わたしたちは、フランスに何を見てきたのか 『「ふらんす」100年の回想』の舞台裏
記事:白水社
記事:白水社
白水社・鈴木美登里(以下、鈴木):雑誌「ふらんす」のアンソロジー『「ふらんす」100年の回想 1925-2025』がこの1月に刊行となりました。1200冊近いバックナンバーの中から収録記事を選定し、10年ごとにくわしい解説を執筆してくださった九州大学教授の倉方健作さんと、この本の編集作業にあたったわれわれ白水社の2名で、この本ができるまでについていろいろお話していきたいと思います。
白水社・小山英俊(以下、小山):「ふらんす」が創刊90年を迎えた10年前の2015年度は、毎月その表紙を過去の書影が飾り、その年や号について倉方さんが「ふらんす90年」というタイトルの巻頭連載で1年間解説してくださいました。同時に「過去の誌面から」として、連載内容に即した具体的なページも再録されていて、この雑誌の歴史や時代を振り返ってくださいましたよね。こちらの連載は今も「Webふらんす」でお読みいただけますが、もともと雑誌「ふらんす」についてお詳しかったんですか? この連載を担当されるにいたったきっかけは覚えていらっしゃいますか?
倉方健作(以下、倉方):いや、実ははっきりとはおぼえていないんです(笑)。ただ確かなのは、白水社と最初に仕事をしたのがその少し前、鹿島茂先生との共著『カリカチュアでよむ 19世紀末フランス人物事典』(2013)だったことです。
鈴木:鹿島先生とは以前から接点があったんですか?
倉方:いえ、鹿島先生の大学時代の同級生である東京大学の月村辰雄先生からのご紹介でした。東京大学で博士号を取得してしばらく経った頃、飯田橋のリヴ・ゴーシュ(当時は欧明社の支店。現在は鹿島茂プロデュースのシェア型書店Passage Rive Gauche)で立ち読みをしていると携帯電話が震えて、店の外で出てみたら思いがけず月村先生でした。「僕の友人の鹿島茂君がLes Hommes d’aujourd’hui(今日の人々)の表紙版画をホームページにアップするにあたり、その人物評を書くのを手伝ってくれる人を探しているのだけど、アルバイトする気はあるか?」と。「今日の人々」というのは、19世紀の文学者や政治家を扱った伝説的なカリカチュア新聞です。鹿島先生はその貴重な全469号を入手して、その他のコレクションも含めて、19世紀の版画を中心とするレンタルポジサイトを立ち上げる準備をしていました。『今日の人々』は、私の研究対象である詩人のヴェルレーヌも執筆に関わっていたので、それで月村先生が声をかけてくださったのかと思います。それで、当時西麻布にあった鹿島先生のスタジオNOEMA images Studioに伺いました。お金がきっちり出る仕事で、鹿島先生のおっしゃるには「僕が受けている仕事で一番原稿料が安いのは「ふらんす」という雑誌なんだけど、その半額でどうだろう」と(笑)。当時、僕は東京のいくつかの大学で非常勤講師をしていたんですが、まだ専任についておらずちょっとやさぐれていた時期でもあったので、喜んで引き受けました。その後、「これをレンタルポジサイトの解説に終わらせるのはもったいないので書籍にしては?」という話が持ち上がり、白水社の編集者に紹介されたのが、今日まで続くご縁のきっかけです。
鈴木:この記念碑的な共著の出版イベントが東京堂書店で開かれた時に、お二人の話を聞きに行きました。同世代なのに、なぜか恐ろしく昔の話をよく知っている博覧強記の「倉方健作」という人を知ったきっかけです。その翌年2014年に、共通の知人を介して一度食事をしたんでしたね。
倉方:たしか帰り際だったのか、「白水社が来年100周年」だと聞いたように思います。それで、翌日、白水社の創業者福岡易之助について詳しく書かれた、ちょっとめずらしいPDF資料をいくつか鈴木さんに送ったんですよね。
鈴木:福岡易之助の地元である秋田の、地方の会報のようなものなどで、創業者について社員も知らないようなことがいろいろ書かれている貴重な資料でした。当時の社長の及川が「100周年」に向けて社史をまとめていることを知っていたので、これは!と思って、すぐに社長室に資料を持っていきました。その後もさまざまな資料をくださって、あの社史は倉方さんの資料のおかげで書き上げられたものです。
倉方:そのあたりからか、「なんか詳しい人がいる」という話になって、及川さん経由で連載の話が回ってきたような気もします。まあ、そこに至る前史としては、高校時代に辰野隆・鈴木信太郎訳の『シラノ・ド・ベルジュラック』を面白く読んだことや、早稲田大学への進学後、定年間近の窪田般彌先生の授業を受けたりしたことなどがありました。窪田先生のお話には、なにしろ1926年のお生まれですから、山内義雄だとか齋藤磯雄だとか、伝説的な仏文学者たちの逸話がぽんぽん出てきました。そういった話を伺うのが非常に好きだったのですが、そんな学生も珍しかったのか、可愛がっていただきました。授業で昔の文学者の話をしてもあまり反応がない、学生の記憶には「渋谷で生前のハチ公を見た」という余談のほうがよっぽど残るらしい、なんてことをおっしゃってましたが。そんなこともきっかけに、少し昔の仏文学者の随筆集などを古本で買い集めて読んでいたのですが、それから東京大学の大学院に入ったことで、また別の歴史のなかに身を置くこともできました。ですから鈴木さんにお会いした時点ですでに20年の蓄積があった、と言えなくもないですね。胸を張れるほど系統的な知識でもなかったですけど。
