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洗面器を買う 澤田瞳子

 ぼんやり者の私は、皿やコップをよく割る子供だった。長じてからはさすがにそんな失敗も激減したが、そうなると当然食器棚には長い付き合いの品ばかり並ぶ。

 いや、食器だけではない。テレビや冷蔵庫など電化製品はある程度の歳月で壊れるが、日常雑貨はそういったことが稀(まれ)だけに、その付き合いはもはや腐れ縁に近い。たとえば歯磨き用コップは学生の時、近所の薬局の開店記念でもらった品だし、洗面器は町内のくじ引きの景品だ。

 私の町内では秋祭りの際に行われるくじ引きの残念賞は、なぜか長らく洗面器だった。家族の人数に合わせて引くくじだったので、下手をすると一度に複数個の洗面器を渡される。しかもそれが毎年繰り返されるのだから、当然、家には色も形も同じ洗面器が相当数備蓄される。

 こんなに洗面器は要らないと思ったのは我が家だけではなかったようで、ある時回ってきた回覧板の「町内運営へのご意見」コーナーには、どなたかが「もう洗面器は要りません」と書いていた。結局それから二年ほどして洗面器はくじ引きから姿を消したが、ともあれおかげで私は今まで洗面器を一度も店で買わずに来た。――しかし、である。

 最近のマスク不足から、先日、とうとう私も布マスクを手作りした。そうなると外出のたびにマスクを洗わねばならないが、普段、使っている洗面器を洗濯用にはできない。そして新しい洗面器は山ほどあるのに、色・形が同一のそれらを使うのはややこしいことこの上ない。

 ううむ。自分と洗面器はすでに何者も踏み込めない強い縁で結ばれていると思っていたのに、まさかここで新たな品を買う必要が生じるとは。そう思えば目の前の食器と生涯付き合うのも、地震を始めとする災害に遭わないのが大前提。かように考えれば平和な日常のありがたさがつくづく身に染みてくるが、いずれにしても我が家に備えられた洗面器の山とは今後も関わり続けるしかなさそうだ。=朝日新聞2020年5月13日掲載