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宿されている認識や経験の力

評者: 齋藤純一 / 朝⽇新聞掲載:2018年11月24日
風景論 変貌する地球と日本の記憶 著者:港千尋 出版社:中央公論新社 ジャンル:歴史・地理・民俗

ISBN: 9784120051098
発売⽇: 2018/09/10
サイズ: 19cm/349p

風景論 変貌する地球と日本の記憶[著]港千尋

 本書は、風景を、私たちによって眺められるものではなく、そこに宿されている記憶や認識を私たちに垣間見させるものとしてとらえ直す。
 風景には、文書に記録される以前の過去をいまに伝える力、およそ出会いそうにない人々を結びつける力、あるいはこれから何が起ころうとしているかを予兆として知らせる力がある。
 たとえば、地層は、噴火や津波があったことだけではなく、縄文時代に大規模な野焼きが繰り返し行われていたことを記憶にとどめる。いま各地の都市に雑草として蔓延るある植物は、日本から世界中にそれを拡散させた植物園のネットワークがあったことを物語る。都市の広場は、行動する多くの人々を容れることによって、それ自身の潜在的な「キャパシティ」を政治的な「パワー」へと転化する。潟湖に飛来する白鳥は、「殺生禁制」を受け継いできたその地の文化を教える。そして、廃墟や工場の「殺風景」は、それに惹かれる人々が普段馴染んでいる環境が何を欠いているかを示唆する。
 著者によれば、風景とは「方法」であり、「経験」である。それは、「遠く離れた物事を結びつけ、近すぎて見えない事象を離れて見やすくする。ときに大きな矛盾が共存している現実を見せる」。
 風景は、モノとヒトとのあいだにこれまでどのような交渉があったかを、五感や想像力を通じて理解可能なものにする。そして、自然や世界を人々がどのように経験してきたかも、地名、短歌、民話あるいは碑文といったかたちをとって風景に折り重なっている。反復され、積み重ねられてきた経験を顧みないことも可能だが、そのリスクを震災は私たちに教えた。
 ヒトというよりもモノの側にあるさまざまな力。私たちがもたないかもしれぬ記憶や知覚を風景はどこでどのように見せているだろうか。
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 みなと・ちひろ 1960年生まれ。写真家・著述家。『芸術回帰論』『書物の変 グーグルベルグの時代』など。