祖父の代から70年以上使っている木箱の上に石を置き、右肩で鑿(のみ)を支えて硯(すずり)を彫る。石が硬いと肩に血がにじむこともあるという。時折、指ではじいて石の内部の状態を確認する。
浅草で昭和14(1939)年創業の書道用具専門店の4代目。夏目漱石が使っていた硯を鑑定して復刻版を作る様子や、歌舞伎役者の市川猿之助さんから注文を受けて「家宝になる硯」を彫る様子がテレビで紹介され、注目を集めている。
大好きだった祖父を手伝い漆溶きや硯磨きをするうちに、自然と硯作りの道を歩んでいた。修業を始めたばかりのころは、石の加工技術や面白い造形に夢中だったが、中国の古い硯を知るうちに、石がもともと持っている紋様やつやの自然美を主役にした硯を目指すようになった。「石は地球からの預かり物。僕が“料理”して硯にするけれどまだ完成じゃない。硯は使う人が育てていくものだから」
硯に適した石を求めて、中国や日本の山、採石の町に足を運ぶ。石を詰めるリュックを背負い、単眼鏡やペンライトで山肌や石質を観察する。鑿や研磨道具を持参して、その場で硯を作り、沢の水で手紙を書くことも。中国では山賊に襲われ、日本の山でも熊や鉄砲水を警戒しながら沢を歩く危険な旅だ。取材した時、髪を伸ばしていた。聞くと、秋に北海道に石探しに行くための寒さ対策だという。
硯の一番の魅力は何ですか?「実用品でありながら美しく、千年残る。逆に千年前の作り手の思いを想像することもできます」。硯といっしょにお風呂に入るってホントですか? 「石を水につけると、石紋が一番きれいに浮かび上がるんです。湯船でじっくりと眺め、なでていると、石が採れた山の景色や空気の冷たさも思い出されます」
本書を出したのは「2020に向けて英語を学ぶのもいいですが、毛筆という伝統文化も振り返ってほしいから」。そのためのきっかけになればと、46億5千万年前の隕石(いんせき)を使った硯を作ったり、東日本大震災で被災した硯産地、宮城県雄勝の石を使った携帯用毛筆セットの共同開発を有名企業と進めたりしているところだ。(文・久田貴志子、写真・伊ケ崎忍)=朝日新聞2018年9月15日掲載
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