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「性器のナゾ」に学習漫画が迫る!? 描写はリアル、でもあくまで科学本「ダーウィンの覗き穴 虫たちの性生活がすごいんです」

文:ハコオトコ 写真:斉藤順子

――本書はオランダ・ライデン大学の生物学者、メノ・スヒルトハウゼン教授による一般向け学術書の日本語版「ダーウィンの覗き穴――性的器官はいかに進化したか 」(田沢恭子訳、早川書房)を、漫画家の日高さんがコミカライズしたものです。原作では文章で説明されている「なぜ私たちは性交するのか」「生殖器が多様な形状に進化した理由」といった性科学の謎について、解説役のキャラクター同士の掛け合いと、動物やヒトの生殖器や性交を図解したイラストを交えて16回に分けて説明しています。異色な「オトナの学習漫画」と言えますが、なぜこの形式で描いたのでしょうか。

 きっかけは出版社からの提案で、既に生物学界隈でも話題になっている本でした。私にとって初のコミカライズで果たしてできるのかとも思いましたが、原作を読んでみると面白い。ページをめくるごとに驚きがあった。そこで読者の手元に漫画版を届けたいと思ったのです。

 実は私は(漫画家になる以前の)会社員時代、教科書のガイド本を作っていました。今回も、日本史(の教科書に対応した)資料集のような、原作の「副読本」を書きたかったんですね。原作の内容を単に「面白おかしい」だけでなく、色眼鏡を掛けずより正しい形で読者に伝えたかった。

 そこで原作に少し足りないと私が感じた点がビジュアル面でした。もちろん大事な箇所には図版が入っているけれども、どうしてもメーンは文字情報。「ハネジネズミ(アフリカに生息する、長く独特の生殖器を持つ哺乳類)」と言われても、知らない人にその見た目は浮かんできません。ハネジネズミはこういうものだと、文字と絵で示せるメリットが漫画にはあった。

オスの奇妙な形に進化した生殖器が特徴のハネジネズミ
(c)日高トモキチ/メノ・スヒルトハウゼン/早川書房
オスの奇妙な形に進化した生殖器が特徴のハネジネズミ (c)日高トモキチ/メノ・スヒルトハウゼン/早川書房

原作者の教授とケモノ耳の女の子が解説

――原作の著者にして本作では解説役を務めるスヒルトハウゼン教授と、聞き手であるケモノ耳の女の子のコンビが各テーマを説明していくパターンは、性にまつわる“オトナ”な内容なのはともかく、オーソドックスな学習漫画ですね。

 本作は読者目線でコミカライズしたいと思っていました。原作ではこの教授が自分の調べたことを書いている訳ですが、私がそれを“受け売り”するだけの漫画では伝わらないだろうと。私は偉くもないし、これは自分の研究でもないからです。

 本書ではケモノ耳のよく分からない女の子が出てきて教授の話を聞くわけですが、この子が私自身なのです。つまり私が教授に教えてもらう形式なのですが、(そのまま描くと)オジサンがオジサンに話を聞く形になってしまう。学習漫画でありがちなパターンですが、描く方も読む方も楽しくなるよう、彼女にこの(聞き役としての)スタイルを託しました。

――このケモノ耳の子、よく読むと実は名前がありませんね。

 以前もこういうスタイルで漫画を描いたことがあるのですが、読者に感情移入してもらうためにあえて名前は付けていません。この子に設定を付けないことで、「(読者である)あなた方」だと思ってもらいたかったのです。キャラを立てるより、聞き役として自由な立場に設定しました。

「科学本」、だから性器描写も妥協せず

――表紙はこの女の子の顔が大きく描かれた、可愛らしく手に取りやすい「萌え」デザインです。しかしページをめくると「メス(女性)はどのように精子を選別しているのか」「『サイズ』は実は関係ない?」など刺激的な話ばかり。「性淘汰」など専門用語もガンガン飛び出して文字とイラストの情報量に圧倒されます。

 最近のエッセイ漫画は密度が濃くなく、さらっと読める物が主流です。でも、これはそういう(さらっとした)本ではないなと思い、好きにやらせてもらいました。

――人間の性器や性交の様子を変にぼかさず正面から描いているのも印象的です。虫や動物の雌雄のやり取りを擬人化して説明する一方、ヒトの性器のズームや断面図は細かく描写しています。

