「食」の視点で読み解く 『厨房から見たロシア 包丁と鍋とおたまで帝国を築く方法』
記事:白水社
![ヴィトルト・シャブウォフスキ著『厨房から見たロシア 包丁と鍋とおたまで帝国を築く方法』(芝田文乃訳、白水社刊)は、旧ソ連諸国を縦横に旅しながらロシアの「帝国」を考察する話題作! 『独裁者の料理人』の著者が放つ最新ルポルタージュ。各章にレシピ付き。[Author photo by Albert Zawada]](http://p.potaufeu.asahi.com/cdcd-p/picture/29281893/96cf8d3ce87f5f77cedd863e820643c8.jpg)
記事:白水社
【Rosja od kuchni. Witold Szabłowski. Audiobook PL】
ガソリン、果実酒、少々饐えた魚のフライのにおいが同時に鼻を打った。ガソリンは1時間ほど前に出航した漁船から、果実酒と魚は、きっと酔っ払った守衛が窓の下で戻した胃の内容物からに違いない。ベッドに横たわり、ドアの向こうに黒海のざわめきを聞きながら、私は寝ぼけまなこで、アブハジア共和国(ロシアしか承認していない自称ソヴィエト連邦の孤児)の警察が部屋を捜索するさまを眺めていた。戸口には私がひと晩過ごした休暇センターの管理人がいらいらした様子で立ち、私に言うでも警察に言うでもなく、「あなたはここにいるべきじゃない。あなたがどうやってここに来たのか私は知らない」と繰り返していた。
本当だった。彼は知らなかった。
それで私は2度目か3度目となる説明をした。夜遅く着いたら、酔っ払った守衛にここに通され──そのあと猥褻なロシアの歌をうたい、さらにその後、窓の下に嘔吐した張本人だ──とりあえずここで寝るように、朝になったら話をしようと言われたのだ。
警察は私になんら不審な点を認めなかったので、管理人はどうやら自分は間違えて無実の男のもとに警官を連れてきてしまったのだと気づきはじめた。幸い、警官たちも放免してくれた。冗談を言い合い、私からロシア・ルーブルでお茶代を受け取ると立ち去った。
私は管理人とふたり残された。向こうはだんだんばつが悪くなってきた。彼はジェズヴェ〔トルココーヒー用の小鍋〕でコーヒーを淹れた。まず私に、それから自分に。私たちはしばらく黙ってそれを飲み、管理人は私をなだめようとしたものか、それとも放っておいたものかと思案していた。結局なだめることに決め、コーヒーのほかにグラス一杯のチャチャ──ブドウから作られる非常に強い蒸留酒──を勧めてきた(そちらは断った、朝7時だったから)。それから不意に、あなたは自分がどこにいるのかそもそもわかっているのかと訊かれた。
「アブハジアのノヴィ・アフォン」私はあくびをしながら答えた。
だが管理人は激しく首を振り、それは確かだが、それだけではないと言う。そして私についてくるように言った。それでコーヒーを飲み干して席を立った。管理人はまず門に掛けられた鎖をはずし、それから道路の地下を走る秘密のトンネルを通って、さらに数十メートル進んだ。突然、思いがけず、私たちは楽園の庭に出た。誇張ではない。周囲には松の木に混じってヤシの木が生えていた。アスファルトに落ちて割れたココナッツの果汁が小径を流れていた。2頭の美しい黒馬がそれを舐めており、さらに別の鹿毛の2頭が少し先で草を食んでいる。その小径を歩いていくと、灌木の茂みの間で色鮮やかな鳥たちが追いかけっこをしていた。
こうしたすべてを通り過ぎると、小径は上り坂になった。
途中、「アブハジア大統領私有地──立入禁止」という看板も通り過ぎた。看板の脇にはこの敷地を見張る職員が二人立っていたが、管理人が手を振ると通してくれた。腐緑色のトカゲが足元から逃げ出し、頭上ではまた別の鳥たちがわめいていた。ついにアスファルトが途切れ、私たちは丘の中腹に建つ緑色の家のそばに立っていた。絶景だった。ヤシの木、木立、眼下に見えるターコイズブルーの海。
「ここは極秘の場所だ。スターリンのかつての夏の別荘だよ」管理人は言った。「晩年は休暇のたびに毎年ここに来たものだ。あんたが寝ていた家はあとから建てられたんだが、やはりスターリンの地所の一部さ」
