「我々」「ヤツら」思考はどこから来るか ――縄田健悟『心はこうして敵と味方をつくりだす』より
世の中には、いつも「ヤツら」がいます。
職場では、「何もわかっていないあの部署」。
学校では、「いつも固まっているあのグループ」。
地域では、「よそから来て勝手を知らない人たち」。
SNSでは、「強い言葉で見当外れなことばかり言う人たち」。
政治の話になれば、「ウヨクが……」「サヨクが……」。
世代の話になれば、「最近の若者ときたら」「老害でしかない」。
性別の話になれば、「男はわかっていない」「女は感情的だ」。
国や民族の話になれば、「あの国の人たち」。
私たちは日常のあちこちで、「こちら側」と「あちら側」に線を引いています。
この線引き自体は特別なものではありません。私たちは、家族、友人、職場、地域、国、民族、宗教、政治的立場など、さまざまな集団の一員として生きています。
問題は、この線引きが「ウチ=味方、ソト=敵」という枠組みに変わるときです。「自分たちは正しい」のに「ヤツらは間違っている」「ヤツらを叩け」となるとき、日常の小さな心の線引きが、分断や対立の火種となります。
本書では、このウチとソトを分け隔てて認識し、争いをもたらす心のメカニズムに関して、社会心理学の研究をもとに読み解いていきます。
まずは、一つのエピソードを紹介しましょう。
2023年10月、ハマスによるイスラエルへの攻撃が行われ、イスラエルによるガザへの大規模な空爆が始まって間もない頃のことでした。アメリカ在住のある俳優が、空爆を恐れ、不安そうに空を見上げる子どもたちの写真をSNSに投稿しました。どうやら彼女はこの子どもたちが「イスラエル側の子ども」だと思っていたようで、その投稿はイスラエルへの連帯を示す文脈でなされたものでした。しかし、後にこの子どもたちが「イスラエル側」ではなく「パレスチナの子ども」だと指摘されると、彼女はこの投稿を削除しました。
もちろん、この出来事だけから、この俳優の心の内を断定することはできません。投稿を削除した理由も一つとは限りません。しかし、このエピソードは、一つの大事な問いを投げかけています。
写真に写る子どもたちは何も変わっていません。おびえた目も、空を見上げる姿も、同じままです。変わったのは、その子どもたちがどちら側の子どもかという位置づけです。
爆弾におびえる子どもたちの様子を見ると、私たちは胸が締め付けられる思いになります。しかし、その子どもたちが「ウチ側の子ども」なのか、「ソト側の子ども」なのか。そのラベルが変わっただけで、同じ苦しみの見え方が変わってしまうことがあります。私たちはときに、「ウチ」の子どもたちには胸を痛めても、「ソト」の子どもたちにはどこか距離を置き、「仕方ない」と鈍感に受け流してしまいます。これは「無自覚なダブルスタンダード」の問題です。私たちは知らず知らずのうちに「ウチには甘く、ソトには冷たい」見方をしているのです。
ここに、集団間紛争の心理を考えるうえで避けて通れない問題があります。苦しむ相手そのものを見るのではなく、「ウチか、ソトか」という線引きで相手を見てしまうのです。
この本では、こうした「ウチ」と「ソト」を分ける心の動きを、社会心理学の視点から考えていきます。社会心理学とは、個人が他者や集団と相互作用する中でどのように感じ、考え、行動するのかを調べる学問です。なかでも本書で扱うのは、二つの集団が争いへと向かう「集団間紛争」の心理です。
集団間紛争の社会心理学研究を大まかに整理すると、出発点となる最も単純な図式は次のようになります。
①人は社会に線を引き、「ウチ」と「ソト」を区別する。
②「ウチ」には肯定的評価(GOOD)を、「ソト」には否定的評価(BAD)を向けやすい。
この二つの過程を出発点として、さまざまな心理過程が派生していきます。
その上で、ご覧いただいてわかるとおり、これはあくまでも理解の取っ掛かりのために、極めて単純化した図式です。図ではわかりやすさを優先して「ウチ=GOOD/ソト=BAD」と単純化して示していますが、実際には場面によって評価の良し悪しは変わるものです。むしろ「ソト=BAD」という反応が、どういうときに強まり、どうすれば弱められるのかを理解することこそ、本書で最も力を入れている点です。
