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「今日の晩ごはん何にする?」と聞かれたら、なんと答えるのがよいのか? 自炊料理家・山口祐加×哲学研究者・永井玲衣対談(後編)

記事:晶文社

(左)山口祐加さん (右)永井玲衣さん
(左)山口祐加さん (右)永井玲衣さん

(前編はこちら)

「今夜何作ればいい?」には、なんと答えるのがよいのか

山口 そういえば今日、永井さんと話したかったことがあって。この間大阪でタクシーに乗ってたんですよ。運転手さんに「料理の仕事をしてるんです」って話をしたら、「妻に今日の晩ごはん何がいい? って聞かれるんだけど、あれってなんて答えるのが正解ですか?」って聞かれて。……すごく難しい問いだなあって思いました。

永井 確かに難しいですね。

山口 方向性は大きく二つありますよね。「何でもいいよー」って答えるタイプと、具体的なごはんを答えるタイプと。で、「何でもいいよー」って言うと怒られると。

永井 そうですね。

山口 でも、具体的なことを言うと「家にない」って言われるって笑。

永井 笑。

山口 「いったい僕はどうしたらいいんですか?」って、聞かれたんです。じゃあ永井さんが作る役割だったとして、誰か一緒に住んでいる人とかパートナーとか、近しい関係性の人に聞いたとして、なんて答えてほしいですか?

永井 うわ……そうですね。何答えてもムカつきますね笑。

山口 そうなんですよ笑。そこなんですよね。

永井 具体的に言ってるんじゃねーよ、みたいな。

山口 冷蔵庫の中に何が入ってるのかわかってるのかよ、みたいなね。

永井 だけど「冷蔵庫にあるものでちゃちゃっと作っちゃおうよ」みたいに言われても、「はぁ?」みたいなね笑。考える身にもなってみてよって思うかもしれません。バッドエンドしかないですね。

山口 そう。何答えても基本的にバッドエンドで。私が思ったのは、たぶん一緒に考えてほしいってことなんじゃないかなって思ったんです。寄り添いが必要というか。

永井 なるほど。

山口 こっちはもうネタ切れで疲れてて、「それじゃ外食しちゃう?」とか言ってほしいわけですよ。あとは「自分が作ろうか?」とか、「今あるもので一緒に考えようよ」とか、逆に「いま何が食べたいの?」って聞いてくれるとかね。やっぱりそういう寄り添いが必要で。

なので、もし自分が作る役割の人だったら、人にすぐに聞くのはおそらく7割方はケンカになると思うので、まずは「何食べたい?」って自分に聞いてみることをおすすめします。

永井 そういえば私もこの間、すごく急いでてタクシーに乗ったときに、運転手さんに「オレがいつも妻に料理を作っているんだけど、もうネタ切れなんだ。お客さん、オレ今夜何を作ったらいい?」って聞かれたなぁ。最初はすごく丁寧な感じだったのに、急にフランクな感じになってきて。

山口 あああ笑。

永井 えっ、なんで私に聞くの? って思ったけど、「からあげはどうですか?」って言ったら、「からあげー!?」みたいに言われて。それでもたくさん案を出したんですよ、私。「鮭はどうですか?」「中華はどうですかね?」「やっぱあっさり系ですかねー」とか笑。出演予定のイベント会場に向かう途中で、こっちはイベントで何話そうかって、そっちのことに頭を使いたいのに。「ああ、昨日それは食べたよ」みたいに言われて。こっちが「すみません」「すみません」って謝ったりとかして。だからね、見ず知らずの他人ですらケンカになるんだから、具体的な答えを出しちゃダメですよね。

一問一答で返すのではなく、対話してみる

山口 今のところの私の回答としては、相手に寄り添うことしかないんだろうなって思ってます。「昨日運転手さんは何を食べたんですか?」とか、「今どんな気分なんです?」とかね。「お母さんの思い出の味ってありますか?」とか。