それで何もかも合点がいった。この場所は数十年間、ごく少数の人しか立ち入ることができなかった。スターリンが死に、ソヴィエト連邦は崩壊したが、なるたけ部外者の目を遠ざけよという命令を撤回する者はいなかった。おそらく違法なやり方で建物を観光客に貸し出していたのだ──もしかしてスターリンの別邸も貸していたのでは? あっちじゃわかるものか──存在しない国では何でもありだ。だが、ここで大勢見かけるロシアからの観光客と、ポーランドから来ただれかとでは話が違う。それで管理人はパニックに陥り、警察に通報したというわけだ。
私はすぐにダーチャの内部を見られるかどうか考えをめぐらしはじめた。管理人は私の考えを読み取ったらしい。
「鍵がない」途方に暮れたように両手を広げた。「だが同僚が持っている。お望みなら、今晩入れてくれるよう頼んでみるが」
そこで昼間はノヴィ・アフォンの名所旧蹟を訪ねてまわり、それから戻ってきた。管理人はもう他の男たち数人と一緒に待っていた。そのうちのひとり、アスランという名の男が鍵を持っていた。背が高く白髪まじりで、ソヴィエト連邦時代にはスターリンのダーチャで働いていた人々の会話を録音していたという。私たちを中に通すと、このダーチャがどのように建てられたか、スターリンは正確にはいつここに来たか、どの部屋のどのベッドで寝たかを順を追って教えてくれた。
その間、他の男たちは焚き火を熾し、羊肉のシャシリクを焼きはじめた。皿の上に生の玉ねぎを並べ、アジカ──唐辛子、ニンニク、ハーブ、胡桃で作った肉用のディップ──を添えた。チャチャも注ぎ分けた──いまやそれを飲むべき頃合いだった。全員ここ、ダーチャの敷地内で働いていた。ひとりは庭師、もうひとりは警備員、三人目は馬の世話をしていた。彼らは、ソ連崩壊直後の1992年、アブハジアが──ロシアの助けを借りて──グルジアから分離したとき、アブハジアとグルジアの間で勃発した血なまぐさい戦争を憶えているはずの年齢だった。私たちはこの出会いに乾杯し、杯を飲み干した。戦争について彼らがどう思っているか、それが彼らの疑似小国家に何をもたらしたかについてどうやって訊こうかと私はしばし考えた。幸い、またしても管理人が私の心の内を読み取った。
「ロシアもグルジアも同じ穴の貉さ」チャチャを飲み、スイカをかじりながら管理人は言った。「どちらも我々の浜辺と我々の金が欲しいだけ。俺たちは血を流したのに、その後は悪くなる一方だ」
残りの者たちもうなずいた。
戦争のあと、アブハジアはグルジアから分離したが、かつてソ連のコート・ダジュールと呼ばれた豊かな国は完全に潰えた。いまここで人々はミカンの生産とロシア人観光客だけで生計を立てている。なぜならロシア以外にだれも彼らを国家として認めていなかったし、ロシア人以外、ほぼだれもここに来ないからだ。山々、そして、豪華な装飾を施された建物に藪が生い茂っているというのが、ここの典型的な風景である。
「よかったのはスターリンの時代だけだ」と管理人は続け、仲間たちはめいめいのグラスにもう一杯ずつチャチャを注いだ。「スターリンはこの土地をわかっていた。我々のパンを食べ、我々の魚を食べ、我々の塩を食べていた」
残りの者たちはまたうなずいた。
「スターリンは我々と同じだった。普通の人と同じものを食べていた」馬の世話係が言った。「あのダーチャの裏手にスターリンの厨房がある。俺のじいさんはそこで使用人として働いていた、そう聞いてるよ」
私たちはまた杯を飲み干し、チャチャが私の頭の中でざわめいた。シャシリクが直火で焼かれている間、私は小便をしに行った。スターリンの厨房のすぐ裏の場所を選び、戻るときに窓から中を覗いてみた。ダーチャと同じく、何もかも元のままだった──コンロも、床も、テーブルも、さらには鍋や腰掛けまでも。ここで働いていた料理人はだれだったのだろうと思案しはじめた。スターリンのために何を料理したのだろう? この場所から逃げ出したいと思っただろうか、それともまったく逆に、〈諸民族の太陽〉の近くに立って、そのぬくもりに包まれていたのだろうか?
