中国の本格ミステリブーム受け
――本作は中国の学校を舞台にした、学園物のミステリです。5年前の雪が降る学生寮で起きた少女死亡事件を女生徒らが調査する中、酷似した「密室」で新たな犠牲者が出る……。トリックを重視した「新本格」系作品である一方、女生徒らの関係性や感情を描いた「百合もの」でもあります。中国で作品をいくつも発表しつつ今は金沢市に住む陸さんですが、どんなきっかけでミステリ作家になったのですか?
私は北京出身で、上海の復旦大学で中国の古典の研究をしていました。修士課程在学中に中国のミステリ専門誌で短編の新人賞を取ってデビュー。その後、2016年に初の長編である『元年春之祭』(邦訳版は早川書房)を出しました。妻の留学の関係で14年に来日し、ずっと金沢に住んでいます。
推理小説家になったきっかけは、大学のミステリ研究会です。私は一応そこの初期メンバーでしたが、実はあまりミステリを読んでいない人が(最初に)作ったのです。最初は謎当てゲームなどをするくらいで、あまりみんな執筆していませんでした。
私の(ミステリを志した)真のきっかけは、中国の出版事情の変化です。もともと、中国で出版されているミステリ作品はそれほど多くありませんでした。00年ごろにはマニアックなミステリファンがネットワークを作っていましたが、人数は少なかったですね。対象も欧米のミステリでした。簡体字(中国大陸で使われる漢字)で読める作品は少なく、本当にマニアックなミステリファンは繁体字版を台湾経由で買っていました。日本語や英語を勉強する人もいましたが、少なかったですね。
ところが08~09年ごろ、簡体字のミステリ作品が中国でブワッと増え、本格ミステリブームが起きたのです。うちの研究会メンバーも、だんだんと本物のミステリファンになっていきました。
例えば島田荘司さんの『占星術殺人事件』(日本では1981年発表、同氏のデビュー作)が、08年ごろに出版されました。ものすごい影響力で、中国の作家の間では“島田流”という作風があったほどです。
他にもいろいろな名作が、今から10年前くらい前から出版されてブームになりました。京極夏彦さんもこの辺りで人気になりました。綾辻行人さんの本はもっと早く出ていましたが、(このブーム以前は)そんなに流行っていませんでしたね。
私自身、本は元々読む方でしたが、09年ごろまではそんなにミステリファンではありませんでした。でも、私を含め本が好きな中国の人はみんな、(このタイミングで)ミステリ好きになっていったという印象です。
朝昼夜と1日にミステリ3冊を読了
――ちなみに陸さん自身は、どんな日本のミステリを読んでいたのですか?
私はもともと、西尾維新さんの『戯言』シリーズや『世界』シリーズ(いずれも講談社)を読んでいました。ただあくまでライトノベルとしてで、本格ミステリだという意識は無かったですね。
私は日本アニメ好きでもあるのですが、京極さんの『魍魎の匣』(講談社)のアニメ版が(中国の)ファンの間で話題になりました。京極さんの作品は、中国でミステリが流行るきっかけの1つだったと思います。私も、初めてミステリとして意識して読んだ本が彼のデビュー作(『姑獲鳥の夏』)でした。当時は翌日試験を控えていた日にも関わらず、勉強を余りせずに読んでいたものです。
島田さんの作品も、中国で30冊ほど続々と出版されたのをほぼ全部読みました。私のいた上海の復旦大学にサイン会に彼が来た時は、私も周りもみんな行きましたね。(島田作品には)日本人より詳しいかもしれません(笑)。
こうして私もマニアックなミステリファンになっていきました。(大学時代は)朝にエラリー・クイーン、昼に島田さんの本、夜には別の簡体字訳の作品と、1日にミステリを3冊読む日もありました。大学4年の時には、とある日本ミステリの新刊を読むために日本語を猛勉強したくらいです。
――ちなみに、ミステリというと世界的には何となく本家である欧米作品が主流のような気もしますが、日本作品が中国でここまで人気というのは意外です。
今、欧米と日本のミステリは、出版量では半々くらいですが、日本作品の方が売れている印象を受けます。やはり日本アニメ人気の影響でしょうね。綾辻さんの『Another』(角川書店)や、米澤穂信さんの『<古典部>シリーズ』(KADOKAWA)などが挙げられます。
――いずれも日本のミステリ小説をアニメ化したヒット作ですね。
特に(『古典部シリーズ』の)『氷菓』をアニメ化した京都アニメーションは中国で圧倒的な人気があります。今年起きた事件は、私も本当に悲しく思いました。あの日、中国のSNSは事件の話ばかりでした。
ただ、私などはアニメから日本ミステリに入り込みましたが、東野圭吾さん原作のドラマなど、別のルートをたどった中国人もいます。日本の文化は、このように別のジャンル同士の関係性がとても強いですから。
新作は定番要素の「学園もの」
――今回の陸さんの作品も、ミステリ小説に「学園もの」という日本アニメ・漫画の定番要素を取り込んでいますね。
