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上田岳弘さんが学校生活で少し晴れやかな気分になった「放課後」 ときおり訪れた不思議な「別時間」

 小学校の入学当時は45分、いつからか50分。学校の授業の一限当たりの時間だ。昼までに4限あって、午後からは曜日によって1限か2限。それが終わると放課後になる。今もそうなのかは知らないけれど、僕が中高生だった時代は、ほとんどの生徒は放課後にクラブ活動をしていた。特に中学時代の入部率は高かった。もしかしたら入る義務があったのかもしれないけれど、正式にどうだったかは知らない。

 とはいえ、高校生にもなってくるとどこのクラブにも所属しないいわゆる「帰宅部」の生徒も徐々に増えてきた記憶がある。かく言う僕も高校2年からクラブ活動にいかなくなって、「幽霊部員」化し(しかし幽霊部員とはよくいったもので、そこはかとない情緒を感じる。)やがて「帰宅部」になった……と、自分では思っていたのだが、正式に退部していないことが3年生の時に判明して、若干のすったもんだがあった。

 授業開始の鐘がなったなら、50分間は机の前に座っていなければならない。授業内容についていけなければ苦痛だし、既に理解しているところだと退屈だ。一クラスは何十人もいるわけだから、自分の理解度合いにベストマッチというわけにはいかず、たいていにおいては苦痛と退屈の間を行ったり来たりする。そんな抑圧の末の「放課後」。字面からして、何とも言えない開放感がある。実際に毎日少し晴れやかな気分になった。けれどもすぐにクラブ活動が始まって、運動部だった僕は、開始までに練習着に着替え、最初のランニングの列に加わらなければならなかった。練習が終わるとへとへとになってまっすぐに家に帰った。

 ごくたまに、例えば体育祭の準備とか、文化祭の準備とかで、放課後にクラブ活動を早めに切り上げるか、その途中かにそれぞれの練習着のままにクラブとは無関係の活動をすることがあった。サッカーのゴールを動かしたり、とんぼがけをしたりした。決まって夕方で、相手の顔もはっきり見えないままに会話をする。クラスの違う男の子、あるいは話したことのなかった女の子、いろんな噂のある怖そうな先輩。そんな普段かかわりのない人と言葉を交わし、作業が終わった後に、なんとなく座り込んで話し込む。正直なところ何を話したかは覚えていない。とにかく周囲は既に暗くって、校門が閉まるまであと1時間、あと30分とぼんやり数えながら不思議な時間を味わっていた。放課後にはそんな「別時間」がときおり訪れるのだ。

 といって、翌日別の場所ですれ違ったからといって、挨拶もまともにしなかった。当時は同級生も先輩も後輩も誰もが思春期で、決着のつかない厄介ごとを抱えていて、別時間のことまでかかずらってなどいられない。

 けれど、特別な放課後のことを大人になっても覚えている人は案外多いのではないかなと想像している。