今、演芸の中でも講談がアツい。それもこれも、神田松之丞という一人の男の存在が大きい。高座を飛び出し、ラジオやテレビ、さらにはアニメの声優など、縦横無尽に活動する。全ては講談を知ってもらうためだ。そんな彼が、今度は直球勝負の『講談入門』なる本を刊行した。このタイミングで入門書を出すことの意義や講談の魅力、思い出深い読み物などについて、本人に大いに語ってもらった。
講談は「宝の山」。その心は?
――講談は、寄席などで落語と同じようにひとり語りで演じられる芸。赤穂義士や宮本武蔵など史実をベースにした話なので落語に比べて難しそうだと敬遠していましたが、私も松之丞さんを入り口に講談の面白さを知った一人です。ずばり、講談の魅力は何でしょう?
魅力ですか。けっこうそれが難しい質問で……。でも、自分をワクワクさせる物語が多かったんですよね。講談はこんなに面白いものなのに、過小評価されていると感じました。すごく面白いものを僕だけが見つけたっていう、最初は選民意識みたいなものがありましたね。
――よく講談のことを「宝の山」とおっしゃっていますよね。
はい。「誰も教えてくれなかったけど、すごいものを発見した」っていう喜びがあって。講談師11年目ですけど、日に日にますます面白くなっていきますね。
イメージでいうと、講談の山は霞がかかって頂上が見えない感じなんです。落語の山の頂は、CDなどの音源や名人もたくさんいるので、僕の中で何となく見えていたんですよ。もちろん、ものすごく高い山なんですけど。
でも実は、講談のネタは古典だけで4500以上あるし、一時は全盛のエンターテインメントだったので圧倒的に資料も多い。僕自身、マニアなところがあるので、この世界に入ったら公になっていない資料とかがたくさんあるのかなって思ったんです。そういう資料を通して改めて講談の物語の面白さを知りました。誰もこのすごさを発信していないから自分が発信しようという使命感のようなものと、単純に講談って面白いっていう思いと、いろんなものが混ざり合って入門の動機になったんですよね。
講談って、知識がどんどん蓄積していくとより面白くなっていく「足し算の芸能」。例えば、講談では、ある話の主人公が別の話では脇役になっていることもあるんです。講談の色々な登場人物や物語を知れば知るほど、それぞれが密接につながっていて、どんどん面白くなって感動も深くなります。
――なぜ、今、講談の入門書を作ろうと思ったのでしょうか?
講談会のお客様が増えてきて、入門書の需要っていうのが非常に大きくなってきたと感じるようになったからです。僕自身、十数年前に客として講談を聞いていた時に既に欲しいと思っていたんですけど、当時は講談の新刊すら出ないという時代。出しても売れないですからね。落語はたくさん入門の本があるのに、講談は入門書もなく、講談師自体も常連さんに向けてやっているような人が多かったので、新規のお客さんへの間口がとにかく狭かった印象でした。
講談を好きになってくれる人が増えている中で、やっぱり活字で予習・復習できるものが大事だなと思うんです。例えば、連続物といって20話くらいある話を全てライブで聞くのはなかなか難しい。そんな時に、話の前後を追える本、しかも講談師が監修している本があれば、お客様としては安心ですよね。
たくさん絶句した「三方ヶ原軍記」
――本書では数多ある講談の中から、松之丞さんの現時点でのネタ帳という形でさまざまな話が紹介されていますが、特に思い入れがあるものはありますか?
武田信玄と徳川家康・織田信長勢の戦いを描いた「三方ヶ原軍記」ですね。最初に習いました。リズムや七五調、腹式呼吸、声の大きさ、張扇を叩くタイミングなど、講談の基礎訓練となる要素がたくさん詰まった読み物で、イメージは一番難しい話を最初に教わるという感じです。何言っているか分からなくても、上手い人が読むと鳥肌が立ってくるんですよ。不思議な芸です。
――やっぱり松之丞さんも「三方ヶ原」には格闘された思い出が?
