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宮沢賢治「銀河鉄道の夜」 不条理な死を受け入れ、明日を生きる

みやざわ・けんじ(1896~1933)。詩人、童話作家

平田オリザが読む

 私の名前「オリザ」はラテン語で「稲」という意味で、戦中派の父が、どうか息子は食いっぱぐれがないようにと、宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」からとってきたらしい。

 宮沢賢治は一八九六年、明治三陸大津波の年に岩手県花巻に生まれ、一九三三年、昭和三陸大津波の年に三七歳の若さで亡くなった。生前はほとんど評価はされず、没後、遺稿の出版が相次ぎ急速に知名度を高めた。

 「銀河鉄道の夜」は一九二四年に着想、執筆。その後も推敲(すいこう)、改訂が繰り返され、現在流布しているストーリーは、戦後もしばらくして発見された第四次稿と呼ばれる作品である。

 物語はジョバンニとカムパネルラという二人の少年が、銀河鉄道に乗って宇宙を旅する形で進んでいく。そして結末、カムパネルラは川で溺れそうになった友人を助けようとして亡くなっていたことが明らかになる。

 この不思議な童話は、多様な解釈を許容する。私は、この作品をフランスで上演した際、一人の少年が旅を通じて様々な人と出会い、そのことによって友人の死を受け入れ成長していく物語として劇化した。

 カムパネルラは、いじめっ子のザネリを助けるために溺死(できし)する。それは極めて不条理な死だ。最終盤、カムパネルラのお父さんは「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから」と息子の死を受け入れ、「ジョバンニさん。あした放課後みなさんとうちへ遊びに来てくださいね」と気遣いさえ見せる。

 親しい者の死を受け入れることは、宇宙を一周、経巡るほどに時間がかかる。それでも私たちは他者の死を受け入れ、明日を生きていかねばならない。津波という理不尽に命を脅かす災害が、賢治の作風に無意識の影響を与えていたのかもしれない。

 宮沢賢治は、大正文学の牧歌の時代から昭和前期の文学の混沌(こんとん)への端境期に、東北の片隅で生まれた小さな種だった。しかしこの種は死後、美しい大輪の花を咲かせることになる。=朝日新聞2021年5月15日掲載

 ◆今回から「古典百名山+plus」と改め、名著の紹介を続けます。