70年前、憲法施行にあたって憲法普及会は「われわれは平和の旗をかかげて、民主主義のいしずえの上に、文化の香り高い祖国を築きあげ」ると誓う『新しい憲法 明るい生活』を全国の家庭に配布した。
その初志がいかなる変転をたどってきたのか。
その推移が戦後という時代の歩みそのものであったことは、『憲法と生きた戦後~施行70年』(新聞通信調査会・2160円)に載せられた写真や年表によって知ることができる。
しかし、憲法は単に文章として存在してきたのではない。憲法はあくまでも器であり、そこにいかなる内実を盛り込むかは国民の意向と無縁ではありえなかった。当初、プログラム規定であって政府が保障するものではないとされていた憲法25条の生存権を実態的権利に変えていったのは、朝日訴訟や堀木訴訟などの「弱者による権利のための闘争」を通してであった。
他方で、衆議院解散権や自衛隊の合憲性をめぐる訴訟においては、高度の政治性を有する国家行為は司法審査の対象とならない「統治行為」であるとして、司法判断は示されなかった。このような憲法訴訟と司法判断がいかなる時代状況を背景に重ねられてきたかについて知る良書として、山田隆司『戦後史で読む憲法判例』がある。
言論の自由が砦
こうした判例とともに、忘れてはならないのは、日常生活や文化活動のなかで憲法についていかなる意識が持たれ、どのような活動がおこなわれてきたのかという問題である。
奇(く)しくも施行70年という年に森友学園問題が起き、その真相は不明なままに教育勅語の教材使用を否定しないとの閣議決定が出て、幕引きが図られようとしている。言うまでもなく、教育勅語については1948年に国会で排除・失効の決議が出された。「国権の最高機関」(憲法41条)である国会の決議を、内閣が国会の了解を得ることもなく覆したのである。
こうした勅語復活の動きについて、81年に「数百万の同胞と他民族の血を流した同じ手口で、またぞろ勅語(かみきれ)まで持出そうとしている。死者の空しい思いを忘れてよいものだろうか」と「勅語・詔書が滅亡を呼ぶ(かみきれがれきしをまげる)」ことに警鐘を鳴らしたのが庄幸司郎(しょうこうしろう)であった(庄『悪態の精神』影書房・2160円)。
満洲国において軍隊が国民を守らないことを骨髄に徹して知った庄は、『庄幸司郎 たたかう戦後精神』に明らかなように、憲法が保障する言論の自由こそが自らのような「戦争難民」を生まない砦(とりで)だとして「全方位罵倒」という生き方を貫いた。転職を重ねた末にタタキ大工として得た資金で「告知板」や「記録」などのミニコミ誌を発行し続けて「平和憲法(前文・第九条)を世界に拡(ひろ)げる会」を組織し、さらに隠れた社会問題を暴き出す記録映画を製作するなど八面六臂(はちめんろっぴ)の活動を続けた。
笑いのめす精神
庄は、非力な市民が強権力と戦う武器として「悪態の精神」を駆使したが、他方で「笑いのめす」精神で憲法の意義を生活に生かそうとしたのが、井上ひさし・永六輔・小沢昭一らであり、憲法9条と天皇や公務員の憲法尊重義務を定めた99条の重要性を強調した『この日、集合。』は、自民党改憲草案の問題点を予見していて驚かされる。
そして、現在。改憲運動に身を挺(てい)してきた鈴木邦男は、この70年を政府が失政の責任を憲法に責任転嫁してきた歴史と総括し、改憲に反対している(『憲法が危ない!』祥伝社新書・842円)。何よりも、原発再稼働から始まって「安全保障法制」や共謀罪などに個々人が自らの言葉で意思を表明する、憲法意識の思想水脈は、世代を越えて多様に繋(つな)がっている=朝日新聞2017年4月30日掲載