いっぱい思い出はありますね。講談師1年目の前座のころ、キャパ500人くらいの比較的大きなホールで「三方ヶ原」で絶句してしまいました。でも、講談教室の生徒さんらしきお客さんが「○○だよ!」って続きを大声で教えてくれたんです。そしたら、記憶がつながって最後までやり遂げられました。
あと、正月の興行で、開口一番の絶対ミスしちゃいけない時にも絶句しているんですよ。とにかくいっぱい失敗した話が「三方ヶ原」。でも、たくさん失敗したことが今の僕をつくっていますね。どれだけ話を腹に入れないと人前でかけてはいけないのかなど、人前に立つ芸人としての基礎みたいなものを学びました。
松之丞の読書ライフ
――ふだんの読書もやっぱり講談が多いんでしょうか?
そうですね。資料がいっぱいあるので、講談速記を読んでいることが多いです。エッセーや小説、プロレスの本なんかも読みます。でも、僕は本を読む才能があんまりなくて、どちらかというと人がしゃべっている話芸の中の物語の方が入りやすい。耳から聞いて、空気を感じながら体感する方がいいみたいで、本で読んで面白くないだろうって思っていた話が高座にかけるとすごく面白くなっていたということもあるんですよ。
――講談を聞く上で役に立つ本やおすすめの本があれば教えてください。
この『江戸の用語辞典』。僕の入門書にプラスして読むと完璧です。イラスト入りで江戸時代の色々な用語を解説してくれる本なんですが、辞典とか図鑑って見ているだけで楽しいんだなと、子どものころに戻ったような感覚で楽しめます。
こういう本を読んだりすると、日本の全ての伝統芸能っていうのはつながっているなということを再発見します。
――実際、松之丞さんは講談以外の伝統芸能を見に行かれることは多いんですか?
歌舞伎はだいたい毎月行っています。文楽もそこそこ行きますね。文楽は太夫ばっかり見ています。やっぱり僕は講談の人間なので、生きている人間が真剣に語っている姿にしびれるんですよ。でも違いもあって、講談だと80歳の人は80らしい芸になるんですけど、太夫の人たちって、全盛期の自分に合わせようとして全力でやっているんです。だから、ジジイがすごい全力疾走しているみたいなんですよ。でも、そこに美しさを感じたりなんかして。
――他の芸能からインプットして、講談にアウトプットするということもあるんでしょうか?
それは多分、見ているうちに自然にあると思います。例えば、歌舞伎の(片岡)仁左衛門さんの殺し場ってすごく美しいんですけど、そういうのを頭の中に入れることによって、自分がいざ人を殺す場面をやる時にインスピレーションを受けるということは大いにあるでしょうね。
僕の理想としては、落語も講談も浪花節も歌舞伎も全ての芸能というのは切磋琢磨し合ってお互い高め合っていきたい。今は講談と浪曲がちょっと弱い状況ですけど、皆が当たり前のようにそれぞれの魅力を知っている強い文化になればいいなと思います。
――今後の講談界を背負っていこうという使命感をひしひしと感じます。
僕はそんな風には思っていなくて、役割って各々あるんだろうなと思っているんです。講談の案内役として注目を集めて、一人でも多くの人に講談に興味を持ってもらうというのが僕の今の役割。僕自身は未熟でこれからの人間なので、自分の講談を聞いてくれっていうよりも、(一龍斎)貞水先生やうちの師匠(神田松鯉)など素敵な先生方の芸を聞いてほしいという思いがあります。
人間って有限で、どんな名人にも寿命がある。だからこそ、できるだけ多くの人に講談のすばらしさ、本物の芸を届けたいんです。今は分からなかったとしても、そういう名人の芸を1回聞くのと聞かないのとでは全然違うので、1回でいいから聞いてほしい。それはあなた自身の歴史になりますから。
――講談というと年配の方が聞くものというイメージを抱きがちですが、松之丞さんは若いうちに講談に出会えてよかったと思うことはありますか?
講談は基本的にはノンフィクションなので、今も残る寺や神社などが物語に出てくることもあります。そこら辺にあるただの汚い寺と思っていた寺も、講談を通してその歴史や物語に触れることで、見え方が変わってくるんです。講談を知れば知るほど、日常にあるものを興味深く見られるようになりましたね。物事の見方が変わってくるというのは、講談の豊かなところかなと思います。