月1日、そして8月18日など、連続した、最大規模の抗議活動を呼びかけた組織ではあったものの、集団抗議活動の枠組みを提案したり、運動全体の行動戦略を決定する能力を持ち合わせていなかった。
逆に、6月12日の立法会ビル包囲や7月1日の立法会ビル突入という、運動の方向性に大きな影響を与えた行動のどちらにも、既存組織はかかわっていない。同時に、ネット上での情宣キャンペーン、7月から8月にかけて各地で起きたデモや空港での座り込み、8月23日に行われた香港全地区における「人の鎖」行動、デモ後半のショッピングモールでのフラッシュモブ、各地域に散らばった「あなたとランチ」行動、黄色経済圏などの実際行動や「戦線」は、そのほとんどが一般参与者によるネットを通じた呼びかけで組織され、巻き起こったものであった。そしてそこから条例改定反対運動にもたらされた勢いや持続性からして、それらの行動は民陣が主催した大型デモとほぼ同等の重要性を持つ。
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世界的規模で見ても、ここ10年ほど中心指導者が存在しない社会運動はそれほど珍しいことではなくなっている。最もよく知られ、また最も多くの研究者が注目してきたものには米国の「オキュパイ・ウォールストリート」運動や、多くの中東国で起きた「アラブの春」、そしてスペインの「15M」運動などがある。
ネットワーク社会運動あるいは連携型行動の出現にはいくつかの社会的及び技術的前提条件がある。
まず、デジタルメディアの普及が情報伝達とコミュニケーションコストを大きく引き下げたこと、そしてソーシャルメディアの出現が人と人をさらに容易に、緊密に結びつけたこと。ふさわしいソーシャルメディアを使いこなすことで、運動参与者は効率的に集団抗議行動に関する情報を拡散し、知り合いを動員して参与させたり、パーソナライズドされた、あるいは小規模なグループを基礎にして自発的にさまざまな行動を組織することができる。
第二に、ネットワーク社会運動と連携型運動も、社会に存在する自発的参与に対する重視が基礎となっている。自発型運動には、横向き構造、多様性、自己組織、民主参与、そして直接行動を強調する特徴がある。それらは目下のネットワーク社会運動と連携型行動の文化及びイデオロギーの基礎となっている。
第三に、ネットサーク社会運動には長い時間をかけた醸成とある程度まとまった集団抗議活動の枠組み構造が欠けている。そのためその基礎をすでに社会に存在し、共有されている不満から構築しなければならない。
同時に、一般の参与者はネットワーク動員やパーソナライズド、あるいは小グループ型の行動を通じて、自分の好きなこと、あるいは得意な方法で運動に関わることができる。それがさらに多くの人たちに積極的に運動にかかわりたいと思わせる一方で、運動には参与者の才能と創意工夫がさらに重合されていく。
こうしたネットワーク社会運動の特徴は、2014年に起きた雨傘運動にすでに現れていた。雨傘運動は当初学生が中心的指導者の役割を担ったが、警察が占拠運動の初日に催涙弾を放ったために「平和的座り込み」の計画が破綻し、怒った市民たちが大量に街に繰り出すという結果を招いた。運動を指揮しようとした者と参与者が効率的なコミュニケーションを直接取れない状況において、参与者の即興によって多くの地区が占領されるという場面が出現し、運動全体の非中心化が始まった。
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逃亡犯条例改定反対運動に至り、ネットワーク社会運動と連携型行動はさらに重要になった。
確かに改定反対運動は中心指導組織を持たず、また固定エリアを長期に渡って占領する中心型行動モデルもなかった。逆に、6月から7月1日にかけての何度かの大規模デモが完結すると、いかに運動を続けていくかが喫緊の課題となった。指揮組織が存在しない状況下では、参与者の自発力の発揮がさらに必要となる。同時に一般の参与者による行動である程度の成功を収め、注目されたものも出現した。