 学術書の皮をかぶった漫画でもあるので、普通の漫画雑誌に載っていたら(性器などに)“ケシ”が入っていたところも全部描けたのは良かった。ケシを入れたら何もかもが駄目になっていたでしょう。そこは(科学本として)隠してはいけないところだからです。

――デフォルメとリアルという両方の漫画表現を駆使して描写したことで、文字だけだとちょっとイメージしづらい学術書の専門的な内容が頭に入りやすくなった気がします。

 私は今、京都精華大学(京都市左京区)で漫画の先生を務めていますが、漫画の使命の1つとはまさにそういう「分かりにくいことを分かりやすく伝える」ことだと思うのです。140文字以内に収まるTwitterならみんな読んでくれるが、それ以上(の文字量の本)だと、よほど好きな人でなければ読んでもらえない。そこに絵が介在することで伝わりやすくなる。ノンフィクションの漫画を描く時でも、「文章だと伝わらないので漫画にします」と取材先に言っています。それこそ私自身、学習漫画で育った世代ですし。

――体長よりずっと長くねじ曲がったりトゲが付いたりした動物の生殖器や、ナメクジの交尾の様子など、普通の漫画にまず登場しなそうな奇妙なイラストの数々も見どころです。マイナーな生物の姿や生殖器のビジュアルを探して正確に描くのは大変だったのでは。

 描くのは楽しかったですよ。自分でインターネットを使って参考文献を調べました。本書の後ろにも引用した文献名を全部記しています。一昔前なら図書館で調べたのでしょうが、今は(生物の)学名で検索できますからね。クモとか虫の姿をイラストにおこす作業も、自分は嫌じゃなかったですし。

性に挑む科学者のスゴさ、描く

――描いていて特に印象に残っている生き物は何ですか。

 読者と少し違う感想かもしれませんが、目と目の間が(場合によっては体長の2.5倍も)離れたシュモクバエですね。

 あと私、似顔絵を描くのが好きなんです。登場する科学者たちは、実はみんな本人にすごく似せているんですね。顔の写真が見つかった人はそれを見て描いてます。見つからなかった人は2人くらいしかいません。スティーヴン・ジェイ・グールド氏などは特によく描けてますね。

目と目の間が異常に離れているシュモクバエ
(c)日高トモキチ/メノ・スヒルトハウゼン/早川書房
目と目の間が異常に離れているシュモクバエ (c)日高トモキチ/メノ・スヒルトハウゼン/早川書房

――約5億年前のカンブリア紀にいた多様で奇妙な生物たち「バージェス動物群」を紹介した「ワンダフル・ライフ――バージェス頁岩と生物進化の物語」(早川書房)を書いた米国の生物学者ですね。しかし、毎回新登場するたくさんの科学者の顔を描くのも楽ではなかったはず。なぜ似顔絵にこだわったのですか?

 本来、こういうところにこだわる必要はないのですが……。(似てないと)自分が気持ち悪くなっちゃうんです。あと、彼らも人間として書く以上、ちゃんと描きたかった。やっぱり科学者の顔って面白いんですよね。変わったことに一生を捧げている人はやはり変わっているし、描いていても面白い。

――そんな研究者たちが、動物だけでなくヒトの性器や性交の仕組みについても、時にはパートナーと身を張って探求するエピソードが登場します。性生活についての生々しい調査内容やイラスト描写も出てきますが、正直ムラムラしたり“エロ漫画っぽく”読めないのが不思議です。

 これを読んでエッチな気持ちになる人はいないと思いますね(笑)。

 科学者たちに、そういう(エロ目的のような)視点が抜けているからかもしれません。彼らは「興味本位」では研究していない、ということです。他人の精液の中にいる精子の数を、そんな理由では数えられない。純粋にデータとして調べているから、(研究者が学生などの被験者たちに)「コンドームに精液を入れて持ってきてね」と言える。

 そして、私も彼ら研究者に対して敬意をもって本書を描きました。私は“スポークスマン”でしかないのです。実際にフィールドワークして研究している人たちに対して、上から目線になってはいけない。研究はあくまで研究者の物です。性生活や性器研究の真価もすごいとは思いますが、「研究者たちがスゴイ!」という本でもある。だからこそ、彼らの似顔絵も一生懸命調べて描いたのです。

 (性的なイラストは)漫画家でも慣れていない人が「照れ」を持ったまま描くと、恥ずかしい描き方になっちゃう。だから私もまた、研究者たちを見習って余計な照れを入れずに描きました。「琥珀に入っている昆虫のペニスを粒子加速器を使って調べる」とか、大真面目に研究している彼らのカッコよさが伝わればいいなと思います。

