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「チョコレート」本でひもとく 「神の食物」大衆化の裏側で 渡辺龍也・東京経済大学教授

カカオの実。黄色い外皮の中に白いジェル状の物質におおわれた種が入っている=バリ島

 胸ときめくバレンタインデーまであと少し。この日を飾るチョコレートの軌跡を追うと、光と影が織りなす社会史が見えてきます。「チョコレートの歴史」は、米国の人類学者夫妻が研究者魂とチョコ愛を込めて書き上げた不朽の書です。チョコレートの主原料カカオは「神々の食べ物」という学名が示すように、マヤ、アステカ文明では神々に捧げられ、その豆は貨幣としても使われました。

産業革命で量産

 当時の食し方は、発酵、乾燥、焙煎(ばいせん)した豆をすりつぶし、水に溶いて飲むというものでしたが、征服者のスペイン人が砂糖を加え湯に溶かす形にして(ココアの原型)ヨーロッパに伝えました。初めは王侯貴族の飲み物でしたが、産業革命時に板チョコが考案、量産されて、19世紀半ばには一般庶民も口にできるものになりました。その庶民に売り込もうと考え出されたのが、バレンタインデーの贈り物にすることだったのです。

 19世紀当時のチョコレート業界は社会改革の旗手でした。労働者の酷使が当たり前の時代に福利厚生を提供したり、職住接近の町を建設したり、最低賃金の保証や奴隷貿易の廃止を訴えたりしたのです。(武田尚子著『チョコレートの世界史』=中公新書=にも詳しい)

 歴史には「光」があれば「影」もあります。カカオの原産地である中南米では16世紀に征服者が持ち込んだ伝染病や苦役のせいで、農園で働くインディオの人口が激減しました。その穴埋めに使われたのがアフリカからの奴隷です。産地と強制労働は、アフリカやアジアにある欧州列強の植民地へも広がりました。

 20世紀に入ると植民地が独立し「影」は薄くなっていきました。途上国政府がカカオ豆を買い支え、先進国も価格の安定に協力したからです。ところが、自由競争を絶対視する英米主導の「新自由主義」が40年ほど前から影響力を強めて、それらのセーフティーネットを破壊し、企業の寡占ももたらしました。その結果、主要な産地では小売価格の半分近くを手にしていた生産者が、わずか5%程度しか手にできなくなったのです。

児童労働を告発

 『チョコレートの真実』は、さまざまな「影」――カカオにからむ政府の腐敗、武力抗争、失踪など――を追ったカナダ人ジャーナリストによる告発の書です。「チョコレートの物語は、公平とは何かということと深い関係がある」と語る著者は、身売り・監禁され、奴隷のように働かされる「児童労働」の実態を明らかにしました。

 『子どもたちにしあわせを運ぶチョコレート。』では、児童労働の撲滅に立ち上がった市民団体が、草の根の視点から見た問題の所在や解決の道筋を提示しています。問題の根源はカカオ豆のあまりに安い買取(かいとり)価格にあります。貧困から抜け出せない生産者は安上がりな児童労働を使わざるをえないからです。

 解決策の一つに、買い叩(たた)くのではなく、生産者がまともに暮らせるだけの対価を払うフェアトレードがあります。公正な対価に加え、児童労働の禁止、生産者の能力強化、組合作り、環境保護なども推進しています。その趣旨に賛同する企業も次第に増え、スーパーやコンビニにもフェアトレード・チョコレートが並ぶようになりました。

 いまカカオの産地には静かに危機が忍び寄っています。このまま地球温暖化が進むと30年後には生産量が激減すると予測されています。安い価格に若者が栽培をあきらめ、後継ぎが減っています。安いチョコレートに「甘えて」いる間にカカオの生産者も生産地も消えていく、そんな「苦い」未来を招かないためにも、責任ある企業行動、消費行動が求められています。=敬称略=朝日新聞2020年2月8日掲載