妖怪研究の第一人者として知られる国際日本文化研究センター(日文研)の小松和彦所長(72)が、3月末に退任した。日文研で多彩な研究を牽引(けんいん)してきた「妖怪博士」に、この四半世紀で妖怪が学問の世界でどう化けたのかについて聞いた。
妖怪はアカデミズムの世界では長く俗信とされ、異端のテーマとみられてきた。小松さんが「エポックメイキングだった」と振り返るのが1994年だった。
京極夏彦さんの百鬼夜行シリーズ第1弾『姑獲鳥(うぶめ)の夏』や、夢枕獏さんの小説『陰陽師(おんみょうじ)』を岡野玲子さんがコミック化した単行本が刊行され、スタジオジブリの映画「平成狸(たぬき)合戦ぽんぽこ」も公開された。その年に小松さんが刊行したのが『妖怪学新考』だった。「美術史や国文学、芸能史、民俗学、生活文化とどんな領域にも妖怪はいます。ならばいろんな分野の人が集まって妖怪文化として研究しようという呼びかけでした」
大阪大学から97年に日文研に移り、「日本における怪異・怪談文化の成立と変遷に関する学際的研究」などの共同研究を主宰してきた。「各分野で肩身の狭い思いをしてきた研究者たちが、ようやく妖怪について語れる場所ができた」
苦心したのが妖怪の定義。暫定的に考えたのが「祭祀(さいし)されていない状態にある神霊」だった。「神社などにまつられ、コントロールされた霊魂を神、まつられず災いをもたらす霊を妖怪と考えるとうまく整理された」
研究を通じて見えてきたのは日本の妖怪文化の奥深さと多様さだ。「果てしないくらいたくさんの名前・種類があり、絵画資料も多い。世界に誇るべき文化です」。成果は「日本妖怪学大全」などの書籍に結実した。各地の妖怪関連の伝承約3万5千件を集めた怪異・妖怪伝承データベースや、絵巻などの画像4千点以上を収録したデータベースも公開している。
こうした成果を反映した一般向けの書籍が書店に並び、各地で開かれる妖怪展も盛況だ。マンガやアニメ、小説でも活用されている。「世界でも『YOKAI』として流通するようになった」と感慨深げだ。
平安~鎌倉時代初めにはもののけや怪異話が説話集などで語られ、室町~江戸時代初めには御伽草子が編纂(へんさん)され、百鬼夜行絵巻が多く描かれた。江戸中期には娯楽の面が強まり、後期になると東海道四谷怪談や妖怪画が人気になった。「先が見えない時代に、人々が抱く不安や恐れが投影されるのです」
たとえば、日本では疫病を鬼で表現する伝統がある。「目に見えないもの、よくわからない新しい現象に名前をつけ、絵にすることでコントロールした気になり、安心できる」。新型コロナウイルスの画像がメディアによく登場するのも、こうした文化的側面があるとみる。
退任後は、妖怪学の総説、概論を時間をかけて練り上げるつもりだ。(久保智祥)=朝日新聞2020年4月22日掲載