永井 なるほど、それはめっちゃ良い答え。

山口 「そういうときにうちでよく作る料理がこれで」とかって、あんまり直線的な話題に持っていかないのが大事な気がしました。直接的に返さないというか。

永井 あああ、やっちゃってた。

山口 瞬発力が問われるのであせっているわけですよ。だって妻からLINEがきた、あーこれは5分ぐらいで返さなきゃいけないといけないやつだ、1時間待ってたらもう晩ごはんになっちゃうっていうね。早くネタを出さないとって、LINEを返す側にとってもツライわけです。なので寄り添うっていう。

永井 なるほどなぁ。それも一問一答ではなく、対話なんですね。自分の話に引きつけて考えると、私、哲学対話の場で結構参加者に問いを聞くんですよね。あなたが今考えていることは何ですか? モヤモヤしていることは何ですか? って。でも、即座の応答は求めていないんです。今この瞬間にいちばん煌めく答えを返そうって、別に瞬間的に反応してほしいわけじゃなくて。ゆっくり教えてくださいっていうことなんですけど。

「今日は晩ごはん何食べたい?」もほんとうはそういうもので、一問一答ではなく、もっと対話しながら、あーでもないこーでもないって考えてもいいんですよね。例えば、昨日外を歩いてたときにこんなごはん屋さんが気になったとか、ダラダラしゃべっている中で答えを見つけていく。人の話を聞きながら触発されて答えが出てきたりするところが対話の良さだし、「何食べたい?」もそういうものとして捉えてもいいんですよね。

山口 そうなんですよね。

「論破」よりも「冷笑」のほうが危ない

永井 話を戻しますけど、「失敗するのが怖い」「間違えちゃいけない」っていうのは、最近の「冷笑」っていうのにもすごく繋がると思ってるんです。よく「論破」っていうじゃないですか? で、論破が問題だっていう人が最近多くなってきてますけど。論破も問題ですけど、私は冷笑のほうが危ないなと思ってて……冷笑や揶揄ですね。

「論破」は他者を競争相手とみなすあり方で、負けないっていうことだけがひたすら目的ですよね。一方「対話」は、相手・他者を協働相手として見る関係で、競争はしておらず論破とは対照的なんですけど、まだ論破って相手に挑んでいるので「論破失敗」みたいなこともたまにあるわけです。でも「冷笑」っていうのは、それとも全然違う角度っていうか。

山口 ほう。

永井 冷笑は他者を競争相手とすら見ないんですよね。真面目にやっていることを笑うとか、「丁寧な暮らしですか笑」「ケアとか言ってー笑」みたいになんでも「笑(ワラ)」をつけて返すとか、私はかなり危機感を覚えてます。このままだと冷笑で民主主義を破壊してしまうよって本気でそう思うんですけど。

その裏にあるのって、やっぱり「間違えたくない」なんです。間違えたくないから、それだったら同じ土俵には立たないみたいな。冷笑は「チャレンジしない」「試みない」という態度であって。

料理を冷笑するってこともあり得ると思うんですよ。「料理なんてできる人がするんでしょ」みたいに言うのも、一種の冷笑だと思うので。

山口 そうですね。

永井 「できる人がするんでしょ」の背景には、やっぱりチャレンジするのが怖いみたいなのがあるんだろうなと。

山口 なんでこんなに間違えたくないんでしょうね? 例えばファッションやメイクは、他人に見られることが前提じゃないですか? だから、そこで失敗したくなくて安牌(あんぱい)に走る気持ちはちょっとわかる気がするんです。けど、料理の場合は家の中で起こっている出来事なんで、誰にも見られてないはずなんですよ。自分しか見てないなら、失敗したっていいじゃないって思うんですけど。いったいどこまで他人の目が入ってくるんですかね。

