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奇妙で良いし、奇妙さを楽しんで良い 彩瀬まるさんが7歳のころに出会った映画「アダムス・ファミリー」

「アダムス・ファミリー」(1991年公開、100分、米国)

 物心ついた七歳の頃、私はアメリカのサンフランシスコにいた。日本人が全校で私一人しかいない公立の小学校で、中国や韓国、ロシアやブラジルなど、様々なルーツをもつ子供達とゴム跳びやドッヂボールをして毎日のほほんと暮らしていた。

 英語は、けっこう適当だった気がする。子供同士はたいして難しい単語を使わないので、なんとなく言いたいことは通じてしまうのだ。授業も、なにか聞き逃してもプリントを見れば大体のタスクは分かるし、気になるところはあとで先生に聞きに行けば良かった。英語の理解は、友だち同士との会話で八割、授業で六割ぐらいだったように思う。それで不自由がなかった。

 しかしこれが映画鑑賞になるとまあ、聞き取れない聞き取れない。日常のシーンはまだ理解できるが、物語が動き出し、なにか不思議な現象や込み入った事情が説明される段になった途端、登場人物の口から出る単語のレベルがひょいと跳ね上がるのだ。たとえば「ゴーストバスターズ」の幽霊を退治する光線の仕組み、「ジュラシック・パーク」の恐竜の遺伝子を蚊の化石から採取した方法、その辺りがすっぽり聞き取れない。物語の骨格は曖昧なまま、シーンごとの盛り上がりを楽しむ。それが初めて映画を意識的に観始めた頃の、私の当たり前だった。

 そのせいか、子供の頃に観た映画で印象に残っている作品の数はそれほど多くない。「ジュラシック・パーク」は厳密な内容が分からなくても、襲ってくる肉食恐竜があまりに怖くて映画館の隣の座席に座る父親のジャケットにもぐり込んだ記憶がある。あとディズニー映画は難解な単語も少なく、美しいシーンや覚えやすい歌が多くて好きだった。特に「アラジン」や「ライオンキング」が印象深い。可愛らしいキャラクターとシビアなシナリオにはまった「NEMO/ニモ」も波多正美氏が監督の一人だったとはつゆ知らず、アメリカのアニメだと信じ込んだまま魔法の呪文も英語で覚えた。すごくパジャマパジャマ言っている呪文だった。

 そんなおぼろげな記憶の中、一際輝きを放っているのが、のちに「メン・イン・ブラック」を手がけるバリー・ソネンフェルド監督のデビュー作品「アダムス・ファミリー」だ。

 荒れ果てた丘の上に住むアダムス一家は変わり者の集団だ。殺人、拷問、犯罪、不幸といった悪徳にまつわる話題を好み、刃物を投げられても電流を通されてもなぜか平気で、体が異様に強靱。屋敷は代々の一族が埋葬された墓地に囲まれており、敷地内には底なし沼や土牢まであるという。執事はどう見てもフランケンシュタインの怪物だし、人間の手首から先を切り離したような手だけの存在がトコトコと五指をリズミカルに蠢かせてその辺を散歩している。情熱的なラテン系だがハイ過ぎて話の通じない当主ゴメズ、痩身で黒ずくめという魔女さながらの容姿の母モーティシア、にこりとも笑わず青白い顔に黒髪のおさげを垂らした長女ウェンズデーなど、インパクトの強い一家は周囲から“odd”(奇妙な)もしくは“creepy”(不気味だ)と距離を取られている。

 この一家の“odd”さが、幼心にはたまらない魅力として映った。奇妙であること、不道徳であることが楽しまれるこの一家では、一般の良識が通用しない。子供達は食事時に「食べ物でもっと遊びなさい」と注意され、嵐の日には避雷針をわざわざ両手で抱えて雷を招く。一家に赤ん坊が生まれた「アダムス・ファミリー2」では、「みんなと仲良く」「はみ出し者ははみ出し者らしく、クラスのイケてるメンバーに迎合しろ」と強制されたウェンズデーたちが、サマーキャンプの管理人や他の子供達を火あぶりにして復讐する。“odd”であることを恥じるどころか、誇り、守るために戦う彼らの姿は、痛快で清々しかった。

 そしてアダムス一家は、誰もがとても深く愛し合い、お互いを大切にしている。

 奇妙で良いし、奇妙さを楽しんで良い。大勢から理解のされない場所にも愛はあるし、喜びがある。逸脱を許容するそんなメッセージを、幼い私はぼんやりと受け取ったのだと思う。

 そして、だからこそ一家の父親ゴメズ役を演じたラウル・ジュリアの訃報は、私にとって初めての「自分にとって大切な芸能人の訃報」となった。「お父さんが死んじゃった! 一家をあんなに守ってくれたお父さんが死んじゃった!」とたまらなく悲しくなったのを覚えている。

 子供の頃、きっとあの映画を観た多くの子供達がそうだったように、私もアダムス・ファミリーの一員だったのだ。