本書の著者による既刊『独裁者の料理人 厨房から覗いた政権の舞台裏と食卓』の紹介記事
そしてまさにそのとき、ほろ酔い気分で、スターリンは本当に「普通の人と同じように」食べていたのかどうか知りたい、と初めて思ったのだ。仮にそうだとしたら、なぜ? 仮にそうでないなら──なぜ彼らはスターリンが普通の人と同じものを食べていたと思っているのか? 彼らがそう思うことが重要だったのか? だれかがそれを計画したのだろうか?
まさにこのようにして、十年ほど前、あの暖かい晩に、本書のアイデアが生まれた。
それは私の中で数年間熟成し、ついに真剣に取り掛かることにした私は旧ソ連構成共和国のいくつかを縦横に旅した。共産党書記長や宇宙飛行士、前線の兵士たちの料理人を務めた人々に、そしてチェルノブイリやアフガニスタンの戦場から帰還した料理人たちに話を聞いた。すぐにわかったことだが、スターリンは平均的なアブハジア人と同じものを食べてもいなければ、平均的なソ連国民と同じものを食べてもいなかった。ついでに料理に関するそれ以外のいくつかの秘密──スターリンとその後継者たちの──も発見した。
本書を読めば、スターリンの料理人がゴルバチョフの料理人に、いつ、どんなふうに──そして何のために──イースト生地に対する歌い方を教えたかがわかるだろう。アフガニスタンの戦場の料理人ニーナが、いい雰囲気を兵士たちと分かち合いたいと願いながら、いかにして無理やり楽しいことを考えるようにしたかも。大事故から数週間後、チェルノブイリ周辺でいかにして最高の食堂を作るかを競うコンテストが開かれ、だれが優勝したかも。
妻の命を救うために独裁者と不平等な戦いを繰り広げたスターリンの毒見役についての物語も読むことになるだろう。宇宙に飛んだ最初のスープのレシピも知ることになるだろう。そして、最後のロシア皇帝ニコライ2世が食べたコキジバトのパスタ添えのレシピも。ブレジネフはどうしてキャビアが嫌いだったのかもわかるはずだ。
また、スターリンが飢餓によって痛めつけようとしたウクライナで、そしてレニングラード封鎖の間、食べるものが何もなかった人たちの厨房についても読むことになるだろう。
しかし何をおいても、食べ物がいかにプロパガンダに役立つかがわかるだろう。ソヴィエト連邦のような国では、カリーニングラードから北極圏まで、キシナウからウラジオストクまで、あらゆる食堂やレストランで揚げられ供されたすべてのカツレツがプロパガンダに一役買っていた。そして、共産党書記長が食べていたものも、一般市民が食べていたものも政治色を帯びていた。他方、ロシアはソ連の立派な後継者なので、ソ連が何十年もそうしてきたように、相変わらず人々にプロパガンダを与え続けている。
料理人スピリドン・プーチンの孫、ウラジーミル・プーチンがロシアを支配しているのも偶然ではない。この両者についても本書で読むことになるだろう。
ノヴィ・アフォンにあるスターリンのダーチャは、今日、十数ルーブルのチケットを買いさえすれば、合法的に訪れることができるらしい。だが私が訪問した数年後にそこを訪れた知人によると、スターリンの厨房は依然として立入禁止で、ドアは固く閉ざされているという。
本書の18枚の皿に分けられた料理人たちの物語は、そのドアをわずかに開く試みである。
【ヴィトルト・シャブウォフスキ著『厨房から見たロシア 包丁と鍋とおたまで帝国を築く方法』(芝田文乃訳、白水社刊)より、「序文」を全文紹介】
【Rosja od kuchni. Spotkanie z Witoldem Szabłowskim】