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「坐の文明論」 床か椅子か 生活の形を立体的に 朝日新聞読書面書評から

評者: サンキュータツオ / 朝⽇新聞掲載:2018年09月08日
坐の文明論 人はどのようにすわってきたか 著者:矢田部英正 出版社:晶文社 ジャンル:歴史・地理・民俗

ISBN: 9784794970275
発売⽇: 2018/06/26
サイズ: 20cm/359,9p

坐の文明論 人はどのようにすわってきたか [著]矢田部英正

 私は身体が硬いうえに腰も痛くて胡坐をかくこともできない。宴席があってもそこが座敷かどうかが最大の関心事であり、法事も参加したいが正座するプレッシャーがある。ほかの人たちが平然とそれができるのに自分だけができない後ろめたさを抱え、私の興味は自然と椅子に向いていた。やっぱ椅子だよね、椅子。
 本書の著者の矢田部氏は姿勢研究の一環として椅子のデザイン開発を手掛けた人物で、どんな椅子物語が読めるのだろうと期待していたら、まず「座る」とはどういうことかという本質的な話からはじまった。「坐」は人間のすわる姿、「座」はその居場所を示す。第一章の「坐の形態論」では、世界の人々がどのような坐り方をしてきたかを調査したヒューズの先行研究を矢田部氏自身の知見を踏まえて紹介する。すると床坐のなかでも胡坐に代表されるような「開膝系」の坐法は、アメリカ西海岸から中南米、南太平洋の島々から東南アジア、インド、アフリカ、オーストラリアなど、ヨーロッパを除く世界各国に流布していたという。椅子やベンチに座る習慣は決して世界的なものではなかった。しかし文化の優位性となると話が変わってくる。床坐の習慣をもつ人々が椅子に座るのにストレスはないが、椅子座が習慣化した人々が床坐を行うには足腰に大きなストレスがかかるからだ。床坐が世界標準になることはないというヒューズの知見から六〇年経った現在、まさに椅子座は世界を席捲した。
 祖父母がなんの苦痛も感じていなかったのに、現在四〇歳を過ぎた私が胡坐や正座といった床坐に苦痛を感じていたのは、私個人の問題でもありながら、同時に文化文明の席捲の渦中にいたからかもしれない。
 ではなぜ椅子座と床坐という文化が成立したのか。それは、唯一神が天空に存在すると信じてきた民俗と、床坐して瞑想し神の声に耳を傾けてきた民俗の違いからなのではないかと氏は指摘する。王座の前で平伏することこそ礼儀だという中国伝来の日本の礼儀作法があるから、私は正式な床座をできないことに「後ろめたさ」を感じていたのだ。
 もちろん本書では、椅子の歴史や様式、語彙を扱い、最終的には人間の身体論、文明論にまで至る。これほど網羅的・立体的に「坐」を扱った本はほかにない。
 正座もいいな、胡坐もいいね、座敷もいいもんだ。ちょっと痛くてもやってみたくなった。
 そう思っていたらこちらの書評委員会のときに、靴を脱ぎ、椅子に座って胡坐をかいている人がいた。そうそう、こういう人いる!彼らは床坐と椅子座の結節点にいる、最新の文明人かもしれない。
    ◇
 やたべ・ひでまさ 1967年生まれ。日本身体文化研究所主宰。武蔵野美術大講師。大学時代は体操競技で活躍、姿勢訓練から身体技法の研究へ。『椅子と日本人のからだ』『たたずまいの美学』など