鈴木:20年前にも、過去の記事を振り返る『「ふらんす」80年の回想』(以下『80年の回想』)が刊行されました。小山さんはその時もアンソロジーの編集に関わっていました。今回とは編集方針がかなり違いますよね。
小山:『80年の回想』は、私も含めた雑誌編集経験者4名がコピーを回覧して「面白い」「懐かしい」という観点で選んでいって投票するといった形式をとりました。いわば、編集者の記憶の集積です。ネームバリューのある執筆者や印象深い記事を拾っていく、回顧録的な編集でした。それに公平性を加えるべく、松原秀一先生に「『ふらんす』の80年」、「『ふらんす』と私」という共通タイトルで木下光一先生、佐々木康之先生、鹿島茂先生、堀江敏幸さんの4名の方々にご寄稿していただきました。
鈴木:今回決定的に違うのは、「案内人」を立てたことだと思います。『80年の回想』は、一つ一つの記事は貴重だしとても面白かった。それはそれで魅力的なラインナップだったと思いますが、全体を通して読んだときに、時代の流れや雑誌の変化が必ずしも見えてこないのが読者として少し残念に感じていました。ですから、今度同じような機会があったら、必ず「一人の編者」によってまとめていただきたいと強く思っていましたし、それには倉方さんしかいらっしゃらない。夢が叶いました。
倉方:雑誌を100年分通読すると、個々の記事以上に、「その時代にフランスがどう受け止められていたか」が見えてきました。ただ、政治、文学、映画、語学――どれかに偏りすぎてもいけないし、かといって網羅的にもできない。そのバランスをどう取るかが、最大の課題でした。
小山:また、20年前の『80年の回想』と今回の本の一番の違いは、扱っている年代そのものですよね。『80年の回想』は、創刊から事実上「戦前から戦後しばらくまで」で終わっている。2005年刊行ですが、収録されているのは1970年代まででした。創刊80周年ではありましたが、50年あまりしか回想されていなかった。一方、今回は、80年代以降から直近まで、その後の50年分をアップデートすることができ、「一続きの歴史」として見せることができました。
倉方:私自身が「ふらんす」を手に取りはじめた90年代のバックナンバーの確認は、個人的にとりわけ印象深い「再読」でした。『80年の回想』は、どちらかと言えば現在から切り離された「歴史」として読んだのですが、今回はその「歴史」が現在まで地続きになっていることをはっきりと体感できました。
鈴木:今回、あらためて数字で示してみて衝撃だったのが、「500分の1」という分量の制約です。毎号80ページとして、新年度号の4月号の増ページ分も数えて1年で約1000ページ。100年分で約10万ページ。その中から200ページしか選べなかったわけですから、単純計算で500分の1、つまり0.2%にすぎません。つまり、99.8%は収録されていない。
小山:「泣く泣く諦めた記事」は無数にありますよね。
倉方:個人的な興味から面白いと思った記事はいくらもありました。ただ、極端に言えば、追悼文ばかりの懐古的なアンソロジーになってもあまり前向きではないですし、そこは時代性を反映しているか、雑誌の多様性は示されているか、その一方で100年を貫く心棒のようなものは見えるか、といった観点を優先しました。
小山:今回、「生き物」としての雑誌の全体像(骨格)を解説で見事に示された倉方さんの手腕は見事だと思います。
鈴木:毎章読み応えありますよね。一方で、われわれの趣味がどうしても出てしまい、「文学」寄りでは?という声も出そうですが。
倉方:それは避けられない部分もあります。ただ、通読してみると、映画、音楽、演劇、語学、社会評論など、比較的バランスは取れたように思っています。むしろ、「文学にしか見えない時代」が確かに存在した、ということが可視化されたのではないでしょうか。
小山:語学雑誌としての「ふらんす」をどう扱うかは、難しかったですね。
倉方:語学記事は、そのまま再録すると文脈が切れてしまう場合が多い。特定の学習段階や時代背景に強く依存しているからです。ただ、だからといって切り捨てるのではなく、「語学がどう位置づけられていたか」を示す形で拾いました。
鈴木:たとえば、入門記事が前面に出る時代と、文化・読み物が前に出る時代が、はっきり分かれますよね。語学雑誌でありながら、「語学そのもの」を前面に出さない時期が長いというのも、「ふらんす」の特徴だと思います。そこには、読者層の変化や、大学教育との関係も影響しています。
