「うわぁ。二年前と同じ……」香ばしく揚がったメンチカツを見た七海は、嬉しそうにつぶやいた。ソースをかけると、いただきますと言って箸を持つ。ざくっという小気味よい音が、碧の耳にもはっきりと聞こえた。(『ゆきうさぎのお品書き 8月花火と氷いちご』より)
大型連休も終わっちゃったし、新しい環境にもまだ慣れなくて、なんとなく学校や仕事に行きたくない憂鬱な5月。そんな時は、美味しくて身体も心にもパワーがつくようなご飯を食べたら、ちょっとだけ「また頑張ってみようかな」って思えますよね(単純)。しかもそういう時に食べたいのは、SNS映えするようなキラッキラした「おしゃれフード」よりも、肉ジャガや親子丼などの食べなれたご飯だと思うんです。今回は、そんな家庭的なメニューを出す小料理屋さんが舞台の作品をご紹介します。
母親を亡くして以来、極端に食が細くなっていた大学生の碧(あおい)は、ある日、貧血で倒れたところを助けてくれた小料理屋「ゆきうさぎ」の店主・大樹の作ったご飯で少しずつ元気を取り戻します。大樹が作るご飯を食べると、お客さんはみんな少し元気になって、それぞれの「今」を一歩ずつ歩んでいきます。そんな「ゆきうさぎ」シリーズの著者、小湊悠貴さんにお話を聞きました。
自分なりに「食べること」を真面目に考えてみたかった
——作品の舞台である「ゆきうさぎ」は、店主の大樹が先代の祖母から継いだ小料理屋さんです。「小料理屋」というと、割烹着を着た女将さんがいて、カウンターには家庭的で美味しそうなお惣菜がずらっと並んでいる、というイメージなのですが、小湊さんが実際に行かれたお店はいかがでしたか?
私もこの作品を書くまでは小料理屋というお店に行ったことがなかったので、本作を書くにあたり「一度は行かないと」と思い、まずは家の近くで評判の良さそうなお店を検索して行ってみたんです。そこがとても家庭的なお店で、常連のおじさんたちが談笑していて「小料理屋さんってこういう所なんだ」と雰囲気をつかめたんです。気軽にふらっと入れる食べ物屋さんのお話を書いてみたいなと思っていたので、今作のコンセプトになりました。
——現在7巻まで出ている本シリーズには色々なお料理が出てきますが、毎回メニューはどのように決めているのでしょうか。
1巻につき4話構成になっていて、各章のタイトルには毎回メニュー名が入るので、まずは料理から決めています。中でも最初に決めるのは表題作のメニューで、選ぶ時の重要なポイントは、イラストに描いていただいたときに、ぱっと見て惹かれるようなものですね。基本的に和食ですが、変化をつけるために洋食やデザートもたまに入れて、煮物、揚げ物、ご飯もの、と調理法はできるだけ偏らないように選んでいます。刊行する時期も考えていて、例えば2巻は7月に出たのでかき氷、3巻は冬だったので「おでん」、6巻は6月だったので「あじさい揚げ」という感じで、季節や旬にも気を配るようにしています。
——碧はお母さんが亡くなったことによるショックでご飯が食べられなくなったり、大樹の弟の奥さんはストレスで過食気味になったりと、本シリーズでは摂食障害にも触れています。食べたいけど食べられない、もしくは異常な食べ方をしてしまう人を描かれた理由を教えて下さい。
1話で拒食症になった碧を書いたので、どこかで対比となる過食の話は書きたいなと思っていました。その理由の一つに、他界した知り合いの言葉があります。その人は病気でご飯が思うように食べられなくなり、どんどん痩せてしまったんです。「何で自分は食べられないんだ」と、最後まで悔しがっていたことを後から聞き、やはり食べるということは生きること、そして力になるものなのだと痛感しました。重いテーマではありますが、食ものの作品を書くにあたって、自分なりに「食べること」を真面目に考えてみたいなと思ったんです。美味しくご飯が食べられないというのは、とても辛いことですよね。でも、その悩みを助けてくれるのも、解決するのもご飯であってほしいという思いを「ゆきうさぎ」で大樹が作る料理に込めました。
——碧と亡き母をつなぐカギとなるメニューが、2巻で登場する「メンチカツ」です。中学時代にクラスメイトから仲間外れにされていた七海が、当時の担任だった碧の母に連れられた「ゆきうさぎ」でメンチカツ定食を注文します。その後、高校生になった七海が学校をさぼって、再び「ゆきうさぎ」のメンチカツを食べに訪れるのですが、なぜこのストーリーにメンチカツを選ばれたのでしょうか。
元々、碧のお母さんの話は2巻で書こうと思っていたんです。プロットができた段階で、2巻に登場するメニューは角煮、手まり寿司、メンチカツ、かき氷が決まっていて、この中で選ぶならどれかなと思った時に「七海は若いから、がっつりした揚げ物の方が好きそうだな」と思って選びました。
メンチカツって、私の中ではノスタルジックなイメージがあるんです。子供の頃、祖母の家に遊びに行く途中に昔ながらのお肉屋さんがあって、そこで食べた揚げたてのメンチカツやコロッケがすごく美味しかったんです。今はそのお肉屋さんもなくなってしまったので、メンチカツを見ると「もう昔には戻れないんだな」と、胸がぎゅっとして、切ない気持ちになるんですよ。七海と碧のお母さんのエピソードは過去のことなので、自分の思い出とも重ねて、この話にメンチカツを組み合わせました。
——私も子供の頃、弟と一緒に近所のお肉屋さんでコロッケやハムカツを買い食いしていたなぁ。とんかつやハンバーグに比べるとご馳走感はないけど、食卓にメンチカツが出たらテンション上がりますよね! 「ゆきうさぎ」のメンチカツには刻んだキャベツも入っていて、栄養と腹持ちも(笑)考えられています。
そこが大樹らしいのですが、親でも料理人でも、そうやって栄養も考えてくれ作ってくれる人がいるって、ありがたいですよね。昔食べて美味しかった思い出の食べ物を口にすれば、憂鬱な気持ちも晴れると思うんです。高校生活になじめず悶々としていた七海が、もう一度「ゆきうさぎ」のメンチカツを食べて、前に進む勇気を出してくれたらと思いながら書きました。