永井 うんうん。

山口 私がよく行くスーパー銭湯に、いつもビニール袋をシャワーキャップみたいにして髪の毛をくくっているおばあちゃんがいるんです。髪の毛洗いたくないのかなんなのかはわからないんですけど、とにかくいつもビニール袋で頭をくくっていて。その人の工夫がとにかくかわいいっていうか。私、その人があふれ出ちゃうみたいな瞬間がめちゃくちゃ好きなんですよね。

例えば、鼻歌に失敗とかないじゃないですか。下手も全部込みでかわいいいじゃないですか。自分のことをそういう目線で見れたらいいのになあって思いますね

永井 そうですね。

山口 私も全然、きんぴらを焦がしたりとかするんですよ。昨日も今日もトーストを焦がしましたし。

永井 笑。

山口 でも、「焦げこそうまみ!」とか思って食べました。そういうポジティブさっていうか、それも一つの味なんだし別にいいじゃんって。自分に厳しいとか、自分を許せないみたいなことが、苦しくしちゃってるんじゃないかなぁって思うことはよくありますね。

「まずい」の身体的衝撃がすごい

永井 私も最近の料理の失敗はめちゃくちゃありますよ。

山口 永井さんはそれをどう思うんですか?

永井 そうですね。料理に失敗すると、すごく惨めな気持ちになるんです。なんであんなに惨めになるんだろうなっていつも思うんです。で、たぶんそれも「もう間違えたくない」ってことなんです。幸福にならなくてもいいけど、失敗だけはしたくないみたいな。これ以上はもう傷つきたくない、みたいな気持ちがあるのかもしれない。

学生さんや対話に来る人と話していても、すごく感じるんですよね。良いものを作りたいとか、善き生を送りたいとさえも思えない。それよりも、これ以上傷つきたくない、これ以上惨めになりたくないって気持ちが強すぎて。

そうすると、ほんとうにただ手前のものをひたすら整えていってごまかしていくみたいな生の連なりになっちゃうんですよね。で、たぶん料理もそのうちの一つに入ってくるんです。だって、めちゃくちゃまずいんですもん。すごく悲しくなるんですよ。

山口 なるほどな。まずいは、どういうタイプのまずいなんですか?

永井 いろんなレパートリーがありますよ。味が薄いもありますし、麵がクタクタになっちゃうとか、しょっぱすぎるとか。まずいってやっぱり身体的な衝撃なんですよ。あああってなって、やる気がなくなっちゃうんです。

あとは、これだけコストをかけたのに応答がないことのショックみたいなのも大きいですね。特に料理が苦手だったりすると、これだけがんばったのにリターンがこれですか? と。自己肯定感の下がり方がすごいんですよね

あとは、焦げたりして健康に悪そうなものができちゃったりするわけですけど、こんなものを食べたら病気になりそうみたいな不安感ね。他にも、世の中には食べられない人もいるのに食品を無駄にしちゃって最悪……とか。料理というものがいろんな問題と地続きだからこそ、リンクしちゃう感じがあるのかもしれません。

料理が苦手な人の思考方法

山口 そういえば、初めて父に料理教えたとき、スペアリブの煮物を作ったんですけど、たぶん人生で初めて私、砂糖と塩を間違えて入れてしまったんですよ。実家の砂糖はいつも茶色いものを使っていたので、これは砂糖だと思って入れてたのが塩だったんですよね。3回ぐらい砂糖だと思って入れてしまった後に、ようやくこれは塩だって気づいて。

でもね、私その状況をめちゃくちゃおもしろいと思ったんですよ。これだけ塩を入れるとこういう味になるんだ、勉強になるなって思って。うどんを茹ですぎたときも、これぐらい茹でるとこれぐらいのグズグズさになるんだって、学びのほうが大きくて。

永井 今聞いてて思ったのは、あたり前ですけど料理って明日も、っていうかたぶん一生することじゃないですか。だから山口さんにとっては長い生の連なりの中のうちの通過点であって、こういうふうになるんだったら次はこうしようっていう見方なんですけど、私は別に料理が得意なわけではないので、まずい料理も作っちゃうし、自分のために料理が作れないタイプだから、そっち側の人の思考方法だと、料理を失敗したときって「今ここ」しか頭にないんです