倉方:そうですね。ただ、あらためて強調したいのは、今回収録されているのは雑誌の歴史の0.2%に過ぎないということです。まったく別の視点から、100人いれば100通りの「100年の回想」が編めるはずです。ぜひバックナンバーに手を伸ばして「ふらんす」100年の豊かさをより感じていただければと思っています。
鈴木:100年分を通して読んで、改めて何か気づいたことはありますか。
小山:一般向けを強く意識した時期は、案外短いということでしょうか。
倉方:そうですね。最初は同人誌的で、その後も、常に「誰に向けているのか」を問い続けてきた雑誌だと思います。こうして駆け足で振り返ってみると、時代のニーズなどに合わせて、その都度細かくチューニングし直しながら、扱うテーマやページ構成などを常に模索してきたことが見てとれますね。一方で、あまり変化を感じさせないのがページレイアウトです。意外と早い段階で、誌面の基本形ができあがっている。これは、以前別の機会に書いたこともありますが、「ふらんす」創刊以前に、すでに白水社に雑誌づくりのノウハウがあったためだと考えられます。
鈴木:わたしもちょっと驚きました。『80年の回想』に収められているのは1970年代までの記事なので、ページレイアウトにさほど違いがないのも当然だと思っていましたが、その後、80年代あたりは印刷技術も過渡期で、少しワープロっぽかったり、実験的だったりする。また2000年代に入ると、いまと同じような組版ソフトでかなり自由なデザインが可能になってきていますので、一冊に収めたときに、バラバラな印象になるのではないか、どの時代にも応用できるページフォーマットは可能だろうか、とちょっと不安がありました。
小山:最初の80年分は、倉方さんがセレクトしてくださったページを会社に保管しているバックナンバーからひとつずつ探して印刷所でスキャンしてもらいました。最後の20年分は社内に保存されているデータから。今回の本のカバーやページレイアウトのデザインは、2022年度から本誌のデザインを担当してくださっている、志岐デザイン事務所の古屋真樹さんにお願いしました。
鈴木:最近のものは「断ち落とし」といって、用紙いっぱいいっぱいまで装飾などを印刷したりもできますが、そういうのも含めて、意外と違和感なく一冊の中で並んでいますね。単に、この雑誌がいまだに古風な誌面であるというだけなのかもしれませんが(笑)。また表紙デザインやタイトルロゴの変遷については、単行本の冒頭に「ふらんす 表紙100年」というカラーページが収録されていますので、ぜひ楽しんでいただきたいですね。今号でも何人かの連載執筆者の方々に、好きな表紙を選んでいただき、コメントをいただきました(→雑誌『ふらんす』2026年2月号 p.11-15参照)。
小山:今のように毎号特集を組むようになったのは2008年以降ですが、それ以前にも1983年度に特集が組まれるようになって、すぐに廃れてしまったというのは、倉方さんに指摘されるまで、気づいていませんでした。今回のアンソロジーは連載が中心ではありますが、解説のなかでの、これまで特集でどんなテーマを扱ってきたかについての倉方さんの分析は、その都度目から鱗でした。
倉方:本の構成上、特集の記事のほとんどはどうしても割愛せざるを得なかったので、なるべく解説のなかで取り上げるようにしました。「食」「仏検」「漫画」「フランス語圏」など、それだけでもまた別のアンソロジーが編めそうです。
鈴木:1972年度に始まった、松原秀一先生の各界の著名人に話を聞く「対談」が好評だったというご指摘がありましたね。精神科医で作家のなだ・いなださん、シャンソン歌手の石井好子さん、版画家の駒井哲郎さんなど、フランスに縁の深い方々が登場されています。翌年は聞き手を安堂信也先生に変えて、また12名の多彩なゲストを迎えています。これに近いものとして、2004年度に「フランスと私」という各界で活躍する方々にフランスとの関わりを綴っていただくエッセイ(インタビュー)のリレー連載が始まりました。16年ほど続き、190名ほどの方々にご登場いただきました(→雑誌『ふらんす』2026年2月号 p.16-19の一覧参照)。
倉方:僕はこの中から、パリ・ジュンク堂書店の代表だった工藤恭孝さんと、作家の平野啓一郎さんの記事を本に収録しました。
鈴木:初回の脚本家の久世光彦さんに始まり、本当に多彩な顔ぶれですよね。今号でも、小山さんが一番印象的だったという翻訳家の平岡敦さんと、現在90歳の現役DJでギネス保持者のDJ SUMIROCKさんの記事を再録しています(→雑誌『ふらんす』2026年2月号 p.20-23参照)。きっとまだまだ掘り起こし甲斐のある『ふらんす』、ぜひ倉方さんの後に続くような方が出てくるとうれしいですね。
[雑誌『ふらんす』2026年2月号より。鼎談を全文紹介]
▽『「ふらんす」100年の回想』目次