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人口減少時代に、「大学」は人間の未来を支えられるか

記事:明石書店

『大学リスキリング教育――高等教育が拓くキャリアの持続可能性』(新居田久美子 著、明石書店)
『大学リスキリング教育――高等教育が拓くキャリアの持続可能性』(新居田久美子 著、明石書店)

 毎年の恒例となってしまった厚生労働省による出生率低下のニュース。「出生数が前年度を割り込んだ」という報道を目にするたびに、私は言葉にできない憂鬱さに襲われる。それは単に「子どもの数が減る」という統計上の話だけではない。地域が縮み、働く人が減り、社会を支える力が失われ、街が消えていく。その果てには、かつて当たり前だった「日本人」という存在そのものが消滅していく未来が、現実味を帯びて迫ってくるからである。

 東北大学の吉田浩教授らによる「子ども人口時計」*1では、現在の傾向が続いた場合、日本の子ども人口が将来一人になる時点が示されている。2026年4月1日時点の推計では、それは西暦2644年8月13日に訪れるとされる。もちろん、これは未来をそのまま予言するものではない。少子化という社会現象を、時計という形で可視化した思考実験である。しかし、この数字が突きつける問いは重い。私たちは、人口が増えることを前提に設計された社会のままで、本当にこれからの時代を生きていけるのだろうか。

 私の専門はキャリア教育である。大学で、学生たちの生涯にわたるキャリアの礎を築く支援を行い、またキャリアコンサルタント、公認心理師として、若者や社会人のキャリア形成を伴走してきた。その立場から見ると、人口減少の問題は、単なる経済規模や労働力不足の問題にとどまらない。それは、一人ひとりの「キャリアの持続可能性」をどう支えるのかという問題でもあるからだ。AIやデジタル技術の進展によって、仕事のあり方は急速に変化している。かつてのように、一つの会社や組織が定年まで個人のキャリアを守ってくれる時代ではなくなった。個人は、変化する社会のなかで、自らの能力を更新し、時には役割を変え、何度も学び直しながら生きていく必要がある。すなわち「リスキリングを当たり前とした教育」である。しかし、現在の「日本の大学」は、本当にそのような社会に対応できているのだろうか。

 多くの大学は、いまもなお18歳で入学し、4年間学び、卒業して社会へ出るという「片道切符」のモデルを前提にしている。もちろん、大学は若者にとって重要な学びの場であり続けるべきである。しかし、人生100年時代といわれ、働く期間も長くなり、キャリアの転機が何度も訪れる可能性が高いこの時代に、大学は今のままでよいのだろうか。

 社会に出て壁にぶつかった卒業生が「もう一度学びたい」と思っても、大学に戻る道は決して広くない。学籍番号を失った卒業生は、キャリアセンターの支援の外側に置かれることも多い。「あのとき、もっと学んでおけばよかった」と後悔する人がいても、大学はその人に再び扉を開く仕組みを十分に持っていない。私はそこに、日本の高等教育の大きな課題を感じてきた。

 実は、私自身もまた、人生の途中で学び直した社会人の一人である。民間企業での実務経験を経て大学教育の現場に入り、40代後半で大学院に進学を決意し、数々の辛酸を舐め、現職を得た。まさに、自分自身がリスキリングを経験してきた。しかし、その過程で痛感したのは、社会で培った経験やスキルが、大学のなかでは十分に評価されにくいという現実だった。営業、マーケティング、顧客対応、クレーム処理、人材育成、組織内調整など、企業で働くなかで身につけた力は、決して軽いものではない。にもかかわらず、それらを大学の学びに接続し、正当に評価され、次の学習につなげる仕組みは乏しかった。基礎から学び直そうと大学の授業に参加しても、中年期の学生はどの授業でも私一人だけだった。学び直しが必要だと言われながら、その人たちが自然に大学に溶け込む風景は、まだ日本では一般的ではない。だからこそ、私は本書『大学リスキリング教育』を書いた。

 本書で問いたかったのは、大学が生き残るために社会人教育をすべきだ、という単純な話ではない。むしろ逆である。人口減少社会において、人間の可能性を支え続けるために、大学はどのような社会的役割を果たすべきなのか。その問いに向き合いたかった。

 海外の大学には、社会人の実務経験を学習成果として認定するRPL、すなわちRecognition of Prior Learningの仕組みがある。また、職場での経験と大学での学びを結びつけるWIL、Work Integrated Learningの考え方もある。さらに、必要な知識やスキルを短期間で増やし、その成果をデジタルに証明するマイクロクレデンシャルやオープンバッジの仕組みも広がりつつある。これらに共通しているのは、あらゆる学びを可視化し、年齢や所属で閉じ込めないという発想である。

 たとえば、これまで評価が難しいとされてきた対人関係能力や課題解決力といった「見えない汎用スキル」。これを教員の主観に委ねるのではなく、「行動事実」に基づいて客観的に評価し、オープンバッジ化する具体的なルーブリック案も本書には収録した。これは、個人の多様な経験を社会で通用する「知の通貨」*2へと変換し、学習者の自尊感情を回復させるための、社会正義に根ざしたツールでもある。

 本書では、そのための考え方として、「シン・キャリア教育」「オープンループ」「60年カリキュラム」といった概念を提示し、人生のなかで何度でも入り直せる開かれた壮大な「ループ」として設計を提案する。初年次教育から社会人のキャリア開発や生涯教育までをつなぎ、大学、企業、地域、行政が連携しながら、人が何度でも学び直せる仕組みをつくる。その実践的な設計図を描こうとした。初年次から社会人までを貫く『シン・キャリア教育』の体系的なカリキュラム案は、大学が地域社会や産業界と連携し、真の『リスキリング・エコシステム』を構築するための一つの手がかりである。大学改革に挑む関係者や政策立案者はもちろん、自身のキャリアを主体的に歩もうとするすべての学習者に向けて、明日からの「実践」に直結するヒントを一緒に考えてみたい。

 正規課程に4年間通う人だけが学習者なのではない。すでに社会で働き、悩み、経験を積み重ね、そして積み上げた専門知識の一部が賞味期限切れになる前に、さらに自分の力を進化させたいと願う人もまた、大学の大切な学習者である。

 私は、これからの大学は「人生のハブ」になるべきだと考えている。若いときに一度だけ通過する場所ではなく、人生の節目ごとに戻ってこられる場所。技術が陳腐化してしまったとき、仕事で壁にぶつかったとき、地域や社会にもう一度関わり直したいとき、大学がその人のそばにある。そんな社会インフラとしての大学を構想したかった。

 「大学は、もう一度その中心に立てるのではないか」

 リスキリングが叫ばれる現代において、我々が必要としているのは、まさに「直線的なキャリア観からの解放」だ。学びと労働を分断せず、人生という長いループのなかで何度も大学というハブを経由し、知を更新し、社会に還元するオープンループの場へと変わるなら、日本のレジリエンスは高まるのではないか。

 リスキリングとは、単に新しいスキルを身につけることではない。変化に追われないための学びでもない。自分の人生をもう一度編集し、社会との関係を結び直すための学びである。人口減少時代に必要なのは、悲観しあきらめることではない。本書が、そのための小さな一歩となれば、著者としてこれに勝る喜びはない。


*1 東北大学経済学研究科 高齢経済社会研究センター「子ども人口時計」https://sites.google.com/view/caestop/home/JCCC
*2 新居田久美子(2026)『大学リスキリング教育―─高等教育が拓くキャリアの持続可能性』第12章「世界のリスキリング教育の構造的摩擦」pp.181-189

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