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《ハン・ガン コレクション》創刊! 第1弾はノーベル賞受賞作家が20代後半に発表した衝撃の短篇集

記事:白水社

《ハン・ガン コレクション》第1弾となる『私の女の実』(ハン・ガン 著/斎藤真理子 訳、白水社)。『菜食主義者』の前身である表題作をはじめ、変化していく社会の中で個人が抱える闇と傷を凝視した初期の短篇小説集。解説:桜庭一樹
《ハン・ガン コレクション》第1弾となる『私の女の実』(ハン・ガン 著/斎藤真理子 訳、白水社)。『菜食主義者』の前身である表題作をはじめ、変化していく社会の中で個人が抱える闇と傷を凝視した初期の短篇小説集。解説:桜庭一樹

痛みに身体を開いて――《ハン・ガン コレクション》刊行に寄せて

 2025年の秋から冬にかけて、ハン・ガンの『私の女の実』を翻訳して過ごした。このほど、6月から刊行を開始する《ハン・ガン コレクション》の第1弾となる短篇集だ。

 日本では、『菜食主義者』(きむ ふな訳、クオン)を皮切りに、近年の作品の多くが翻訳されてきたが、デビュー作の「赤い碇いかり」が入った第一短篇集『麗水ヨスの愛』(韓国で1995年刊行)など、初期の作品群は手つかずのままだった。《ハン・ガン コレクション》はそれら未邦訳だった小説を順次紹介し、この作家の全体像に迫ることを目指している。

ハン・ガン文学を網羅するラインナップ(《ハン・ガン コレクション》パンフレットより)
ハン・ガン文学を網羅するラインナップ(《ハン・ガン コレクション》パンフレットより)

 『私の女の実』はハン・ガンの2冊目の短篇集で、25歳から30歳までの間に発表された作品を収めている。具体的な期間としては1996年から2000年までで、韓国が「IMF危機」と呼ばれる経済危機に直面し、そこから抜け出していく時期に当たっている。そのためだけではないだろうが、どの物語も光量が絞られ、ぼんやりとした薄明かりや薄暗がりからスタートする印象だ。

 真っ暗闇ではなく、薄明かりや薄闇のグラデーションの中に人がいる。大なり小なり傷を抱えた人たちがそこで歩き、話し、懸命にもがいている。いつの間にか体にできていた痣、なぜここにいるのかわからない地方の町の旅館の一室、不可思議で不快な夢などから物語が始まる。闇の濃淡を見きわめるような気持ちで翻訳を進めていくと、まだ若いハン・ガンの影法師が一つの小説の上に一つずつ、黒々と落ちているような気がした。そのことが登場人物の面影を忘れがたいものにさせる。

 例えば「日暮れどきに犬たちはどんな気持ちだろう」の主人公の女の子テリョン。まだ小学生のこの子は、父親と二人だけで知らない町に来て旅館に長逗留している。母親が家を出てしまって行方不明なので、父親が娘を連れてあちこち転々としながら探しているのだ。父親は電話番号を書き留めたメモ用紙をポケットに入れ、公衆電話ボックスに入ってあちこちへ電話をかける。そのメモ用紙の角がだんだん擦り切れていくのを、テリョンはじっと見ている。

 それだけではない。誰が自分たち父娘に同情しているか、誰が好奇心を隠そうと努める気持ちを持っているか、テリョンはそんなことにもじっと目を凝らしている。また、こちらを威嚇する恐ろしい野犬たちが、一方では自分を恐れてもいるのだということを徐々に見抜いていく。

 そして、テリョン本人とほとんど同じくらい、彼女がほんの一言言葉をかわすだけの人や、すれ違いざまに姿を認めただけの人までが印象深く記憶に残る。ほんの一瞬出てくるだけなのに、最初読んだときには何とも思わなかったのに、二度、三度と読むうちに妙に忘れがたくなってしまう。

