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短歌は三十一文字の宇宙 ──岡村靖幸×俵万智『短歌ご一緒しませんか』より

記事:筑摩書房

短歌は手紙のようなもの

――短歌というと、堅苦しい印象のある方もいらっしゃるかもしれませんが、俵万智さんは、誰もが知る代表作『サラダ記念日』(河出書房新社、1987年)をはじめ、私たちがふだんから使っている話し言葉の延長線上にある平易な言葉で短歌を詠まれ、そのハードルをぐっと下げてくださいました。定型の限られた枠に思いと言葉を込める、という意味では、岡村さんが歌詞をつくる時に使う思考回路ともリンクするところがあると思うので、芳醇な歴史と斬新な現代性をあわせ持つ短歌を学び詠んでみよう!というのが、この短歌教室の趣旨になります。……が、いったい何から始めればいいのでしょうか?

俵 短歌のルールというのは、『短歌をよむ』(岩波新書、1993年)の冒頭などにも書きましたが、五七五七七という決まりがある、本当にそれだけなんです。

岡村 大事なのは「心の揺れ」ということですよね。日々の中で「あっ」と思ったことや、「これってこういうことかも」と自分の心の中で気づきみたいなものがあった時、そこが歌のコアになるんだなということが、『短歌をよむ』を拝読してよくわかりました。あと、かなり昔に詠まれた歌を通じて、「昔の人ってこう思ってたんだな」とか「今と全然変わらないんだな」って思えたり、逆に今はネットのようなテクノロジーが人の心を隔ててしまっている部分もあるのかもなみたいなことを学んだりもできますよね。

俵 ステキ! なんかもう答えを全部言ってもらっちゃった感じです(笑)。いやいや、まさにおっしゃるとおりなんですよ。短歌は日本で一千年以上前からつくられていて、なんだかんだ言って今でもすごく多くの人がつくっている詩ですが、こんな言葉の文化がある国というのは、本当に世界でもめずらしいんです。だから私たち日本語を使う者としては、こういう詩の文化を持ってるんだっていうことがまずすごい財産だし、たとえば海外の人に「日本ってどんな文化があるの?」って聞かれた時に自慢してほしいひとつの大きなものなんですね。

 よく「短歌って、日記みたいなものですか?」って聞かれるんだけど、どちらかっていうと、私は、日記よりは手紙に似てるなと思うんです。日記って、自分のために書いて引き出しにしまっておくものじゃないですか。だけど、手紙っていうのはやっぱり、誰かにこの気持ちを伝えたいっていう気持ちがあるから書くもの。そういう意味では、昔の人の歌を今読むっていうのは、百年前、五百年前の人からの手紙が今ここで読める、『万葉集』だったら千年前の人が書いた手紙を今読めるっていう面白さがあるし、私たちが今、短歌をつくるっていうことは、「今の気持ち」をパッケージして、同時代の顔の見えないどこかの読者に届く楽しさもあるし、もしかしたら百年後、千年後にその手紙を誰かが読んでくれるかもしれないっていう面白さも同時にあるんです。

 そして、短歌の王道は、恋の歌。やっぱり人が人を好きになる気持ちっていうのはそんなに進化してないっていうか、どんなに科学技術が発達しても、恋っていうのは自分自身が体験しないとわからないもので、そういう意味では人類は進化してないんだなっていうのが、百年前や千年前の恋の歌を読むとわかる。だからこそ、今の自分の恋の気持ちを、私たちが生きるこの時代でも言葉にしたいなあって思うんですよね。

岡村 昔、授業で習った和歌の記憶で、ふだんすごくきれいにしていて美しいと感じている髪の毛が、ポロッと抜け落ちただけでなんかすごく不潔なものとして感じられる、その気持ちの変化が不思議なものだ、みたいな気づきを詠んだ歌がありました。それを思い出して、それって今も同じだよなと思って。だから、何百年と時が経っても、人間の美に対する感覚で一緒の部分はあるんですよね。そんなふうに何かに対して「あっ」と思った時に、思いっぱなしにしないで「なんだろう?」って立ち止まる、そういう時間を持てること自体が、短歌を詠む面白さですよね。今のこのコロナ禍という状況も、きっと短歌や俳句を詠むにはとってもいい時間だと思います。

