経験を語るということは、奪われた声を取り戻すことだ
記事:明石書店
記事:明石書店
20歳の頃に中絶をしたことがある。大学3年の3学期だった。
当時の具体的なエピソードは戯曲や小説でも断片的に書いているので、ここでは触れないことにする。30歳を越えてから劇作家になり、ここ数年で、中絶をテーマにしたいくつかの作品を発表した。けれど、当事者だということを宣伝として明示したことはない。にもかかわらず、この場を借りて、中絶したと書いたのは、それが本書の企画意図と切り離すことのできないことだと思ったからだ。
わたしには、中絶したことに対する悲しみや後悔はない。罪悪感もない。
しかし、長い間、そのことを自覚できずにいた。中絶は思い出すたびに、わずかに痛みを感じる記憶のひとつだ。だから、漠然と、それが中絶そのものに対する悲しみや後悔、あるいは罪悪感というものなのだと思っていた。
でも、よく考えてみれば、傷として思い出されるのは、親からの信頼をなくしたと感じたことや、医師から批判がましい言い方をされたことなどで、それは「中絶そのもの」による傷ではない。わたしはあのとき、速やかに安全な中絶にたどりつけたことに安堵していた。わたしは中絶に救われたのだ。
そのことに思い至ったとき、わたしの中で、中絶というテーマは「書くべきこと」になった。そんなはずはない、悲しいはずだ、と何度も言われた。そのたびに、わたし固有の経験が押しつぶされる気持ちになった。「命」を奪うことに罪悪感はないのか、とも言われた。しかし、妊娠した実感すらないのに罪を感じるのは難しかったし、中絶することで守られたわたしの人生に価値がないと言われたようで不愉快だった。よくある紋切り型に押し込まれることは、わたしにとって、中絶そのものよりもずっとずっと傷つくことだったから、何度も繰り返し違和感を訴えてきた。でも、言葉というものは不完全なもので、重ねれば重ねるほど、「何かに傷ついている」ということだけが伝わり、「やっぱり中絶で傷ついたのだろう」「中絶を後悔しているのだろう」と解釈されてしまう。もちろん、中絶した人すべてがわたしと同じように感じているわけではない。中絶そのものを悲しみ、後悔している人もいるだろう。そういう人を否定するつもりは毛頭ない。ただ、悲しみや罪悪感を感じなかった人の中には、そのことで自分を責めている人も多いと聞く。そういう人には、悲しみを感じなくてもいいのだと言ってあげたい。無事に中絶できたとき、ほっとしたあなたの感覚は普通だ、と。
そもそも、人間の身体は一人一人違う。月経が人によって重かったり、軽かったりするように、妊娠、中絶による身体の反応や変化は人によって違うし、妊娠したときの状況、産みたい気持ちがあったかどうか、そして中絶した週数などによって、経験の内容も、それを受け止める気持ちも変わる。
そのうえ日本では、基本的には相手の同意を取って、高額な処置を受けるしか中絶する方法がない。2023年四月にやっと日本でも中絶薬が承認され、手術しか方法がないという状況は脱した。けれど、中絶薬も価格や条件が手術並みに設定されてしまったので、手術一択のときから状況が変わったとは言いがたい。誰もが同じくらいの金額を払い、同じ条件の下で中絶を受けているというと、「中絶の経験」はどれも同じだと思われるかもしれない。しかし、実際はそうではない。10万円を用意する難しさも、条件を満たす難しさも、人によって違うから、それに応じて経験の内容が変わるのだ。
2022年、中絶の実体験を元につくられた映画が2本、日本でも公開された。
一本は『セイント・フランシス』。主演を務めるケリー・オサリバンが自身の体験を元に台本を書いたアメリカの作品で、経口中絶薬による現代的な中絶が描かれている。
もう一本は『あのこと』。2023年にノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノーのオートフィクション小説『事件』を原作にした作品で、まだ中絶が禁じられていた1960年代のフランスにおける違法中絶を描いている。
