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憲法が岐路に立ついまこそ、読むべき一冊――久野収『憲法の論理』

記事:平凡社

久野収は、デモを代表制民主主義を生かすための市民の直接参加と位置づけた
久野収は、デモを代表制民主主義を生かすための市民の直接参加と位置づけた

『憲法の論理』(久野収著、平凡社ライブラリー、2026年10月5日刊)
『憲法の論理』(久野収著、平凡社ライブラリー、2026年10月5日刊)

市民の側に立つ思考

 2026年11月3日、日本国憲法は公布から80年を迎えます。戦後日本の平和と民主主義を支えてきたこの憲法が、いま大きな岐路に立たされている――その節目にこそ読まれるべき一冊が、平凡社ライブラリーでよみがえりました。哲学者・評論家、久野収の『憲法の論理』です。

 久野収(1910〜99)は、大阪府堺市生まれ。京都帝国大学文学部哲学科を卒業後、中井正一、新村猛らと『世界文化』『土曜日』を創刊し、反ファシズムの言論を展開しました。人民戦線運動に関わったことで治安維持法違反により検挙・投獄され、戦後は学習院大学で哲学を教えながら、60年安保、ベ平連、雑誌『思想の科学』、さらに『週刊金曜日』へと、市民の立場から平和運動・市民運動に深く関わりました。国家権力に抗する思想を、生涯にわたって追究した戦後民主主義の代表的知識人です。

 本書に収められているのは、1954年から87年までの論文、講演、エッセイです。自らの投獄体験を踏まえた「帝国憲法の教訓」から、憲法第九条の思想史的意義、日本国憲法の読み方、司法の独立、運動概念としての憲法、国民の権利体系、多数決原理、現代国家批判まで、久野の思考は広く、深く、そして徹底して市民の側に立っています。

憲法を「お上の言葉」にしない

 久野が問い続けるのは、憲法をただ「ありがたい条文」として押し戴くのではなく、私たち一人ひとりが自分の言葉で読み、生活のなかで考え、国家に注文をつけるための思想として使うとはどういうことか、という問題です。第九条は本当にGHQの「押しつけ」にすぎなかったのか。国民主権とは「投票」だけしていればいいものなのか。多数決は、それだけで民主主義と呼べるのか。久野の問いは、いまの日本社会にそのまま突き刺さります。

 斎藤美奈子さんは解説で、現在の憲法の危機を、条文そのものを変える「改変の危機」と、解釈変更によって意味を変質させる危機の二つに整理しています。防衛費の拡大、安保政策の転換、そして「改憲」の足音が迫るいま、本書は単なる歴史的名著ではなく、きわめて今日的な力をもつ一冊です。久野は、いわゆる護憲論にとどまらず、憲法を未来へ開かれた体系として捉えました。憲法は過去の遺産ではなく、いまを生きる市民が鍛え、使い、次の世代へ手渡すものなのです。

 「戦後民主主義」という言葉は、ときに古びた理想のように扱われます。しかし、国家権力を縛り、戦争を拒み、人権を守り、少数意見を尊重し、市民が自ら政治に関わるというその理念は、むしろいまこそ切実です。公布80年を「祝う」だけでも、「嘆く」だけでもなく、憲法を私たちの言葉として引き受け直すためにはなにが必要か――。読み終えたとき、前に進む力を手渡してくれる本です。

(文=平凡社ライブラリー編集部)

『憲法の論理』目次

筑摩叢書版まえがきにかえて――戦争責任の問題
まえがきとして(初版) 

Ⅰ
帝国憲法の教訓――私の体験した日本のブラウンネッツ
憲法第九条の思想――その思想史的意義について
アメリカの非戦思想からみた憲法第九条
日本国憲法――私の読みかた
二十四年目を迎える憲法
司法の独立とは、法服の司法独占をやめることだ
運動概念としての憲法の獲得が、今日の課題だ――憲法二十五年――その虚と実
生活様式への根おろしが望まれる憲法――戦後三十年目をむかえる新憲法
日本国憲法――ぼくの読み方・考え方・生き方――憲法三十周年記念
憲法の四十年――市民的経験に照らして

Ⅱ
国民の権利体系としての国法
民主主義の原理への反逆
多数決ルールは多数決の所産か
集団原理の新しい組みかえを――戦後三十年の展望
現代国家批判のために
増補新版のあとがき

解説――「憲法の危機」を超えて  斎藤美奈子

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