フェアトレードはどこから来て、どこへ行くのか――サステナブル時代に「公正さ」を再考する
記事:明石書店
記事:明石書店
フェアトレードは、貧しい途上国の生産者に公正な対価を支払う取引として、日本では2000年代中頃から知られるようになった。2004年に国際フェアトレード認証制度の日本組織であるフェアトレード・ラベル・ジャパンが改称・NPO法人化されて普及が本格化し、様々な国際協力団体も自らの活動の一部をフェアトレードと位置づけるようになった。スターバックスやイオンも認証商品を取り扱い、フェアトレードはにわかに「ブーム」となった。
このブームの背景には、2000年代前半、コーヒー豆の市場価格の暴落によって農家の貧困が世界的に拡大したことがある。グローバルな市場経済を前に、モノカルチャー(単一栽培)の脆さが露呈したのであった。フェアトレードは1980年代当初、主に中間業者を介さない直接取引が強調されたが、この2000年代には市場価格に対する最低価格の保証という役割に注目が集まり、商品購入における一種の寄付効果が謳われた。
それに伴って強調されたのが消費者の選択であった。商品の裏側にあるストーリーに目を向け、自身の消費を見直そうというメッセージとともに、フェアトレードが拡大したのがこの時期である。それは、善意にもとづく利他的な消費であると同時に、スローで豊かなライフスタイルを求める自己充足的な消費でもあった。途上国支援と消費文化という異質だったものが結びつき、私たちのライフスタイル変容としてフェアトレードは受容されていった。その後、2010年代には消費者庁によって倫理的消費(エシカル消費)という形で推進され、また中学や高校の教育現場でも格好の題材となるなど、その存在自体は社会的に浸透していくことになった。
こうしてフェアトレードは認知度も高まり、フェアトレードタウンやフェアトレード大学も増え、認証商品の販売額も増加した。しかし、どうだろうか。あらゆる商品がフェアトレードになったかというと、そういうわけでもない。スーパーのコーヒーやバナナの多くは、従来と大きく変わっていないように見える。なぜだろうか。フェアトレードは消費的言説や教育的言説の声の大きさに比して、実経済には浸透していないということだろうか。ここでは、別角度から見る必要がある。
一方、企業経営をめぐる環境はこの20年余りで大きく変わってきた。2000年代にはCSR(企業の社会的責任)が浸透し、環境や社会への配慮が企業ガバナンスの中に組み込まれ始める。2010年代後半になると、国連SDGs(持続可能な開発目標)の広がりを受けて、 企業経営においても事業と社会的課題の解決が結びつけられ、さらにはESG(環境・社会・ガバナンス)が企業評価の指標として広く浸透し、企業価値を左右するようになった。これは、さしずめ「サステナブル市場」の台頭と言ってもいいだろう。環境や社会への配慮それ自体が価値となる市場である。
そこで課題となってきたのがサプライチェーン(供給網)の管理である。グローバル市場における原材料の調達は複数の事業者を経由しており、その上流で環境破壊や搾取労働があっても、下流の企業には不透明である。にもかかわらず、最終消費財として販売する企業にそのリスクが降りかかってくる。そこで重宝されたのが、商品のトレーサビリティ(追跡可能性)を保証する第三者認証であった。フェアトレード認証もそのひとつである。フェアトレード認証の拡大は、消費者マーケティングとしてのみならず、サプライチェーン管理のツールとしての需要があったからだと言える。
同時に、サプライチェーンの監視技術も、この数年ほどで大きく進化した。複数の品目を取り扱う大型スーパーマーケットなどは、商品ごとに異なる認証を契約するのは非効率であるとして、原材料を一括管理する自社認証を展開するようにもなった。また、ブロックチェーン技術を用いたトレーサビリティ管理の手法が台頭し、認証スキームを用いなくとも生産物の同一性が確保できるようになった。たとえばアパレルブランドのロンハーマンは、大手商社が開発したブロックチェーン・プラットフォームを使用して綿花を追跡している。透明性と生産者支援を謳うその文言には、もはやフェアトレードという言葉は登場しない。