例えば、6月末にネットユーザーが自発的に組織した世界的な新聞広告掲載行動や7月初めの各地区デモなど、他者を刺激し、激励し、他者の参与チャンスを生み出した。そこから少なからずの参与者が自身の得意分野を活かし、たとえば、運動初期に人々を驚かせたさまざまなキャンペーン資料は往々にしてデザインや広告業界の従事者が背後で力を奮ったものだった。あるジャーナリストによると、社会運動の創作は日常の仕事に比べて商業的な条件や顧客意見に左右されるないため、彼女が取材した相手たちは社会運動ではそのクリエイティビティを十分に発揮できると特に意欲的に取り組んだという。
そこが、改定反対運動のもう一つの特徴である。それはすでに前述したように、多くの参与者がただの「一般市民」あるいは「公民」という身分で参与しただけでなく、同時に自身の職業上の身分や社会的な役割を運動で発揮した。逮捕者に法的支援を行う弁護士、抗争の現場で緊急医療サービスを行う救急隊員、前線デモ参加者の精神的ケアを担当したソーシャルワーカーや牧師、「子供を守れ」グループを組織した家長、たびたび「和理非」集会を開催して運動をバックアップした「銀髪族」などが出現した。
このほか、改定反対運動は多元化した行動を採り、運動支持者が「戦線」と呼ぶ、さまざまな活動形態を生んだ。労働組合戦線、国際線戦などがそれである。参与者はまた、自分の能力、意欲、客観的な条件などを考慮した上でそれぞれの戦線に参与することができた。こうして改定反対運動はほぼ全民参与運動となった。そう呼ぶのはこうしてなんらかの行動に参与したことのある市民がたくさんいるというだけでなく、大量の社会身分と役割が動員され、分業協力という形で推進されたからだ。
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それに加えて、「指揮組織がない」はまた必ずしも「指導者がまったくいない」を意味するものではない。確かにネットワーク社会運動を形容する際には少なからずの学者が「リーダー不在」の特徴に言及する。しかし、たとえ非中心化された運動であっても、相対的に影響力を持つ人物や団体が出現する。彼らはネット上のオピニオンリーダーだったり、行動提唱者として特に注目を浴びた人物だったり、個別の「戦線」で特別に重要な位置や役割を果たした人物だったりする。彼らは正規の組織に属する人物(たとえば若者政党「香港衆志 Demosisto」の 羅冠聡 や黄之鋒など)かもしれないし、すでに著名なジャーナリストかもしれないし、また運動を通じて台頭した「素人」かもしれない。
そんな指導者たちは正規の所属組織に与えられた規範化された権力を使って運動全体を統率したのではない。
往々にして運動が動態的な発展を見せるなかで、そして比較的局部的な範囲内で、彼らの意見、提案、そして行動が重要な意味をもつようになった。だから、ネットワーク社会運動は中心となる指導者はいない一方で、「指導者だらけ」(leaderful)であると形容することもできる。学者の一部はこのような状況を分布型指導(distributed leadership)という教育研究や管理学から持ち込まれた概念を使って形容する。特に指摘しておくべき点として、これらのネットワーク社会運動における指導者のその指導的地位は安定したものではなく、運動の発展と情勢に伴って変化し、その運動の方向性と行動モデルの違いによって必要とされる資質、才能や資源もさまざまで、注目を受ける見解や提案もまた違い、個別の人物や組織の影響力は知らぬ間に変化し、またなんの予兆もなく急速に変わることがあることだ。
つまり、指導組織がないという局面が改定反対運動参与者にさまざまな手段で運動に貢献することを奨励し、その一部は特定の職業上の身分あるいは社会的役割でそれに参与することを選び、またさまざまな「戦線」上で力を発揮した。同時に伝統的社会運動団体、政党、政治関係者、そしてそれぞれの背景を持つ正規の組織は新しい形の運動においても引き続き、その役割を担った。期間中、さまざまな人物がさまざまなタイミング、そしてさまざまな立ち位置で指導的な役割を果たした。運動全体がそんな彼らの行動、連携、そして相互に影響しあう中で展開されたのである。
【李立峯編『時代の行動者たち 香港デモ2019』所収「序章 ネットワーク社会運動における行動者たち」より、訳者ふるまいよしこによる要約紹介】