動物を「パートナー」として愛し、ときにセックスをする、「ズー」と呼ばれる動物性愛者がいる。京都大学大学院で文化人類学を研究する濱野ちひろさんは、そこにセクシュアリティーの可能性を見いだし、ノンフィクションとして世に問うた。『聖なるズー』(集英社)は開高健ノンフィクション賞を受賞、高く評価された。
濱野さんはライターとして活動しながら、30代後半で大学院へ入った。背景には、自身が10代後半から20代にかけて、当時のパートナーから性暴力を受けた経験があった。「性暴力が、いまも私の中で大きい重力を持っている。なぜ私に起きたか、自分の言葉で説明できるようにならなければ変われないと思った。アカデミックな思考は理性を助けてくれる。それを求めてセクシュアリティーの研究をしようと決めた」
選んだのは、動物性愛の研究だった。「性暴力を正面から取り上げなかったのは、それでは私の中にある常識や善悪の判断は変わらないから。違う題材を通して、迂回(うかい)して向かっていけば、その経路の中で自分が変わっていける」
ドイツで犬や馬を愛する「ズー」たちと生活を共にし、彼らの動物に注ぐ視線や何げない一言から、対等性を何よりも重んじていることを悟る。犬のマスターベーションを補助する現場にも立ち会い、「人間と人間が対等であるほうが、よほど難しい」と思うまでに至る。
動物を擬人化して、人間の代用としているのでないか、とずっと気にかけていた。だが、彼らにとっては、愛する相手は動物でなければいけなかったのだ。
「ズー」というセクシュアリティーを後天的に選び取る人たちとの出会いも、大きな気づきになった。「元々、動物性愛者ではないが理解して、ズーになっていく。私にはセクシュアリティーが生来的なものという固定観念があったが、ズーたちに会って、違うかも知れないと思えた」
作中、「誰かが語らなければ、鋳型にはめられたセックスの輪郭は崩れていかない」と書いた。自身が求める「セックスを語る自由」と、「ズー」たちが求める「誰を愛するかの自由」は違うが、ともにセクシュアリティーの自由を求めている。「近未来、セクシュアリティーは選ぶことが当たり前になるかもしれない。そうであったらいいなと思います」(興野優平)=朝日新聞2019年11月27日掲載
「好書好日」掲載記事から