そういったことを踏まえた上で、まずはここを出発点として、さらに理解を広げていきましょう。
分断が煽(あお)られた社会では、ともすると私たちは「ヤツらのせいで世の中が悪くなっているんだ」と決めつけてしまいがちです。
この「ヤツら」はその時々で入れ替わります。外国人、富裕層、ウヨク、サヨク、エリート、男性、女性、政府、あるいは陰謀を企てるとされる闇の勢力など。対象は違っても、私たちは頭の中で敵を作り出し、しばしば過剰にバッシングしてしまうのです。
確かに、特定の社会集団が問題を引き起こしていることもあるでしょう。しかし、世の中には、正義となる価値観の実現を目指していたはずが、いつの間にか「気に食わないヤツらを叩く」ことに目的がすり替わってしまうことがあります。実際に、SNSの反応を調べたアメリカの研究では、自身の政党を肯定する投稿よりも、敵対的な政党を否定する投稿の方が、共有や「いいね」などを集めやすいことが報告されています(*1)。
このようなことを指摘すると、「まさにヤツらのことだ。あいつらは憎悪に駆られている悪い連中で、俺たちが苦しんだら喜びそうだ」などと感じた人もいるかもしれません。しかし、その瞬間に、「我々vs. ヤツら」という対立的な枠組みでものを見て、「ヤツら」を悪魔化する罠(わな)に陥っています。その心の働きこそ、まさに本書で私が説明していきたいものです。敵と見なしたヤツらへと怒りをぶつけるのではなく、人が持つそういった心のメカニズムを知ってもらい、一度立ち止まってほしいというのがこの本を書いた動機です。
世の中は多様で、価値観が「自分たち」とは違う人たちで溢れています。自分とは価値観が合わない人だらけで、それが普通です。かといって、価値観が合わない人を排除するばかりでは、争いはエスカレートする一方です。違うところだらけの人々が同じ社会で生きていくためには、「よそ者に冷たい」という私たち自身の心のクセを知っておくことが不可欠なのです。
ウチとソトに線を引いた結果、私たちは、「我々は素晴らしいが、ヤツらは愚かで暴力的だ」とみなしやすくなります。
ここで大事なのは、「大嫌いなヤツら」の側も同じように「我々」に向けてそう思いがちだという点です。我々は相手から見た「ソト」である以上、我々が「ソト」に否定的なのと同じ意味で、「ヤツら」も私たちを否定的に見ているのです。
いわば、ウチとソトは合わせ鏡でお互い様なのです。
「日本人は素晴らしいのに、○○人は愚かだ」と思ったとき、○○人側も同じく、「自分たち○○人は素晴らしいのに、日本人は愚かだ」と思っていることでしょう。
こうした合わせ鏡はいたるところで成り立っています。
「リベラルは深く考えているのに、保守の連中は考えが浅はかだ」
「保守は深く考えているのに、リベラルの連中は考えが浅はかだ」
「研究開発部は良い仕事をしているのに、営業部がダメだから売れないんだ」
「営業部は良い仕事をしているのに、研究開発部がダメだから売れないんだ」
「女はしっかりしているのに、あいつら男はほんと馬鹿だ」
「男はしっかりしているのに、あいつら女はほんと馬鹿だ」
合わせ鏡のようにお互いにそう思いがちなのです。
もちろん、これは現実の責任や被害の大きさが対称だという意味ではありません。加害と被害、権力差、歴史的経緯は、事例ごとに慎重に見極めることが必要です。しかし、それとは別に、人の心には「自分たちは正しく、相手は間違っている」という見方が双方に生じやすいのです。この心のメカニズムを理解することが、争いを抑え、共生への道を探る第一歩となるでしょう。
本書では、こういったウチとソトの線引きから生じる争いごとの心理学研究を紹介していきます。社会心理学の研究は一種の「あるあるネタ」のように、自分や身近な他人へと引きつけて考えると理解が進みます。読み進めていくと、ある場面では「これは自分にも当てはまる」と感じるかもしれません。また、別の場面では、「なぜあの人があれほど強く怒っていたのか」が少し見えてくるかもしれません。本書で紹介する社会心理学の視点は、自分の心を見直すためにも、他者の反応を理解するためにも役立つはずです。
