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「狂気の巡礼」書評 陰鬱な気配が心地よい恐怖小説

評者: 宮沢章夫 / 朝⽇新聞掲載:2017年01月08日
狂気の巡礼 著者:ステファン・グラビンスキ 出版社:国書刊行会 ジャンル:小説・文学

ISBN: 9784336060747
発売⽇: 2016/09/23
サイズ: 19cm/326p

狂気の巡礼 [著]ステファン・グラビンスキ

 小説がもたらす魅力、あるいは小説的な怖さの大きな要素の一つに、「描写」があるだろう。グラビンスキもまた、「客間と思(おぼ)しき部屋のステンドグラスが室内に濾(こ)し入れていた多彩な薔薇(ばら)窓は、象牙張りの小さなオルガンの上で円盾(まるたて)のごとく扇を広げていた。」と書き、こうした描写、そして文体の不穏さで読む者を奇妙な世界に引き入れる。
 言葉が放つ薄気味悪さに怯(おび)えながら、もう一つと手が伸びるように短編を読む。恐怖小説を読むのはなにかに似ている。これはつまり、暗がりをただ見つめている私の視線だ。怖いものなどなにもない。私がそれを想像する。グラビンスキは、その実体のないものを小説にする術に長(た)けた作家の一人だ。私の視線を見事な恐怖にすりかえる。というのも、恐怖を表現する、おどろおどろしさより優先されるのは、医学をはじめとする科学性を持った論理だからだ。短編の一つ、「接線に沿って」に次のような一節がある。
 「惑星系から始めて、様々な個人や出来事の人生の経過を細長い楕円(だえん)として図形で示してやると、所与の個人は数学的な点が回るような方法で回った。」
 論理が少しずつ崩れる。いや、論理的に筋道を立てて崩れるのではない。そこに飛躍がある。この飛躍がたまたま恐怖小説になった。グラビンスキは作中に書いている。
 「枠の問題さ、君、額縁の問題なんだ。最終的な外観と印象は、ここでは結果として得られる内容と形式なのだ。」
 どの短編の文体(もちろん翻訳のそれ)も陰鬱(いんうつ)な響きを読む者に与える。私が心地よいと感じたのは、文体から匂いが漂ってくるからだ。爽やかな香りではない。「領域」にずっと漂う陰鬱な気配も匂いに通じるが、だからこそより小説の求心力になる。そのことが魅力的だ。ここに恐怖小説がある。歪(ゆが)んだ魅力こそ作者の意図だったに違いない。
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 Stefan Grabinski 1887〜1936年。「ポーランドのポー」と呼ばれる作家。邦訳に『動きの悪魔』。