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芥川賞・朝比奈秋さん 小説病に憑りつかれ、勤務医を辞め無職に。「作家にはならせてくれよ」 小説家になりたい人が、芥川賞作家になった人に聞いてみた。(特別版)

朝比奈秋さん=撮影・武藤奈緒美

論文を書いているときに「降ってきた」

 それ自体、純文学のような話だった。

「34歳か35歳、胃腸の医学論文を書いているときに、パッと場面が浮かんできたんです。偉いお坊さんが山中で木こりと出会い、あまりにも見事に木を切るので思わず見とれてしまう、というものでした。その場面が頭から離れず、文字にしてみると、どんどん物語が進んでいく。進んでいくから書くしかない。400枚くらいになってピタッと止まった。その前後にまた別の物語が浮かんできて、書き出す。それを繰り返すうちに、とうとう目の前に死にそうな患者さんがいても物語が浮かんでくるようになって。こんな状態で仕事をしてはいけない。選択肢はなかった。病院を辞め、フリーの医者となり、週3勤務が週2になって週1になって、やがて全くの無職になりました」

 どうせなら誰かに読んでもらおうと2番目、3番目に書いた2作をすばる文学賞に出すと、そのうちの一つが2次選考を通過。以降、出来上がるたびに一番締め切りの近い純文学の公募に送った。2~3年経ったころ、文學界新人賞の最終候補に残る。

「その時、傲慢にも思ったんです。『せめて、作家にはならせてくれよ』と。今までまじめに生きてきたのに、小説が頭に浮かぶようになってから、仕事や人間関係など、人生で築いてきた社会的基盤のほとんどを失った。ひたすら家でHotto Mottoの弁当を食べながら小説を書いている。職業作家にはならせてもらう、と応募し続けました」

 それでも、賞に合わせて傾向と対策を練ったり、小説教室に通ったりすることはなかった。

「ひたすら頭に浮かんだものを書くだけ。こっちのほうが面白いからと変えようとしても、書いてみるとやっぱりそうじゃない。書くと、思い浮かんだことが忘れられて次に進めるから、書いているんです。それは今も。書くしかないから書いている」

小説を書き始める少し前、光を辛く感じるようになり、「光線過敏症」と診断を受けた。カーテンの隙間から入るわずかな星の光すら気になるため、アイマスクをして寝ている。眼鏡も調光グラス、スマホの画面もモノクロに設定。「僕には世界が眩しすぎるんです」=撮影・武藤奈緒美

肩書きは書くことに無関係

 林芙美子文学賞を受賞するまで、年に5~6作応募し続けた。30作中約20作は1次落ち。3~4作が2次や3次通過。受賞作を含めて4作が最終選考に残った。小説に憑りつかれて5年、受賞したときはさぞかしホッとしたでしょうね。

「それまでに最終選考落ちを3回経験し、受かってもすべってもおんなじだと開きなおってしまったんです。結局、頭のなかの小説は止まず、次の小説にまた憑りつかれるだけだと。だから林芙美子賞の選考会の日も担当編集の方から連絡いただくまで忘れていたくらい。受賞したときも、これからは応募じゃなくて直接編集者に渡せるんだ、と思った程度でした」

 でも、無職からやっと「小説家」という肩書きが得られたわけじゃないですか。

「時間が経つほどに、そのありがたみは感じています。肩書きは〈書く〉という本質には一切関係ないとはいえ、職業作家になってよかったのは間違いないです。それまで美容院で職業欄に〈無職〉と書く時に、ふつうに医者を続けている同僚たちをうらやましく思った時期もあったので」

