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まさか、のために 澤田瞳子

  予約電話が苦手だ。見知らぬ人に電話をし、要望を伝えるのは、人見知りの私には結構な負担。だが先日、思い切ってある予約を取った。それは地元消防署開催の救命講習だ。
 心臓マッサージを含めた心肺蘇生法や、AED(自動体外式除細動器)の使用法を教えてもらえる普通救命講習は、消防署、会社・学校で結構な頻度で行われている。私は今までに二度講習を受けているが、それはあくまで念のためで、それが必要となるなぞ思ってもいなかった。
 だが、二か月前。大学研究室で知り合いの方が倒れ、居合わせた私が心肺蘇生法を施し、AEDを使った。残念ながら発見が遅かったため、その方は帰らぬ人となったが、その際に実感したのは訓練の重要さとAED使用に対する認識の低さだ。
 意識を失った方を救急隊に引き継ぐまでの数分間、誰かが救命措置を行えば、蘇生の可能性は確実に向上する。しかし少し古いデータになるが、二〇一三年の普通救命講習受講者は約一四〇万人。そして一般人が目撃した心肺機能停止者約二万五千人に対して、AEDの利用率はわずか三パーセントで、その理由は「使用方法がわからないから」という。
 人は怖いものを避けてしまう存在だ。しかし、「まさか」と思っていた出来事に遭遇する可能性は、誰にでもある。私と同じ場に居合わせた教授はその後、「講習を受ける」と宣言し、本当に大学教職員対象の普通救命講習を受講なさった。そう、その気で見回せば、誰かを救うための訓練はいたる所で開催されているのだ。
 普通救命講習は最低でも五年に一度は受け直すのが望ましい。再受講の申し込み電話をかけながら、私は先日のできごとを思い出していた。救急隊員から倒れた方の氏名・年齢を書けと言われ、メモを記す手が震えたあの日。思い出すたび、いまだ血の気が引いていく一方で、それでも誰かの手助けをしたいと思う。だから、「まさか」の時のために、出来る限りのことをする。=朝日新聞2019年8月14日掲載