 ノーベル文学賞受賞後初の著作であるハン・ガンの『光と糸』(斎藤真理子訳、河出書房新社)に、「北向きの部屋」という詩が収められている。この詩の話者は、この春から北向きの部屋で暮らしはじめ、冬までにはそこでの暮らし方にすっかり慣れた、と語っている。最初は、外出するたびに「こんなに明るかったのか」と驚くが、そのうち「だんだん瞳が開いてきて/まぶしさを感じるようになる/少しの光でも」という。

 私も、『私の女の実』を翻訳している間、そうだったような気がする。最初読んだときには気づかなかった弱い光に目が行くようになり、もう一巡して戻ってきたときには、その光が人物の顔を照らしていることに気づく。ときには、この人はなぜ強いのだろうと漠然と思っていたことへの答えが、おぼろげに推測できるようになったりもする。

 最初は見えていなかった細部が後でありありと見えてきて、やがて、それが細部などではなく、本質だったことに気づく。どんな本を訳していてもそういう経過はありうるが、『私の女の実』は特にそうだった。

 それは、この作品集の舞台がひと昔前の韓国だからかもしれない。ハン・ガンが25歳から30歳のときに書かれたものだから古いのは当然で、だからこそテリョンの父親は携帯電話もなければポケベルも持たず、公衆電話ボックスに入り浸りになるわけだし、もっと前、1970年代後半か80年代と思われる時期の物語も入っている。女子中学生が高校へ行くことがまだ一般的ではなかったころ、軍事独裁政権のただ中だ。ハン・ガンも高校生のころまでそんな世の中で育ち、じっと目を凝らして時代の暗がりを見つめていたに違いない。そのころに比べたら今の韓国は何と変わったことだろう。

 80年代後半から90年代にかけて韓国では、超高層大規模マンション団地が新しい生活様式として完全に定着しつつあった。表題作「私の女の実」は、そんなマンションに住むことに耐えられず植物になってしまう女性が主人公で、この短篇は後に『菜食主義者』へと発展していく。そこを経由して『回復する人間』(斎藤真理子訳、白水社)、『ギリシャ語の時間』(斎藤真理子訳、晶文社)、そして『別れを告げない』(斎藤真理子訳、白水社)に至るまでを追っていくと、住環境一つとっても、ハン・ガンの世界に生きる人々の生活はずいぶん変化したことが実感できる。

『回復する人間』『別れを告げない』『私の女の実』(すべて白水社)
『回復する人間』『別れを告げない』『私の女の実』(すべて白水社)

 翻訳しはじめて間もないころは、そんな変化の一つ一つに思わず気を取られてしまうことがあった。また、1970年代や80年代と思われる過去の時代を舞台にしたものを読むときは、かつての韓国社会の過酷さ、暴力性、その中で踏ん張って生きてきた人たちの懸命さや必死さに気持ちが持っていかれて、細部にまで目が届かないこともあった。だが何度も何度も読み、訳文を推敲するにつれて、時代の激しい変化を経ても変わらない何かが識別できるようになっていった。ハン・ガンの作品において今も昔も変わらないものは、さまざまな暴力に目を凝らす視線の強さ、そして傷のうずきにじっと集中する、鋭敏な痛覚のありようだ。そのことをめぐって最近、ハン・ガンの詩を読みながら感じたことがある。

 ハン・ガンは1993年にまず詩人としてデビューした。その翌年に短篇小説でも受賞し、小説家として活動を始めるわけだが、その後もずっと詩は書きつづけていた。ただし、発表することなく自分とだけ向き合いながら書いていたのである。そして、デビューから20年経った2013年、それまでに書いた中から60篇の詩を選び、『引き出しに夕方をしまっておいた』(きむ ふな・斎藤真理子訳、クオン)という詩集にまとめて出版した。

 韓国にも、初期は詩も書いていたという小説家が何人もいるが、ハン・ガンは、小説を書きながら詩も手放さないというマイペースなあり方をずっと貫いている。この両立のさせ方は現在も続いていると思われ、2025年に刊行された『光と糸』にも、先に挙げた「北向きの部屋」をはじめ5篇の詩が収められていた。『私の女の実』を書いていたころももちろん、詩作は続いていたわけである。