 その間、自分の才能を信じていましたか。

「小説に限らず、〈才能〉というものに興味がないんです。医学部時代の友達に、1回見たら全部覚えられる人とか、医学部在学中に他の分野の難関資格とる人とか、いわゆる才能に恵まれた人たちはいましたけど、すごいとは思わなかった。子供の頃から、人間とは、生命とは、自分とは、一体なんなんだろう、といったどうにもしようがないことに疑問や興味を持つタイプだったので。生まれもった能力の範囲内で器用に効率よく生きている人たちよりも、秀でた能力がなくても、どうしようもない困難を抱えながらも一生懸命生きている人、苦しみに耐えている人に凄みを感じます」

『植物少女』で三島由紀夫賞を受賞した際、担当編集のお母さんから頂いたお手製の落款。芥川賞受賞後の今、大活躍している。=撮影・武藤奈緒美

小説に憑りつかれた理由

 林芙美子賞受賞作「塩の道」は無医村に派遣されるお看取り病院の医師の話、三島由紀夫賞受賞作『植物少女』は植物状態の母と生きる娘の話、そして結合双生児の姉妹を描く本作。生命への哲学的な興味は幼い頃から持っていたそうですね。医学でも哲学でもなく、文学でそれに取り組むようになったのはなぜだと思いますか。

「ある時から病気であることと健康であること、障害があることと健常であることの違いが感覚的にわからなくなった。病気でなくとも人間全員が病んでいるように感じられた。でも、その感覚は医者としてはダメじゃないですか。医者は科学的に患者を診断して病気を治す、というのが仕事ですから。だから医学では無理でした。哲学も別に論文を書きたいわけじゃない、人に広めたい哲学もない。芸術だけが、何を書こうが、思おうが、自由だったんです。ただ、そのままでよかった」

 表現欲求や承認欲求はありますか。

「それがなかったことが、小説に憑りつかれた理由かもしれない。子どもの時からインプットばかりでアウトプットはしてこなかった。アウトプットしたいという欲求すらなかったんです。ただただ『なんでやろう』と考える。ひたすら飲み込み続ける。表層や中層で表現してみるということも一切しない。それが35歳のあの時に弾けて、書きはじめたら止まらなくなった。今ではそういうふうに自己分析しています」

撮影・武藤奈緒美

芥川賞は「はよ済ましたい」

『サンショウウオの四十九日』が朝比奈さんにとって初めての芥川賞ノミネートということに驚きました。『植物少女』で三島由紀夫賞、『あなたの燃える左手で』で泉鏡花文学賞、野間文芸新人賞を受賞し、デビュー以来、高く評価されています。

「自分は『塩の道』で林芙美子賞をもらって、単行本(『私の盲端』)になって、出版社がそれ以降も作品を単行本化してくれて、それで満足してたんです。でも、編集部はソワソワするわけです。3~4作前から毎回、これは芥川賞候補になる可能性が高いです、と。それ用の帯まで作ってもらって、どっちの帯がいいですか、と。でもノミネートならずで、僕はようわかってへんから、そんなもんなんやな、と淡々と受け止めるけど、周りの落ち込みようがすごくて。作品を出すたびに、『もうこれ今期の有力作です!』とか編集部も新聞文化部の記者さんも期待してくれるんです。しかし候補にならなかった。あまりにもがっかりされるんで、『力及ばずで申し訳ない』という気持ちに僕もなってくる。そこらあたりから、早いこと候補になって早いこと受賞してしまいたい、って思うようになりました」

『サンショウウオの四十九日』がノミネートされたときはどう思いましたか。

「ようやく候補になったと思いました(笑)。あまりにも毎回『これは候補になるはずです』と言われてきたので」

 なぜ芥川賞を受賞できたと思いますか。これまでの作品との違いは?

