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「近代の記憶」書評 家父長制と共に失われた囲炉裏

評者: 保阪正康 / 朝⽇新聞掲載:2019年03月23日
近代の記憶 民俗の変容と消滅 著者:野本 寛一 出版社:七月社 ジャンル:歴史・地理・民俗

ISBN: 9784909544025
発売⽇: 2019/01/21
サイズ: 20cm/395p

近代の記憶 民俗の変容と消滅 [著]野本寛一

 かつての日本の共同体には、いくつかの特徴ある環境や伝統と称される約束事があった。時代の変容でその環境は失われ、儀式なども少しずつ欠けていった。野本民俗学はそれを丹念に聞き取り、記録として残している。記憶は記録されることで、「省察と建設の活力源となる」と指摘する。
 本書は2部構成になっているが、Ⅱの「イロリとその民俗の消滅」の記述が多面的で興味深い。近代以降も日本人は囲炉裏を守り、生活上の機能分化をさせて利用してきた。
 しかし今、囲炉裏のある家は珍しい。囲炉裏を失うことで日本人は何を失ったか。著者は各地を訪ねる。囲炉裏の名称は異なるが、土間に対する上方をヨコザと称し、一家の主人の座るところとどこでも決まっているという。ヨコザでおしめを替えてはいけないとの伝承(岐阜県飛騨市)がある地も、珍しくない。
 著者によると、囲炉裏は火所として総合力と求心力が強かった。家族の対話、談笑、団欒の場であり、同時に伝承の場でもある。しかし、明かりはカンテラ・ランプ、煮沸はプロパンガス、そして採暖は炬燵などの普及により、囲炉裏に象徴される家父長制度が崩壊していった。地方(たとえば新潟県新発田市など)には残っているとしても、その意味は変わってきているという。囲炉裏を通じて子供たちが学んでいた火の怖さも薄れてきた、との指摘は頷ける。
 本書のⅠの第一章では、木地師(お椀、盆、丸膳などを作る職人)がいなくなっているという事実を、各地を訪ねて裏づける。この歴史も、近世から近代に移る過程で定住が当然になっていくのと符節が合う。
 木地師に限らず「山に生きる人びとの生業複合」のクライマックスは、昭和10年ごろだという。農村の現金収入が増えたのがその理由だとの見方が示される。
 民俗学者の筆にはいつも先達への慈愛と愛惜がある。本書もまたそうである。
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のもと・かんいち 37年生まれ。近畿大名誉教授(日本民俗学)。著書に『稲作民俗文化論』『季節の民俗誌』など。