野口武彦「花の忠臣蔵」書評 インフレの都市で事件、華々しく
ISBN: 9784062198691
発売⽇: 2015/12/11
サイズ: 20cm/318p
花の忠臣蔵 [著]野口武彦
私は著者が赤穂浪士について書いた本を20年ほど前に読んだことがある。そのとき私が学んだのは、この事件が最初から「忠臣蔵」として、つまり演劇や文学を通して知られていたということである。「史実」はむしろその後に見いだされた。日本人がこの事件を好んだ秘密もたぶんそこにある。それは演劇や文学によって培養され増幅されたものなのである。また、著者は赤穂浪士の討ち入りを、喧嘩(けんか)という観点から論じたことがある。つまり、それは忠義の観念による敵討ちであるよりも、より古い血讐(けっしゅう)のあらわれであり、それが人々をわくわくさせたのだ。
本書はあらためて、この事件を包括的に論じたものである。つまり、忠臣蔵についての、これまでの論考の集大成だといってもいい。しかし、本書にはやはり、現在における著者の関心が色濃く反映されている。特に注目されているのは、元禄時代に貨幣経済が浸透したことである。「重金主義」がそこに生じた。貨幣改鋳による利得を狙ってインフレをもたらした将軍(徳川綱吉)。製塩業で繁栄し、藩札(紙幣)を発行するにいたった赤穂藩主(浅野内匠頭〈たくみのかみ〉)。
この事件は、通常、封建時代に固有の事件だと思われている。しかし、主要な登場人物らは、それまで知られていなかった貨幣経済の華々しさと危うさの中に生きていた。たとえば、吉良上野介が浅野内匠頭に意地悪をしたのは、後者が賄賂を拒否したからではなく、正当である謝礼を払う際に、インフレを考慮せずに昔の価格ですまそうとしたからだといわれる。また、赤穂藩では、お家取りつぶしになるより前に、藩札をめぐる取り付け騒ぎが起こった。
別の面からいえば、参勤交代のおかげで、赤穂藩の武士は江戸の文化になじんでいた。赤穂浪士には俳人が多かった。そのような都会性も、この事件を当初から華やかなものにしたのである。
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講談社・2376円/のぐち・たけひこ 37年生まれ。文芸評論家。著書に『江戸の歴史家』『幕末気分』など。