日本では、『セイント・フランシス』で描かれたような自宅での中絶薬の服用は認められていないし、一方でいまや『あのこと』に出てくるような危険度の高い処置を行っているところはないと思うので、医療や制度の観点からすれば、どちらも現在の日本には当てはまらない。だがわたしには、どちらも既視感のある光景として映った。
『セイント・フランシス』では、ケリー・オサリバンが、「中絶にたどり着くまでよりも、中絶した後の方が大変だった」とインタビューで答えているように、中絶そのものではなく、中絶や出血に対する偏見に傷つく姿が描かれている。わたしの経験はどちらかというとこちらに近い。
一方、『あのこと』では、親や、学校や、会社にバレることを恐れたり、お金がすぐに用意できなかったりして、医療につながるのが遅れ、中期中絶になってしまったり、孤立出産に行き着いてしまうケースを想起せずにはいられない。病院に行っても望む処置を受けられず、相談できる人もいない、めまいのするような日々の描写に、自分の経験を重ねた人は少なくないはずだ。どうしていいかわからずに、自分で編み棒をつっこむしかないと悩む人は、今の日本にもいる。
だから、本書をどういうものにしようかという相談の場で、いろいろな人の経験を集めてはどうかと、共編著者の大橋由香子さんがご提案くださったとき、わたしも迷わず同意した。フィクションでは、一つの作品の中で、多くのケースを描くのは難しい。でも経験集という形でなら、その人固有の、他の誰とも違う経験に光をあて、それをひとつひとつ折り重ねることで、中絶の複雑な実相を浮かび上がらせることができるかもしれない。それは、刑法・堕胎罪の撤廃を求める活動をしてきた「SOSHIREN 女(わたし)のからだから」とのかかわりや、ご自身の仕事の中で、たくさんの声を聞いてきた大橋さんだからこその発想だったし、そうだとしたら、わたし自身も本書のために経験を語ってくださった方たちに連なりたいと思った。中絶の経験者として、というだけでなく、女性として、妊娠する身体を持つ者の一人として。
本書では、第Ⅰ部にて、戦前からこれまでの中絶をめぐる状況を概観したあと、その中で中絶を経験した当事者の声を第Ⅱ部に、支援者や研究者、取材者などの立場で、中絶の現場を見聞きしてきた人たちの声を第Ⅲ部にまとめた。直接的な当事者だけでなく、周囲にいる人たちの声もまとめることで、その複雑な実相に近づければと考えた。
経験を語るということは、奪われた声を取り戻すということだ。
医療制度や法律を考えるとき、いつも現実離れした紋切り型なイメージがそこにあり、当事者の声がかき消されている。それは声を奪われているということで、それを取り戻さなくては、わたしたちが自分の身体に主体的に関わることはできない。
マジョリティに対してだけ言っているのではない。わたし自身、自分が主体なのだということを忘れて、医療者の方だけでなんとかしてくれないかと、他力本願になってしまうこともある。だからこそ、何度も何度も、この問題はわたし自身が主体なのだと、自分自身に言い聞かせてきた。
よりよい中絶を必要としているのはわたしたちだし、わたしたちはみな、自分の身体のことを決める権利を持っている。
「わたしたちの中絶」というタイトルには、そんな想いも込めたつもりだ。
当事者が語るということは、本人にとっていいことばかりではない。忘れようとしていたことを思い出してしまうこともあるし、周囲に知られたり、思わぬところから批判を浴びることもある。語りたくても語れないこともあるし、当然、「語らない」という自由も、当事者にはある。それでもなぜ語るのかは、人それぞれ違うだろう。
本書にご自身の経験を寄せてくださった方たちがそれぞれどういう気持ちでご協力くださったのか、わたしが代弁するわけにはいかない。でも、どんな気持ちであるにしろ、もしかしたら痛みを伴うかもしれない個人的な、唯一無二の体験を、託してくださったことに、心から感謝申しあげたい。
読者には、こうして声を上げることがいかに困難なものかをご理解いただき、複雑さをそのまま受け止めていただけたらと思っている。