――一方で本書は「メスはえり好みをするがオスは相手を選ばない」など、性差という人によっては敏感に反応する話題にも踏み込んでいます。巷では「自然界ではオスは〇〇だから人間社会で男もこうあるべき」などと、自然の法則と人間社会の問題を安易に結び付けた性の言説もよくあります。でも本書は男女どちらかの視点に偏った推測を盛り込まず、あくまで研究成果に基づいてフラットに書いてますね。

 性別やジェンダーに踏み込まざるを得ない点はありましたので、そこは気を遣いました。「男は(性交する相手を)えり好みしない」とか言ってしまっているわけで、あくまでニュートラルに描かないといけなかった。「(科学的に)こうなっているから男はこう、女はこうあるべき」とは考えてほしくなかったのです。ミサンドリー(男性嫌悪)やミソジニー(女性嫌悪)の論拠にしてほしくない、という思いもありました。

 (生殖では一見)男(オス側)がやられてばっかりだとしても、女の人(メス側)の方も苦労している。その辺はお互い様で、だからこそ生殖が成り立っているんですよ、という。

ペンギンにも「BL」がある!?

――逆に性や自然に対する先入観を裏切るエピソードも頻出します。オスのマガモが死んだばかりの同性の仲間に興奮して交尾してしまった話とか……。「生き物は繁殖のために性交する」という固定概念が揺さぶられます。

 よく「男はこう、女はこうあるべき」「LGBTなんかありえない」と言う人がいます。でも、すみだ水族館(東京都墨田区)を取材して知ったのですが、ペンギンにもBL(ボーイズラブ。この場合はオス同士のカップルを指す)があるんです。理由は分かりませんが、自然界だってそんなものなのです。

――科学で性の謎を解き明かそうとする本なのに、理屈で説明がつかない話も多いですね。

 そもそも、生物が両性生殖(単性でなく、卵子と精子など雌雄で受精する生殖)する理由が、今さらながらはっきりと分かっていないのです。クローンのように増えていく生物だっていますから。(本書の大テーマである)生殖器が多様に進化した理由も、異なる説を唱える2陣営が戦っているというところで本書は終わっている。結論は結局出ていません。

 世の中、分かったようで分かっていないことは多いのです。恐竜だってティラノサウルスの見た目は、鳥の化け物のようになるなど毎年変わっていますから。判断が付かない部分はそのまま読者に委ねようとも思いました。

――本書は特にどんな人に特に届いて欲しいですか。

 私の作品の読者は男女比が半々くらいで、意外と成人女性が多いんです。女の人が入り込みやすい絵柄や持ち味だと多少、自負がありますので。特に男性は性への興味は割とオープンで食いついてくれるけれども、女の人は「はしたない」と思うかもしれない。でも実は興味を持っている女性に、安心して手に取ってもらって届けばいいなと思います。

本書の解説役を務める著者のメノ・スヒルトハウゼン教授とケモノ耳の女の子
(c)日高トモキチ/メノ・スヒルトハウゼン/早川書房
本書の解説役を務める著者のメノ・スヒルトハウゼン教授とケモノ耳の女の子 (c)日高トモキチ/メノ・スヒルトハウゼン/早川書房

――本書の内容は発行前から文章やイラストの投稿サービス「note」に掲載されていました。無料・有料閲覧を合わせて累計約10万ビューが集まり、SNS上でも話題になっていますね。

 Twitterで本書や原作本を紹介したとある投稿に約1000のリツイートが集まりました。投稿した人はBL系の絵描きさんで、本書の「雌雄同体の生物」をテーマにした話に引っかかったのです。普通の人が性差を考えるきっかけにもなるでしょうが、クリエイターなら絶対にこうした話からネタを拾おうと思うはずです。

 性科学はかつて、特にキリスト教国でアンタッチャブルとされ更新されてこなかった分野です。進化論で自然科学を大展開したダーウィンですらフタをしてしまった。今も発展途上の学問の1つなのです。だからこそ、性科学はもっと研究されて良いと思う。この本を大学生辺りが読んで「俺が研究する」と思ってもらえればいい。

 本書は何か疑問を解決するというより、いろいろなはてなが増える本です。読者の「知的」興奮を刺激できれば、それが一番うれしいですね。