前回の長編では古代中国をテーマにしたのですが、長い間出版できなかったので、今回は出しやすい本を書きたかったのです。また、中国のミステリ好きはだいたいが私くらいか、もっと若い世代です。学生の読者向けなら学園ミステリがいいかなと。ただ、中国の推理小説で学園ものはまだ少ないのですが。
あと、やはり(日本の)「新本格ミステリ」には学園ものが多いですよね。『十角館の殺人』(綾辻さんのデビュー作、講談社)も大学の部活動の話でしたよね。こうした青春ものの作品では、登場人物自身がミステリファンだったりします。まさに「著者にとっての青春」の話なのです。私も『十角館の殺人』にはめちゃくちゃ共感しました。
――確かに『雪が白いとき~』でも、学校の司書にしてミステリファンでもある女性「姚先生」が登場します。
彼女は私と同じ世代です。高校生の時はもともと文学少女で、ブームに偶然乗ってミステリファンになったという設定です。私とほぼ同じルートですね(笑)。
――本作が日本の定番な「青春もの」に比べちょっと違うのは、青春真っ盛りの学生だけでなく、まさに姚先生のような青春が終わった「大人」たちも多く登場する点です。
日本の青春もの作品に対しては、「大人が不在」である点に時々、違和感を覚えていました。例えば、海外(欧米)の作品では「知恵を持っている大人が未成年を教え導く」話がよくありますよね。『ハリー・ポッター』シリーズなどです。でも、日本の作品は大人が不在だったり、もしくは逆に「高校生が大人を教育」したりしている印象もあります。「駄目な大人になりたくない」といったメッセージがありますね。
だから、本作では高校生と大人を対照的に描きました。この小説にはこのようにたくさんの“対照性”があるのです。今と昔の(事件の舞台である)「密室」の対照に加え、登場する2人の女の子も対照的です。姚先生自身にも「今の自分と昔の自分」の対照がある。まさに、こうした「対照性」の構図を盛り込んだのです。
対照的な少女2人の「百合」
――中でも、能力や性格が対照的な2人の女生徒の関係や感情の揺れを緻密に描いた「百合」要素は、なかなか斬新だと感じました。華文ミステリでは既に一般的なテーマなのですか?
百合ミステリ……。中国ではまだないかもしれません。ただ、百合好きな人は、腐女子よりは少ないですが最近増えています。
私自身はもともと『NOIR』というアニメ作品を中学生の時に見てから、ずっと百合好きです。例えば、『マリア様がみてる』(今野緒雪、コバルト文庫)のキャラにおける「それぞれコンプレックスを持っている2人が学校で出会う」といった人間関係が好きですね。
他にも好きなのが漫画『あの娘にキスと白百合を』(缶乃、KADOKAWA)です。こちらにも努力家と天才タイプという、(互いに)相手に対するコンプレックスを感じているカップルが登場します。
――「互いにコンプレックスを感じている2人の百合少女」という関係性は、本作の登場人物にも通じるものがありますね。
今回の作品でも、『マリみて』の登場人物のネタをメタファー(暗喩)として風景描写に取り入れました。なぜ私が百合を書くかというと、こうした自分の趣味もありますが、ミステリの歴史の中でそういった作品が少ないからです。自分で読んでみたいということもあるし、独自の作風を築きたいとも思ったのです。
本格ミステリとは、どんなジャンルでも書ける分野です。いわゆる無感情、無機質な論理によるトリックがある一方で、非常に感情的、情動的な部分もある。これら2つが合わさることによって本格ミステリになる。殺人トリックのロジックは無機質であっても、そのほかの「情動」の部分は恋愛ものでもできるし、まさに百合であってもいいと思います。
本作では、設定のリアリティーよりもこうした「感情のリアリティー」を大事にしました。例えば日本の小説でも、「高校生が事件を解決する」とかありえない設定もよくありますよね。生徒会がすごい権力を持っている学校とか……。
でも、「青春の感情」というものに共感できるのなら、良い作品になるのだと思います。青春小説とは、まさに自分(読者)自身がたどった「ルート」「歴史」だからです。
――最後に、この「華文学園百合ミステリ」が日本の読者にどう受け入れられてほしいですか?
今まで、(日本で)海外ミステリと日本産ミステリは、別々の路線で展開していました。例えば日本ミステリは社会派も新本格もありますが、海外作品は刑事ものが多いですよね。最近では、海外産の本格ミステリも増えていますが。
一方で、日本における本格ミステリの「ガラパゴス化」を心配する声もあります。でも、私たち(華文ミステリ作家)は日本ミステリの影響で執筆を始めました。日本作品から影響を受けていない、今までの(主に欧米の)海外作家とは全く違うわけです。
この辺は、日本の読者にとってとても新鮮なはずです。私たち日本ミステリの影響を受けた華文作家の作品が、日本語に翻訳されることでこのガラパゴスを破れるかもしれない。私たちの努力で、日本人にとっての「海外ミステリ」が欧米作品だけでないようにしたいですね。