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情報がないから妄想に耽った 信藤三雄展「ビーマイベイビー」で高校時代を思い出す

文:宮崎敬太

 「バブルというのは経済畑で使われている通り、“ある商品が本来の価値から膨張していると考えられる高い値としてトレードされていること”といった程度の意味ですが、わたしはバブルに道徳的な判断をしようしているわけではないので、1990年代前半のクラブ・シーンというものが、多種多様な音楽を求める若者で溢れていたことと、彼らが音楽を糧に生活することが可能な時代だったことを指摘するにとどめます」

 これは90年代初期にイギリスで暮らす不良ジャマイカ人たちの姿を異常に生々しく描いた、ヴィクター・ヘッドリーの小説『ヤーディ』のあとがきで、同書の日本語訳を担当した荏開津広が記した言葉だ。このコラムの主役である信藤三雄は、「1990年代前半のクラブ・シーン」をさまざまなデザインで可視化した人物の1人だろう。

 現在、東京・世田谷文学館で開催されている信藤三雄の展覧会「ビーマイベイビー」では、彼が手がけてきたCDジャケットやポスターなどが1300点以上も展示されている。一挙に集められた作品を見て感じたのは、モノとして迫力があるということだ。

 1990年代の日本にはまだ個人経営の「町のCD屋」というものが存在していた。そこでめちゃくちゃ目立っていたのは、プリズム加工された松任谷由実「天国のドア」であり、洗剤のような馬鹿でかい箱のサザンオールスターズ「HAPPY!」であった。また、アルバムの中身は聴いたことがないのに、シースルーのプラケースに入ったMr.Children「Versus」のジャケットはいまだに覚えていた。私が思っていた以上に、1990〜2000年代の日本の音楽シーンは彼のデザインで埋め尽くされていた。意外なところでは、JITTERIN'JINNやBLANKEY JET CITYなどのアートワークも手がけている。

松任谷由実「天国のドア」 (ユニバーサルミュージック/1990年)

 彼の作品で個人的に最も思い入れが深かったのは、1994年に発表されたコーネリアスの初期作品のアートワークだ。1977年生まれの私は、当時この世界観に憧れる普通以下の高校生だった。若き日の小山田圭吾はヴィンテージのリーバイスのデニムジャケットを羽織り、中に当時の彼のアイコンである「C」マークのTシャツを着ていた。おそらくスニーカーはプーマのクライド。めちゃくちゃ格好良かった。だけどそれらのほとんどは、普通以下の高校生では入手できないものばかりで、真似すらできなかった。正直に言えば、コーネリアスの音楽そのものより、その世界観にとてつもない影響を受けた。

 私は神奈川県の大船という町で育ったので、渋谷は地理的に遠い場所ではなかった。だがコーネリアスの世界はとてつもない遠い場所の出来事のように思えた。当時はインターネットがなかったから、1枚の広告ポスターやアートワークからさまざまな情報を読み取った。そして行間から無理やり文脈を見つけて、コーネリアスの世界を頭の中で膨張させていた。当時はそんな若者ばかりだった。

 信藤三雄は過去のアーカイブをサンプリングすることでも知られている。ちょっと大人になって1960〜70年代のジャズやソウルのCDやレコードを見ていたら、同じようなデザインを見つけたこともあった。それをパクりと言ってしまうと身も蓋もないのだけれど、私は今回の「ビーマイベイビー」を体験して、彼は当時自分の身近にあった世界を表現していたのではないかと思った。それはまさに「1990年代前半のクラブ・シーン」。いわゆる「渋谷系」は当時のクラブ・シーンから生まれたカルチャーだ。ジャズ、ソウル、ネオアコ、フレンチポップ、パンク、レゲエ、スカ、ボサノヴァ。さまざまな時代のさまざまな音楽が並列化してる場所。それを可視化させるために、彼は無数のサンプリングをする必要があったのではないか。

 そしてこれは最近自分自身が思うことなのだけれど、表現には0から1を生み出すタイプと、1を2や3に増幅させるタイプがある。信藤三雄は間違いなく後者だ。いまは本当に情報に溢れていて、何かわからないことがあれば大概のことはスマホが正解を提示してくれる。だけど知的好奇心に正解はない。むしろ永遠に解決されないから楽しい。信藤三雄のデザインに関する話も、完全に私の妄想だ。だけど考えてる時は楽しかった。私と同年代の人で、多少なりとも音楽が好きだった人にとって、この「ビーマイベイビー」はめちゃくちゃ楽しい体験になるだろう。そして久しぶりに、正解のない妄想を無限に肥大化させてほしい。