本書では、章ごとに違うトピックを扱っていますが、いくつかの考えは繰り返し登場します。アイデンティティ、賞賛、脅威、被害感などなど。これらは、集団間紛争を理解するための鍵となる概念です。ここをきちんと押さえることで、一見すると異なるさまざまな紛争の背後に潜む心理メカニズムを理解することができます。それによって、特定の事例に限らず、幅広く応用できる視点が得られるはずです。
こんな本を書いている私自身も、敵を叩きたくなる心理プロセスと無縁ではありません。自分とスタンスや価値観が違う集団に触れたときには、つい、「ん?」と違和感を覚えることもあります。
そのとき大事なのは、「いま、自分はウチとソトの線引きを通して相手を見ているかもしれない」と、まず気づくことです。そのうえで、「そう判断してよかったか」「相手からはどう見えているのか」を、一歩だけ立ち止まって問い直してみてください。
本書が目指すのは、その「一歩立ち止まること」を手助けすることです。怒りや違和感を抱いたとき、すぐに相手を敵として切り捨てるのではなく、ほんの少しだけ間を置いてみる。その小さな間が、心が暴走する前に踏みとどまる余地をつくります。少しでも「あれ?」と立ち止まれたなら、本書の目的は半分達成されたも同然です。その一瞬の立ち止まりから、きっと自分と世界の見え方が少しずつ変わり始めるはずです。
注
(*1)Rathje, S., Van Bavel, J. J., & van der Linden, S.(2021). Out-group animosity drives engagement on social media. Proceedings of the National Academy of Sciences, 118(26), Article e2024292118.
Yu, X., Wojcieszak, M., & Casas, A.(2024). Partisanship on social media: In-party love among American politicians, greater engagement with out-party hate among ordinary users. Political Behavior, 46(2), 799‒824.
はじめに――「我々」と「ヤツら」に線を引く心
第一章 「我々」として敵と争う――社会的アイデンティティ
1 「私」から「我々」へと切り替わる
2 紛争状況――我々のために戦おうとするとき
3 優越感――「我々こそ上だ」と思うとき
第一章のポイント
第二章 仲間が見ているから暴走する――賞賛獲得と拒否回避
1 褒められるために攻撃する――仲間内の英雄になりたい
2 嫌われないために攻撃する――仲間はずれになりたくない
第二章のポイント
第三章 「我々」はなぜ都合のよい世界しか見えないのか――内集団中心バイアス
1 同じ情報でも「ウチ」と「ソト」では違って見える
2 バイアスの原因は「結論ありき」で考えるから
3 バイアスにブレーキをかけるには
第三章のポイント
第四章 なぜ左と右はわかりあえないのか――イデオロギーと政治
1 政治イデオロギーはいかにして暴力と結びつくか
2 右派的価値観はよそ者に厳しくなりやすい
3 左派集団 vs. 右派集団――党派間対立
4 インターネットで強まる政治的分断
第四章のポイント
第五章 「よそ者」はいかにして「敵」となるのか――脅威・被害・報復
1 ヤツらの何がどう怖いのか?――脅威
2 やられたから復讐する――被害と報復
3 我々は被害者だ――被害感
第五章のポイント
第六章 闇の勢力が我々を狙っている――陰謀論
1 陰謀論を個人ではなく集団心理から読み解く
2 陰謀論で生じる二つの集団目標
3 陰謀論にどう向き合うか
第六章のポイント
第七章 「やっつけろ」が当たり前の世界で起こること――暴力的な規範・文化
1 規範は集団のアクセルにもブレーキにもなる
2 暴力や偏見を後押しする規範
3 文化に根づいた暴力的規範
4 規範を反転させるためには――ヘイトから反ヘイトへ
第七章のポイント
おわりに――敵をつくる心を知ったその先に