慮おもんぱかってみる

岡村 僕が子供の頃は、よく害虫が出たんです。害虫って、生理的に嫌じゃないですか。「害虫が愛おしい」なんていう人はほとんどいないですよね。でも、蚊やゴキブリとかハエとか、なんで害虫ってこんなに嫌なんだろう、他にも虫はたくさんいるのに……、と改めて不思議になってきて、これちょっと考えてみよう、と思ったんです。そのうちに、虫のことに限らず、あ、この感じ、今のこの心の動きや考察って実はすごい大事なんじゃないかなと思ったんです。つまり、生理的な違和感を感じてもふだんはやり過ごせていることに立ち止まってみること。

 たとえば、マスクでもいいです。ふだんはただただ不快に感じているだけ。でも、立ち止まってよく考えてみたら、人間には歴史上ずっと疫病と戦ってきた事実がある。そういう歴史に目を向けてみると、今のこのもう二、三年続いている現状って、ものすごい歴史的に重大な局面を生きているのかもしれないということに気づく。それに、この状況下で青春時代を送っている人たちとっては、ふつうだったら笑顔を見てときめくような場面でも人の顔がはっきりわかんないような感じで中学や高校時代が終わっちゃって、青春台無しじゃないかなとか……、とにかく、「ただ不快」で終わらせないで、慮ってみる。「慮る」ことで、自分の深くにあった気持ちに気づいたり、自分ってこんな考え方しかできてなかったのかと反省したりすることができる。短歌を詠むことって、そうやって世界を「慮る」きっかけになるんじゃないかなと思います。 

俵 そうそう、まさにそういう感じです! 岡村さんの短歌、すごく楽しみ!

岡村 そういうふうに何か自問自答してみたりとか、自分って意外とこうなんだ……ってちょっと内省的になってみたりっていう部分を短歌として昇華できたら、すごく素晴らしいことだし、他の人とそこを共有できたりすれば、さらに素晴らしいですよね。

俵 本当ですね。短歌はすごく短いものだから、読む人が参加する余地が大いにあるんですね。五七五七七の短い言葉では、何もかもを言うことはできない。けれどもそのぶん背景が想像できる余地があるし、自分の歌がこんなふうに読まれるのかっていう意外性があることも、短歌のすごく面白いところです。

短歌の基本ルールと裏ワザ

俵 なんかもうすぐにでも岡村さんは短歌がつくれそうな感じがしますが、初回ですので、少し形式の部分の説明もしておきましょうか。

 短歌は、五七五七七っていう型に言葉を収めるというのがルールで、とりあえず日本語が使えればスタートラインには立っている、という感じです。たとえばギターを弾くとか絵を描くといったことだと技術や道具が必要だったりすると思うんですけど、 短歌の場合は技術と道具はもう皆すでに持っている、っていうところからスタートできることが魅力のひとつでもあります。

 次に、これから何か説明していく上で必要になると思うので、数え方をお教えします。 まず、歌の数え方ですが、俳句は一句、二句、三句という数え方をしますが、短歌は 「句」とは言わず、一首、二首、三首というふうに数えます。百人一首というのは、 百人の歌を一首ずつ集めている、という意味ですね。よく間違えられるのは、俳句の場合「この句のいいところは……」なんて言い方をしますが、短歌の場合、「この首のいいところは……」とは言いません。短歌を数える単位は「首」ですが、そういう場合は、「この歌のいいところは……」とか「この作品の……」とか「この短歌の……」といった言い方をします。

 そして、短歌のパートは、五七五七七の五つに分かれています。この最初の五字のパートを初句しょく」、次の七字は「二句にく」、その次の五字は「三句さんく」、その次の七字は「四句よんく」、最後の第五句にあたる七字は「結句けっく」と言います。最初の三句は上かみの句く、後ろの二句は下しもの句くと言いますね。用語の解説としては、これぐらいかな。

岡村 五七五七七というのは、絶対的なものなのですか? それとも、たとえば五七五七八とか、ありなんでしょうか?

