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「百年の《泉》 便器が芸術になるとき」書評 アート界を翻弄する「非常識」

評者: 椹木野衣 / 朝⽇新聞掲載:2018年06月02日
百年の《泉》 便器が芸術になるとき 著者:平芳 幸浩 出版社:LIXIL出版 ジャンル:芸術・アート

ISBN: 9784864800358
発売⽇: 2018/04/25
サイズ: 21cm/255p

百年の《泉》 便器が芸術になるとき 平芳幸浩+京都国立近代美術館〈編〉

 アート界ですっかり「権威」になっていることが、外の世界では「非常識」極まりない場合だっておおいにありうる。20世紀を代表する前衛美術家マルセル・デュシャンの代表作「泉」はその格好の例かもしれない。
 なにせ展覧会に出そうとして拒まれ、行方知れずになって昨年でちょうど百年を迎えた男性用小便器が、今なお、というより21世紀になって一層、その影響力を増している。世界のアート界が、百年の長きにわたって小便器(それも幻の)に翻弄(ほんろう)され続けているというのだから、これほど非常識なことはない。
 そんな作品を取り上げるのに、百年を記念する大型企画などではなく、美術館の常設展示枠を借用した連続企画というのは、いたずら心に満ちた知的な仕掛けがよく利いていたと思う。実際、全部で5回の展示は、同じく便器のあるトイレのように、あまり正面切って紹介されず、しかし絶対になくてはならない存在感を、11カ月あまりにわたって放ち続けていた。
 実は本書は、いささか遅れて放たれたその一部始終の記録集なのだが、巧みな事後編集が施され、誰が見ても非常識な便器の謎に迫る推理小説のような読み物としても、眺めて楽しい図録としても、むろん専門家のための資料としても十分に有用なものになっている。5人のゲスト・キュレーターのうち3人を美術家が占めているのにも注目だ。これからのデュシャン像の研究は、便器には便器をもって応酬する、創作(捜索?)をめぐる「リベンジ」で進むのではないか。
 本書を手にとって「見逃した!」と後悔する向きも少なくないだろう。デュシャンの便器への評価があとから遅れてやってきたように、この展覧会の評価も今後、展覧会そのものではない本書を通じて「幻」として高められていくかもしれない。便器の製造も手がける会社が版元というのもシャレが利いている。
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 ひらよし・ゆきひろ 64年生まれ。京都工芸繊維大准教授。著書に『マルセル・デュシャンとアメリカ』など。