山口 「今ここ」に注意を向けるのが悪い方向にいっちゃう感じですか? 悲しいマインドフルネスみたいな。

永井 そう。今しかなくなっちゃうんですよね。それは、今お腹が空いてるからっていう、身体的なものがあるからだと思うんですけど。なかなか通過点として料理を見れないんです。

山口 そのピンポイントだけで自分をジャッジしちゃうんですね。

どうすれば料理を自分ごと化できるか

永井 この間、お餅をグリルで焼いたら黒い塊になってしまって「あれっ、これ何を焼いてたんだっけ」ってなりました。「明日は3分で焼いてみようかな」みたいな建設的な感じもなく。半端な集中力で作っているし、理解しないで作ってるっていうのも大きいような気がします。

この本を読んでて思ったんですけど、料理を文章で知りたいんですよ。

山口 レシピじゃなくてってことですか?

永井 そうそう。この本では道理や仕組みから料理を教えてくれるじゃないですか。もっと早く、そういうのに出会いたかったみたいな。

山口 どうしてもレシピって、鶏もも肉1枚みたいなところから始まりますからね。1枚って、スーパーに行くと400グラムのものもあれば、300グラムのものもありますもんね。

永井 文章で料理を知るのって、時間はかかるんだけど、身体化するんですよね。意味がわかる、道理が通る、筋が通るっていうか。別にYouTubeでもいいんですけど。工程も見えるし、革命的だったし、すごい時代が来たもんだって思いましたけど。やっぱりYouTubeも流れを見せるだけのものが多くて、なぜこれがこうなるかとか、一つひとつの器具の説明とかも特にないじゃないですか。なぜかき混ぜるときは箸なのか、スプーンじゃいけないのかとか……そういうのをもっと知りたいなあ。

山口 卵を溶くときは、じつは箸よりフォークのほうがいいんです。どのくらい混ぜたいのかにもよりますけど、フォークのほうが先が多いからよく混ざるんです。

永井 へぇ。

山口 そういう家庭の中の知恵的な、料理をしている人の横でそれを見て学ぶっていう文化がほんとうに廃れつつありますよね。今まではレシピで見て、その余白をたぶん家の中で補ってたと思いますよ。横で見てれば自然と覚えますよね。

永井 YouTubeの話でいうと、見るは一応できてるんだけど、それだけではやっぱり理解できない、作業確認になっちゃうなって思うのは、一緒にいるときの空気感とか、導線とかは感じづらいんですね。昔から、料理は女性が担うもんだみたいな感じで閉鎖的・排他的にさせられてきたっていう歴史的文脈もありますけど、それでもこうやるとこういうふうになるんだよって口伝してきたことは、きっとほんとうは良いはずなんですよね。
どうしても効率や時間やノウハウみたいなことが優先されて、情報量が多ければいいとなりがちですが。

山口 2~3倍速で進んいく動画があったりもしますもんね。はや! って思います。

永井 結局覚えられなくて何度も何度も再生することになって、スマホがべたべたになるんですよ。粉とか油とかを触ってるから。

山口 いやー。今聞いてて思ったんですけど、YouTubeとかでもそうですけど、プロって失敗しないんですよ。失敗したら撮りなおしますからね。

「失敗しちゃった、どうしよう」みたいな動画もあったらおもしろいのになって思いましたけど、失敗する前提で料理って作れないですものね。失敗って偶然性なので。

永井 そうですね、作れないですね。

山口 失敗しようと思って作ると、故意的になりすぎちゃうから見ている側がすごく冷めると思います。それこそ、冷笑になっちゃいそうですよね。

永井 そうですね。失敗は偶然出会うみたいな感じのものですもんね。

山口 でも、そういうものがあるとなんかおもしろい気がするんですけどね。

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