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父のスケッチブックと、激動の昭和を振り返る――小手鞠るい『つい昨日のできごと』

記事:平凡社

ツイッター(現X)で話題となった、著者・小手鞠るいさんの父が描いたスケッチ
ツイッター(現X)で話題となった、著者・小手鞠るいさんの父が描いたスケッチ

2024年9月4日刊『つい昨日のできごと――父の昭和スケッチブック』(小手鞠るい著、平凡社)
2024年9月4日刊『つい昨日のできごと――父の昭和スケッチブック』(小手鞠るい著、平凡社)

父から届いた「昭和クロニクル」

 父は若かりし頃から、絵や漫画を描くのが得意で、好きだった。

 家の中でも、外でも、しょっちゅうスケッチブックを広げて、さらさらと何かを描いていた。会社から持ち帰ってきた描きかけのポスターか何かを、夜遅くまで時間をかけて懸命に仕上げている姿を何度も目にしたことがある。

「ほんまは、漫画家になりたかったんよ」

 こう言ったのは父ではなくて、母だった。母はそう言ったあと「そんなもん、なれるわけがねぇ」と、意地悪っぽく付け加えることも忘れなかったけれど。

著者の父が生まれ故郷の宇和島(愛媛県)での思い出を描いたイラスト
著者の父が生まれ故郷の宇和島(愛媛県)での思い出を描いたイラスト

 父は、いわゆる筆まめな人だった。

 郷里の岡山を離れて、京都で私がひとり暮らしの学生生活を始めた頃から、ときどき思い出したように、葉書や手紙を寄越してくれた。電話ではなくて、いつも葉書か手紙。そこには、イラストや漫画が添えられていることが多かった。私からの返事も葉書か手紙。

 いつしか、父と娘の文通が始まっていた。それは今も、つまり五十年以上も続いている。あるとき、この話を仕事仲間にすると、彼女はこう言った。

「信じられません。なんて優しいお父様。こまめに娘に手紙を書いて送ってくるなんて。しかも漫画入り!」

 一九九二年(平成四年)に、私がアメリカに移住してからは、月に二、三通の頻度で、父からエアメールの手紙が届くようになった。文通はほぼ習慣化したと言っていい。

 その手紙にも毎回、漫画が添えられていた。両親の近況を知らせる他愛のない絵だった。私にとっては見慣れた父の漫画だったから、特に深い感慨も感動もなく、さして有り難いとも思わず、引き出しの中に突っ込んでおくだけだった。引き出しがいっぱいになってくると、まとめて処分してきた。

 ある年の帰国中、父と大喧嘩をしてしまい、それから一、二年ほどのあいだ、父からの手紙は途絶えていたものの、なんらかのきっかけがあって仲直りをしてからは、また届くようになっていた。私は私で、大喧嘩をしてアメリカに戻ってきたあと、それまで適当に保管していた手紙を全部、捨ててしまった。よほど、腹が立っていたのだろう。今にして思えば、もったいないことをしたなぁ、と反省している。

 それから何年かが過ぎたある年、父から小包が届いた。

 あけてみると、ぶあついコピーの束が出てきた。父の描いたスケッチブックをコピーしたもので、タイトルは「マンガ自分史」と、付けられている。

 全部で四冊。

  伊予の宇和島よいところ(1931~1943)
  岡工時代(1943~1949)
  東京てんやわんや(1950~1952)
  楽しきかな子育て三昧(1953~1963)

 父が生まれてから、少年時代、青年時代を経て、母と結婚して私と弟が生まれるまでのできごとを、漫画日記のようなスタイルでまとめてある。

 「昭和絵日記」と、私は名づけた。もうちょっとかっこ良くするなら「昭和クロニクル」だろうか。

戦時中を描いた絵には、リアルな迫力とともにどこかユーモアも感じられる
戦時中を描いた絵には、リアルな迫力とともにどこかユーモアも感じられる

 よく、こんなものを描いたな。

 定年退職をして、よっぽど暇なんだろうな。

 そんなことを思った。このときにも、大きな感慨も感動もなかった。スケッチブックのコピーはそれから十年近く、引き出しの奥で眠り続けることになる。

平凡な男が描いたスケッチブック

 ここで突然、少女趣味な私が顔を出すことを許していただきたい。

 父は一九三一年(昭和六年)十一月二十日生まれ。星座は蠍座である。

 私の持っている数冊の星座占いの書物を紐解くと、蠍座の性格はおおよそ、このように言い表されている。以下、私の抜粋と要約です。

 総じて相手を思いやることのできる星座。気持ちのつながりを基本とした、深い人間関係を作っていこうとする傾向にある。死と再生、変容の星。人が意識していないような心の暗い面に目を向けている。自分の内面の闇に敏感である。洞察力と粘り強さの持ち主。執念深く、嫉妬心が強い。内なる価値観を大切にするあまり、他人の意見や考えを無視してしまいやすい。自分の価値観を満足させられるような仕事に就くことを望んでいる。自分にとって大切なことだと思ったことには命を張れるし、それがどんなに苦しくても、楽しくて仕方がないと思うことができる。

 なるほどなぁ、と納得する。

 私の夫に言わせると「それって、魚座のきみの性格でもあるし、水瓶座の僕の性格でもあるよね」となるのだけれど、それはさておき。

 他人には優しく、身内には厳しく、父は、大きな変動のあった昭和時代を執念深く、生きてきたに違いない。戦中は死と隣り合わせになりながら、戦後は蠍のように脱皮を繰り返しながら、心に戦争という闇を抱えて。

本には、戦後の動乱期の絵も多数収録されている。上は朝鮮戦争期を描いたもの
本には、戦後の動乱期の絵も多数収録されている。上は朝鮮戦争期を描いたもの

 父は今、九十二歳。二〇二四年の十一月には九十三歳になる。私の郷里の岡山で、ひとつ年下の母の介護をしながら、元気で暮らしている。

 父というひとりの男。平凡といえば平凡。特別な偉業を成し遂げたわけでもない、言ってしまえば、どこにでもいるような市井の人間が九十年あまり、生きてきた道筋をたどりながら、私はこれから、昭和時代のあれこれ、昭和に起こったさまざまなできごとを、私なりに振り返ってみようと思う。

 完成させたこの作品を、果たして、父に読んでもらえるのかどうか。言ってしまえば、間に合うのかどうか。一寸先は闇に包まれているけれども、それでも、何はともあれ、書き始めよう。

 かたわらに、父のスケッチブックを置いて。

 書き上げて、できあがった本をプレゼントしたら、父はこう言って、私を𠮟るだろうか。

「こんなものを書く人間が、どこの世界におる!」

 私は思いっきり、𠮟られたいと思っています。

『つい昨日のできごと』目次

プロローグ――蠍座の父
第一夜 つい昨日のできごと――『アップルソング』
第二夜 軍国少年ができあがるまで、あるいは軍国少年の作られ方
第三夜 「レェイディオ」で聞いた「デス・バイ・ハンギング」
第四夜 働く者の幸いを――ブルーカラーの青春
第五夜 こけし人形と白い橋
第六夜 父と娘の昭和草紙――愛の重さ
エピローグ ─がんばれテレさん

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