あれは忘れもしない五歳か六歳の頃。子供部屋に『怪物くん』のコミックが一冊だけあった。たぶん、部屋をいっしょに使っていた兄のものだったのだろう。それが何巻だったのかは憶えていない。主人公のヒロシと怪物くんが、いかにして出会ったのか、読むたび自分で想像していた憶えがあるので、少なくとも一巻ではなかったに違いない。
当時、二歳上の兄は小学校に通っていたけれど、僕はどこにも通っていなかった。後に母親から聞いたところによると、近くに保育園がなく、幼稚園はあったのだが「高かったからやめた」らしい。兄は学校へ行き、父は仕事へ出かけ、母は刺繍の内職で忙しい。僕は借家の二階にある子供部屋で、来る日も来る日も『怪物くん』○巻を読んでいた。まるで一冊の漫画とともに無人島へ漂着した子供のように、読み終えたらまた最初に戻り、何度も繰り返し味わった。そうしているうちに、いつしか『怪物くん』の世界と現実世界との境は曖昧となり、自分の手足がにゅにゅっと伸びないのが不思議に思えるにいたり、実際の友達がいなかった僕は、登場人物たちと友達になった。
もちろん、そうした空想から我に返ることもあった。そんなとき僕は、やはり無人島の少年のように、そのへんにあるものを集めて何かをつくった。そのへんにあるものというのは、割り箸とか輪ゴムとか新聞紙とか、トイレットペーパーの芯とかガムテープだ。僕はそれらを駆使し、壁まで飛ばせるゴム鉄砲や、男の子の顔を持つヤジロベエや、当時まだ持っていなかった自分用の自転車を作製した。自転車は二本指でペダルをこぐことにより三十センチくらい動かせた。
あるときふと、友達の顔をつくってみようかという気になった。僕はすぐさまそのへんにあるものを搔き集め、自分の頭と同じくらいの大きさの、フランケンの頭部を作製しはじめた。三時間ほどすると、主観的にはなかなかの傑作が完成していた。心地よい疲労と満足感に酔いしれながら、フランケンの頭部を両手で持ち上げ、ふんがーふんがーとやっていると、兄が学校から帰宅した。
ところで、僕は子供時代に工作が好きだったが、兄はそういうことをあまりしなかった。なのに、その日に限って、どういう風の吹き回しか、兄は帰ってくるなりライフルをつくった。僕が以前につくったゴム鉄砲の、二倍くらいの長さを持つ、かなり立派なライフルで、輪ゴムの飛距離もたぶん倍くらいあった。
夕刻、それぞれの作品を母に見せに行った。
同時に見せたにも関わらず、母は兄のライフルばかりをほめた。僕のフランケンにはほとんどコメントをくれなかった。いつも僕の工作をほめてくれたのに。今日だってほめてくれるはずだったのに。猛烈に哀しかったけれど、その気持ちを顔に出してしまったら、ほめられている兄に申し訳ない。僕はへらへら笑い、そのまま背中を向けて子供部屋に戻った。
晩ご飯を食べたり、お風呂に入ったり、何かテレビ番組を見たりしながらも、僕はずっと胸に力を入れて哀しさを堪えていた。ところが、蒲団に入り、暗い天井を眺めて胸の力を抜いたとたん、堪えていた哀しさが急にふくらんで、我慢してももう遅かった。顔がくしゃくしゃに歪み、肺が勝手に震えて、両目の奥が一気に痛くなった。僕は掛け布団の下に潜り込み、声を出さないようにして泣いた。思えば、人生初の一人泣きだった。誰かに見せつけたり、お願いを聞いてもらうためではなく、本当に自分のためだけに泣いたのは、たぶんあれが初めてだった。初めてだから、慣れていなかった。僕はすぐにいつもの泣き方に戻ってしまい、自分の泣き声を母親に聞かせてやろうと、泣き顔を見せてやろうと、蒲団から這い出て階段を下りはじめた。下りていくほどに泣き声は大きくなった。下でぽつんと内職の裁縫をしていた母親は、驚いた顔をしながらも、針と布を座卓に置き、こちらに向かって両手を差し出した。僕はそこにぶつかるように飛び込んで、さらにヘッドバットを何度か決めて、しかし咽喉からは言葉がぜんぜん出てこなくて、ただ泣き声のボリュームだけが際限なく高まっていった。
「お兄ちゃんのことばっかりほめたのが嫌だった?」
何も言っていないのに、いきなり図星を指された。悔しさから、僕は首を横に振った。それでも母は、あれはお兄ちゃんがいつもあんまり工作をしないからだよ、珍しかったからほめてあげたかったんだよと言葉をつづけた。ごめんねと謝ってさえくれた。僕はもっと泣いた。
泣きすぎたせいで、そのあとどうなったのかわからない。どうして母が、僕が泣いている理由を言い当てたのか、そして、どうしてあのとき首を横に振ったのに、母はあんなに確信を持って、僕の心を納得させる言葉をかけてくれたのか、それもわからない。とにかく、悪いことをしたなという気持ちだけが、虫刺されみたいにまだ残っている。