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横溝の代表作に挑んだ精緻でトリッキーな本格ミステリ 澤村伊智「予言の島」書評

文:朝宮運河

 デビュー作『ぼぎわんが、来る』の映画化『来る』が昨年公開され、あらためて注目を集めるホラー・エンターテインメントの旗手、澤村伊智。
 待望の新作『予言の島』(KADOKAWA)は、『ししりばの家』以来約一年九ヶ月ぶりとなる書き下ろし長編である。今回は人気キャラクターの比嘉姉妹が登場しないノン・シリーズ、しかも初挑戦となる本格ミステリだが、高い方法意識に裏打ちされた一筋縄ではいかない作風は健在。『ずうのめ人形』などでも示されていたミステリ的な手腕が、見事に花開いた充実の一作となっている。

 瀬戸内海に浮かぶ霧久井(むくい)島。人口わずか三十人というこの小島は、かつて一世を風靡した霊能者・宇津木幽子がテレビ番組の撮影に訪れ、怨霊に祟られた土地として、オカルトマニアの間では有名だった。

 天宮淳は旧友・岬春夫に誘われ、この島を訪れる。幽子が死の直前に書き残した「八月二十五日から二十六日の未明にかけて、霧久井島で六人死ぬ」という予言の結末を野次馬的に見届けるため。そして職場でのパワハラによって心を病んだ友人、大原宗作を元気づけるためだ。ところが愉快なはずの休暇旅行は、少しずつ不穏な空気に包まれてゆく。
 港では見知らぬ女性に渡航を止められ、予約していた旅館には怨霊がくる、との理由で宿泊を断られてしまう。なんとか見つけ出した民宿で彼らを待っていたのは、一癖も二癖もある同宿者たちと、「くろむし」と呼ばれる不気味な怨霊除けの置物だった。やがて大型台風が接近。本格ミステリの王道ともいえるシチュエーションの中、島にいる者たちが次々と命を落としてゆく。

 著者によれば、本書は横溝正史の名作ミステリ『獄門島』へのオマージュとして執筆されたという。横溝といえば一般には、おどろおどろしい因習の残る集落での、奇怪な連続殺人を扱ったミステリのイメージが強い。本書もそうしたイメージを忠実になぞるように、土俗的オカルト的な事件を扱っている。しかしその手つきは、あくまで繊細かつ慎重だ。

 淳たちが泊まった民宿の主人・麻生は、怨霊伝説を語り伝える島民たちを賞賛し、「霊能者の予言なんかを真に受けるより、こうした習俗を大切にしたほうがいい」と熱弁をふるう。しかし麻生が愛してやまない土俗の闇なるものも、どこまで伝統的で日本的なのだろう。本書は戦後マスコミによって作られた「恐山のイタコ」の例を引きながら、その危うさを暗示してみせる(麻生の愛読書が横溝正史というのが実に皮肉だ)。“いかにも”な土俗ミステリを期待していた読者は、麻生の発言に少々の気まずさを覚えるとともに、自らの内にひそむ偏見や先入観に気づくことになろう。そして著者が目指していたのが、『獄門島』の表面的なコピーでないことにも思いいたるはずだ。

 本書が描いているのは、幽霊やモンスターのもたらす戦慄ではなく、人間を非合理的な衝動へと駆り立てる、言葉のもつ呪力である。たとえインチキな予言や霊視であっても、ひとたび言葉として発せられると、誰かの行動を左右する力をもつ。宇津木幽子の予言によって人生を変えられた者たちの姿は、悲しく、滑稽で、どこか他人事とは思えない怖さがある。「驚愕の」と呼ぶのがふさわしい事件の真相も、このテーマと密接に結びついているのだ。
 新鋭が『獄門島』に挑んだ精緻でトリッキーな本格ミステリとしてはもちろん、現代的な恐怖小説としても見逃せない逸品。ほぼ同時期に発売された今村昌弘の予言ミステリ、『魔眼の匣の殺人』と読み比べてみるのも一興だろう。