「多少経験を積んで小説として良くなっている部分はあるのかもしれませんが、毎回毎回もうこれ以上無理や、ってくらいまで追い詰めて書いているので、明らかな差異は自分ではわかりません。運やタイミングに恵まれただけでしょう。新人賞であれ、芥川賞であれ、受賞するには実力だけでなく、めぐりあわせが必要です」

 何度も改稿したと聞きましたが。

「それもいつものことなんです。『サンショウウオ~』は5、6年前に一度書き上げていて、でも完成したと思えなかった。その時は応募もせず、ひたすらパソコンのメモリの中で眠らせていたんです。それを昨年、ちょっと思うことがあって書き直して新潮社へ持っていった。編集との打ち合わせでまた気づきがあって書き直して、それを繰り返してようやくたどり着きました」

 完成した時はどこでわかるんですか。

「たどり着いたという実感を得た時に終わります。ただ、すべての小説にさらなる良くなる余地が必ずあるので、真の完成はどこまでいってもないのかもしれません。今はとにかく精も根も尽き果てて、これ以上はほんまに無理や、もう一回原稿を見直す体力すらない、というほど、その時の自分なりに書ききる。そして、それを区切りにして次の小説に進みます。じつは、『サンショウウオ~』には今、1行だけ追加したい文章があるんです。もし、次直すチャンスがあれば入れますが、たとえ入れられなくても後悔はない。毎回、それくらい燃え尽きています」

芥川賞受賞後、怒涛の取材ラッシュで「実は人と話すのが好きなネアカなのかも、と一瞬思いましたが勘違いでした。やはり家で一人、考え事をしていたい」。ただ市川沙央さんや九段理江さんなど、書く苦しみを分かり合える仲間ができたことはデビューしてよかったことだそう。=撮影・武藤奈緒美

 小説家になりたい人へアドバイスを。

「僕から言えば、小説の1行目を実際書き始めて、最後まで書き終えられるだけでまず向いています。すでにもう小説家です。ただ、難しいのは、1万人のサラリーマンがいたとして、順位をつけたとします。最下位のサラリーマンにも仕事はあるんですよ。でも、芸術は1位にしか仕事が来ない。僕は、全ての作家が実力だけじゃなく、運と縁を得てデビューしていると思っています。そればかりはもうどうしようもない。だから言えることは、書き続けてください、ということだけ。ただ、40年、50年続けてプロになれなかったとしても、その時点で、人間としての厚み、深み、凄みは必ず出てきます。それは作家になるより、よっぽど立派なことだと思います」

自分が空っぽになる喜び

 ご自身と小説の距離をどう考えていますか。受賞のことばでは、「私は通路」と書かれていました。

「距離はゼロですね。書いている時は俯瞰していてもどこかで物語と繫がっている感覚があります。今作で言えば杏と瞬、両方の気持ちになりました。杏とくっついているときは、心から一人になりたいと思いました。一人だけの体を持ちたいし、一人だけの思考、気持ち、感覚になりたい。瞬とくっついているときは、二人のままずっと溶け合っていたい、二人で本当によかった、と思っていた。そういうふうにおのずと伝わってくるものを僕は書くだけ。自分が小説を作り出しているのではなくて、まず物語があって、それを書き表した小説があって、僕はその間の通路として、ストローで吸ってあっちからこっちへ移動させるというイメージ。ただ、スムーズにはいかない。僕の中の偏見や間違いが目詰まりを起こす。どういうことなんや、と考え続ける。物語がぐわーって圧力がかかった時に、その目詰まりがぽろっと取れて、ようやく小説になる。だから、自分が空っぽになればなるほど、かすかな喜びを感じるんです」

 それってすごい。「自分」というものが一切ない小説。無我の境地を目指す修行のような小説。

 35歳の朝比奈さんに降ってきた、偉いお坊さんが木こりと出会う物語。仏にまつわる物語なのだそう。

「自分の身の丈をはるかに越えた題材だったので」完成させられなかったというその小説は、この瞬間もずっと続いているように感じた。木こりは今も一人、山の中で木に斧を振り下ろし続けている。

 いつ、頭の中の小説が止むと思いますか。

「もう諦めています。これは一生続きます」

【次回予告】次回は、第171回芥川賞を朝比奈さんと同時受賞した松永K三蔵さんにインタビュー予定。