 ハン・ガンの詩はわかりづらい抽象語を多用せず、比較的具体的な、読み手にとっては追っていきやすい情景や思考を綴っていることが多い。だが、それと同時に目につくのは、きわめて具体的な体の表現だ。その多くは傷ついた、痛みに満ちた身体として描かれている。内臓、骨、眼球、耳、舌、のど、足首といった単語の頻出、レントゲンや手術、そして「骨が砕ける」「唇が割れる」「目が砕ける」「目に何かが刺さってくる」「癒えた傷口がまた裂ける」といった痛ましい描写の連続。「首と肩の間に氷が張る」という鮮烈な光景もある。

 そこに浮かび上がるのは、負の可塑性とでもいったらいいのか、割れて砕けることができるということの可能性、粉々になりうることの力だ。

 傷とその回復を描く、というのがハン・ガンの真骨頂である。そして、傷を傷として、痛みを痛みとして感受する身体あってこそ、回復を描くことができるのだ。壊れて、割れて、粉々になっている、しかしそのことによって私は生きているという、強烈なメッセージがここから発される。

 興味深いのは、詩と小説に描かれた痛みの違いだ。詩に頻出する痛みの表現には、なぜ痛むのかという背景は明示されていない。それを読んでいるときは、痛そうだな、辛そうだなとは思うものの、自分の身体に食い込むほどではない。痛む人を痛ましく眺めているという状態だ。

 しかし物語に落とし込まれ、文脈の中に置かれたとたん、ハン・ガンの痛みは読む者の身体に突き刺さる。読んでいると否応なく眉間にしわが寄り、顔が歪み、体が緊張する。こちらも身体を使って本の中の痛みを追体験することになるのだ。

 ハン・ガンは『光と糸』の中で、「小説を、私は身体を使って書いている」と述べていたが、そんな人が書く小説は当然ながら読む側の身体も使うのである。そうやって身体を痛みに開いてこそ、社会や世界が負っている巨大な痛みを直視することができるのではないだろうか。『少年が来る』(井出俊作訳、クオン)や『別れを告げない』に書かれた歴史の痛苦に耐えるためには、痛みに動揺する身体、粉々になりうる身体が必要だ。

 『私の女の実』の解説で作家の桜庭一樹さんは、「傘をさしていないハン・ガンは今日もまた誰かの傍で共に雨に濡れている」と書いてくださった。私たちには、雨に濡れたときにそれが雨だとわかる身体が必要なのだ。ハン・ガンの初期の作品にも、そのためのレッスンが散りばめられている。

 《ハン・ガン コレクション》に今後入る小説にも、さまざまな痛みを抱えた人たちが現れる。身体を使って書く作家に身体を使った読書で応える経験は、この不条理で残酷な世界で生きていくためにきっと役に立つと思う。

 斎藤真理子

(白水社の本棚 2026年夏号より)

《ハン・ガン コレクション》今後のラインナップ

  • 『風が吹いている、行け』2026年12月刊行予定

壮絶な個人史を背負った芸術家の女性二人と、二人を結びつけた「叔父さん」の生と死を通して愛の諸相を描く長篇。東里文学賞受賞作。解説:西加奈子

  • 『あなたの冷たい手』2027年6月刊行予定

男性彫刻家とモデルを務める二人の女性。虚実をかいくぐり、様々な暴力に耐えて真摯に生きようとする苛烈な生の実像を描く長篇。解説:平野啓一郎

  • 『麗水ヨスの愛』2027年12月刊行予定

24歳のデビュー作「赤い碇いかり」を収録した全5篇。「若きマエストロの誕生を思わせる」と称賛を集めた若き日の記念碑的な第一短篇集。解説:きむ ふな

  • 『黒い鹿』2028年7月刊行予定

執筆に3年を費やした初の長篇。記憶喪失症を患い、姿を消した女性と、江原道の奥地をさまよいながら彼女を探す二人の男の魂の漂流記。解説:古川日出男

解説は日本文学界を代表する豪華執筆陣(《ハン・ガン コレクション》パンフレットより)
解説は日本文学界を代表する豪華執筆陣(《ハン・ガン コレクション》パンフレットより)

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