つまり、今やフェアトレードという名を冠することなく途上国の生産者と公正な取引を掲げることが可能になったのである。フェアトレード商品が増えるというよりも、その理念と手法がグローバルな生産・取引に浸透していく、これがこの数年ほどの動きであった。したがって、フェアトレード認証商品が増えていないとしてもそれは停滞ではなく、見えない形で、取引のインフラとして市場経済に溶け込みつつあるということだ。フェアトレードの「普及」の意味が変わってきたのである。
さらに現在、EUではデューディリジェンス(人権・環境保護の義務化)をめぐる法制化が進んでいる。2024年に「企業持続可能性デューディリジェンス指令(CSDDD)」が発効され、対象企業にはサプライチェーン上の労働者の基本的人権を守るとともに、十分な生活所得を守る義務が課せられることになった。2028年には加盟国の法整備、2029年には企業への適用が始まる。これが実現されれば、少なくとも名目上、公正な生産と取引の基準は経済の「デフォルト」となる。
では、フェアトレードはその役割を終えようとしているのか? そう見えるかもしれない。しかし、サステナブル市場と呼べる昨今の状況には落とし穴もある。
そのひとつは、企業のリスク管理のために立場の弱い生産者に高度な基準を要求するという逆説的側面である。厳しい環境基準や労働基準を満たせる小規模農家はそう多くはなく、最も貧しい生産者を排除してしまうことが懸念されてきた。また、この市場の規格は農作物の栽培を念頭においているが、実は貧しい農家ほど森林資源の採集に頼っており、その農民自身の生計戦略と齟齬を生じさせている。
デューディリジェンスが徹底されると、こうした逆説はより顕著となるおそれがある。小規模生産者にとっては、公正さを担保する基準が市場への参入障壁となりかねず、大企業の求めに適応できる能力を備えた「サステナブル」な大農園だけが利益を得ることになるかもしれない――これは、サステナビリティという言葉が描いた未来とは異なるはずである。
フェアトレードはまだ役割を終えていない。本書は、サステナブル市場の意義を認めつつも、この市場の落とし穴を乗り越えるフェアトレードの「転換」に着目しようという試みである。ただしそれは、生産者のみに焦点をあてる ことでも、フェアトレードの原義に立ち帰ることでも、あるべきひとつのフェアトレードの形を追求するものでもない。フェアトレードはそもそも複数形の運動であり、様々な立場から、様々な仕方で試みられてきた。フェアトレードは一つの物語ではない。慈善活動、社会運動、産消提携、ビジネス、認証制度、企業ガバナンス、倫理的消費――このように多中心的であるからこそ、社会の亀裂の隙間を縫うようにして貧しい生産者を支えることができたのではないか。
サステナブル市場のもと、公正さの規格化が着々と進みつつある。規格化はきわめて重要である。だが、そこには隙間がある。そして、その隙間を埋めるのは、善意のみではなく、ときとして社会正義とは似ても似つかぬ突拍子もないものだったりする。理論通りではないかもしれない。だが、隙間がない「正しい」「綺麗な」世界を描くだけでなく、隙間を塞ぐ応急処置や知恵が地下茎(リゾーム) のように張り巡らされた世界を描くことこそ必要ではないか。
「ブーム」から約20年、その間フェアトレードは進化し続けてきた。それは教科書のように整備された真っすぐの道ではなく、そこに関わる人々のローカルな実践知にもとづいた、曲がりくねった「けもの道」だったように思われる。本書は、7人の論者それぞれが現場で見てきたものから、フェアトレードの野性的な実践知を捉え、公正な社会を考える新たな思考の糧を提出していきたい。
まえがき
序章 フェアトレードの展開と変容[畑山要介]
1章 日本の消費者にとってのフェアトレード[畑山要介]
2章 フェアトレード認証の進化論――グローバル企業とラベル[佐藤寛]
3章 フェアトレードを活用した生産組合の挑戦――公平性が生む価値創出[小谷博光]
4章 気候変動とフェアトレード[武田淳]
5章 フェアトレードと森林資源との出会い[牧田りえ]
6章 反プランテーションとしての民衆交易――農民の「自立」論再考[箕曲在弘]
7章 フェアトレードの目標再考――サステナブル商品としてのルイボス茶を例として[池上甲一]
終章 サステナブル市場とフェアトレードの行方[池上甲一]
あとがき