俵 あ、それはありです、安心してください(笑)。「字余り」とか「字足らず」という言い方をしたりします。「字余り」というのは字がはみ出ている場合ですが、なぜ余っていると感じるかと言えば、定型があるからこそ「余っている」と感じるんですよね。それは、「足りない」と感じる「字足らず」の場合も同じです。そういう意味では、字余りも字足らずも結局は定型にのっかった表現なので、多少の余ったり足りなかったりということはOKです。ただ、その場合は五七五七七というすごく気分の良いリズムを若干壊すわけだから、それなりに理由が必要になりますよね。

岡村 なるほど。

三十一文字の宇宙

俵 つかみのインパクトを大きくするために、初句が字余りの六で始まるとか、けっこうありなんですよね。それによって、ぐっときたりする。

たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか

 という、河野裕子さんの歌があります。この初句は〈たとへば君〉で六字なのですが、そこですごい「挑んでる感じ」が出ていますよね。

岡村 〈たとへば君〉っていうフレーズは、どうして出てきたんでしょうね? 〈ガサッと〉というのもすごくインパクトありますけど。考えさせられます。

俵 これは私がすごく好きな作者の歌なので背景を知ってるんだけれども、この作者はその時、二人の男性の間で揺れてたんですね。そのことを知った相手の一人が、ちょっと怖気づいた。彼女としてはその彼を選びたい。けれども自分も迷っていて、彼も怖気づいている。その時に、できた歌だったんです。いろんな選択肢があるけれども、「たとえば君、ガサッと落葉をすくうように私をさらって行ってはくれませんか」と。なんだか映画の『卒業』みたいな感じですけど、そういう大胆な次の一手でこの状況を打破してくれよっていう感じの恋の歌ですね。

岡村 ああ、なるほど。今の説明ですごいよくわかりました。

俵 ただ、たまたまこの歌は私が背景を知っていたから説明しましたが、歌にはそんな状況は細かく書いていないわけで、歌自体からはもっといろんな想像ができるし、そういう想像の余地が残っていることも、短歌の面白さです。

 あと、下の句が八八になる場合もけっこうあります。字余りは、「ん」や長音は余っていてもわりと気になりません。私の歌で、

万智まちちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校

 っていうのがあるんですけど、これ下の句は八八で、字余りなんですよ。でも、あんまり余ってる感じ、しないですよね? これは、音楽をやっている方だとちょっとピンとくるかもしれないのですが、〈県立〉という中に「ん」が入っていて「けん」というひとまとまりの音に聞こえたり、〈高校〉には長音が入っているので、「こー・こー」というようにまとまった音に聞こえて余っている感じが気にならないということがあります。あと五七五七七という単位でくっきり言葉が分かれていなくても、またがっていてもOKです(句またがり)。

「じゃあな」という言葉いつもと変らぬに何か違っている水曜日

 この場合は、〈何か違って/いる水曜日〉で下の句の七七のところに「違っている」というひとつの言葉がまたがっていますよね。そんなのもありなので、理屈で言えば、三十一文字以内の言葉であれば、なんでも短歌に入れることはできます。

岡村靖幸 俵万智『短歌ご一緒しませんか』(筑摩書房)
岡村靖幸 俵万智『短歌ご一緒しませんか』(筑摩書房)

『短歌ご一緒しませんか』目次

Lesson 1 短歌の基本ルールと裏ワザ
Lesson 2 たくさん読んで、たくさん詠む! 題詠:食べ物
Lesson 3 強者現る!! 題詠:青
Lesson 4 自由で楽しい日本語の響き 題詠:オノマトペ
Lesson 5 自分だったら……を考える 題詠:笑う
Lesson 6 動詞の掛け算 題詠:夏
Lesson 7 楽しむ音こそ音楽だ! 題詠:音楽
LET'S TAKE A WALK ~吟行しませんか
Lesson 8 職業と人生 題詠:仕事
Lesson 9 短歌の王道は〈恋〉! 題詠:約束
Lesson 10 主語を絞る 題詠: 故郷
Lesson 11 キラーフレーズを活かせ! 題詠:雨
Lesson 12 短歌の時代  題詠:風

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