芥川賞を受けたデビュー作『火花』、続く『劇場』がいずれも出版界がお祭り騒ぎになるベストセラーになった。人気芸人でもある又吉直樹さんの3作目『人間』(毎日新聞出版)は初めての長編小説。それも日々掲載される新聞連載で挑んだ。先の見えない道を突き進む、ハラハラする日々だった。
大胆なタイトルだが、自然な選択だったという。後輩芸人から「人間兄さん」「人間さん」と呼ばれることがあるそうで、「人間さんって言うとすごく妖怪っぽいじゃないですか。不思議やなと」。愛読する太宰治の代表作も念頭にあった。「人間を失格してるってどういう状態やろう、失格している状態でも人間じゃないのかなと考えていると、出口ないのが面白くなってきて」
才能とは何か。表現とは。誰がどう評価を決めるのか。ぐるぐるとめぐる思考は小説に流れ込んでいる。「創作で大きな挫折をしている人物を書きたかった」。主人公の永山は38歳。かつて共同住宅で共に暮らした仲野がネットで騒動を起こしていると知る。漫画家を目指して上京した永山が身を寄せた家は、創作を通して何者かになろうともがく若者が集まっていた。
登場人物の中で、仲野の描写がさえ渡っている。「反骨を装ってはいるが、権威や大衆の太鼓持ち」で「不憫(ふびん)におもえるほどの見事な才能の無さ」。騒動の発端となったコラムも「論考の立脚点を他者に置かなければ自身の主張さえも立たない」と容赦ない。「合理的に考えすぎてその手前をないがしろにしてしまう」ところはお笑いコンビ「ピース」の相方、綾部祐二さんに重なるそうだ。
かつて仲野は、主人公に「おまえは絶対になにも成し遂げられない」と呪いのような予言を告げた。「みんなどこかで誰かに言われていると思う。自分も近いことを言われて腹立ちました。感情が大きく動かされた言葉は忘れられない」
昨年9月から今年5月に毎日新聞で連載した。売れっ子らしい過密なスケジュールで、綱渡りの執筆だった。連載開始前に1カ月分を用意したが、「2日後に掲載する原稿を書いている」状態に。ぎりぎりのスケジュールは物語にドライブ感を与えた。「考えている余裕がない。これで明日まで乗り切れるんやったっけって確認したくても怖くてケータイを開けない。でもさぼったことはなかったです。収録の合間でもそのとき100%の能力で書くことを考えていました」
息切れの日々は一区切り。「僕はネタを考えるのと本番が好きなんですけど稽古が嫌い。小説は書くだけ。ネタを考えるのと本番が一緒で稽古がないのがいいです。終わるとまた書きたくなる。次に書くことはもう決まってます」(中村真理子)=朝日新聞2019年10月30日掲載